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静岡県

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概況

静岡県の被差別部落の統計[1]

調査年 地区数 戸数 人口
1907年 83 1712 10989[2]
1921年 55 2304 14476[3]
1922年 43 1767 11585[4]
1924年3月 55 2200余 14000[5]
1929年7月 - 2647 16305(男8381+女7924)[6]
1935年1月 52 2655 16132[7]
1942年 - 2215 14593[8]
1946年 - - 18478[9]
1958年 65 4365 21601[10]
1963年 54 9562 地区全体46122、同和関係18032[11]
1967年 27 地区全体3430、同和関係2853 地区全体15800、同和関係13636[12]
1971年 24 地区全体3403、同和関係2768 地区全体15056、同和関係12552[13]
1975年 21 地区全体3304、同和関係2713 地区全体13353、同和関係11021[14]
1985年 21 地区全体3304、同和関係2713 地区全体13353、同和関係11021[15]
1993年 21 2121 地区全体14246、同和関係7238[16]
1996年 53(うち指定地区は21) 2149 7028

県下最大の被差別部落は浜松市中区花川町(旧・吉野町)にあり、1963年の調査では戸数361戸、人口1803人であった[17]。花川町に特徴的な苗字は北村、長谷、高倉、菊池である。

民間陰陽師に起源を持つ袋井市岡崎の被差別部落では小松原姓と富山姓が多くを占める。

「何故か駿河の部落全部が、白山神を非常に嫌うようです」との記述もあり、駿河では白山神社との関係が浅かった[18]

このほか、駿府の毛皮町(現・静岡市葵区葵区新通一丁目・二丁目、駒形通四丁目・五丁目)は徳川家康在城時代の町図に「毛皮町穢多町也」とあり、穢多部落として固定していたことがわかる[19]

『駿国雑志』の「馬捨場」の項にこうある。

馬捨場は、有渡郡南安東村、音羽山清水寺の山の右の方にあり。田間三十間四方計りの地を云。一名河原場と号す。此所を河原場と唱る事は、徃昔志豆波多川、此辺りを流れたり。故にこの名あり。里人云.すべて牛馬の斃たるを捨る時、毛皮町の穢多に告れば、穢多来り、その皮を剝ぎ革(なめしがわ)に制るの後、裏付雪駄一足半(かたし)を持来る。これその皮を得たるの恩を謝する也。云々。

また『駿国雑志』の「屠児町来由」の項にこうある。

当国府中毛皮町あり。…これ屠兒の住る所にして、町数に入れず、里数に加えざる也。云々。里人云。穢多町は旧八幡小路にあり。久能山を發く時、穢あるを以て、今の地に移さる。云々。この説誤る也。屠児の長彦助ノ家に蔵す今川家の大永六年の印象の文に、「府中西のつら、河田彦八抱る川原屋敷、一町五段」とあり、以て考えるに、徃昔よりこの地に住する事詳らか也。抑毛皮町は、国府の西十二三町計りにして、遊女町の隣にあり。一構え両側二十五竈の住居あり。その首領を彦助と云。韋柔革(なめしがわ)を造り、雪駄を制し、皮鼻緒を作るを家業とす。…云々。凡牛馬の斃たるを聞けば、即来て皮を剥ぐ。もしこの事を捨てざる先に、その主より告ればその皮を剥取るの後、雪駄一足半を携来てその主に贈り、以て告るを謝するを掟てとす。その一足と半を贈るは二度かくの如きは、三足に満つ。これ後告を頼むの意也とぞ。傳云.牛の斃れたるを捨るは、安倍河原に限り、馬の斃たるを捨るは、河原場──河原場は国府の東、清水寺音羽山の右の傍らにして、田間四方三十間計りの地を云也。里俗馬捨場と唱即是地也──に限れり。云々。此牛馬の皮を剥て、皮革を製するは、今川家、治国以来、軍用の為に免さるる所にして、今にその業を転ぜず。云々。
『駿国雑志』所収「第拾壱図 屠児町の図」。現在の静岡市葵区の新通地区(白山町部落)に該当する。

静岡県は全日本同和会の影響が強い地とされ、1974年当時、県下で同和事業のおこなわれていた25地区中17地区を全日本同和会が組織していた[20]。「静岡県西部の各被差別部落は、自治会長がいわば自動的に全日本同和会の役員を兼ねるところが多く、つい数年前まで袋井の部落もその一つであった」と1982年に福岡安則は伝える[21]

静岡県社会課 地方改善実例 大正十三年三月

文献

全國部落調査(1935年)

靜岡縣 昭和十年一月現在

118頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
賀茂郡 城東村 白田 五二 農業 日傭、草履 賀茂郡 東伊豆町 白田
〃 下河津村 裏町 五九 〃、行商 賀茂郡 河津町 裏町の位置は要調査。
〃 稲梓村 椎原 二〇 一三六 日傭 農業 下田市 椎原
〃 南中村 石井、洞 一三 八九 農業 草履、狩猟 賀茂郡 南伊豆町 石井
〃 松崎町 宮内区土手 三九 日傭 養豚 賀茂郡 松崎町 宮内 三國連太郎(出生名・佐藤政雄)は養父の出身地区について「親父の田舎は伊豆の松崎の奥にあり(略)菊池山哉の『別所と特殊部落の研究』によると、ここは伊豆半島に十一ヵ所を記載されている被差別地区の一つだとされている」と発言している[22]。「僕は子どもの時分、西伊豆の中川と桜田という町の真ん中、両方の町からちょうど3キロぐらいずつ離れた鄙びた集落に住んでいました」[23]とも発言しており、現在の松崎町櫻田と松崎町峰輪(中川郵便局あり)の中間とすると、現在の松崎町吉田近辺といえる。
田方郡 三島町 辰巳町 二一 一二九 商業 三島市 日の出町 4番地、東町 8番地、9番地
〃 伊豆長岡町 一九 一二三 農業 日傭 伊豆の国市 長岡 洞古墳の白石の石棺周辺。宮本姓5件。2000年電話帳。
〃 戸田村 沢海 二五 工業、舟乗 草履、狩猟 沼津市 戸田 沢海
〃 伊東町 中島 四五 二三一 農業、日傭 商業 伊東市 中島は元の地名では松原の小字。松原は一部が別の地名となる。
〃 夛賀村 和田木 一一 六六 工業 農業 熱海市 下多賀 和田木
駿東郡 浮島村 平沼宮組 一七 一二四 農業 草履、行商 沼津市 平沼 1955年まで浮島村は存在。現在の沼津市と富士市にまたがっていた。「宮組」という小字名は各所にある可能性。平沼の宮組はおそらく八幡神社近くの数戸。若宮八幡宮近くの平沼葱川の可能性もあり。要調査。
〃 鷹根村 西椎路 一五 一〇四 日傭 草履 沼津市 西椎路 東久保
〃 金岡村 下村 一一 九五 農業 沼津市 1944年に金岡村は沼津市と合併。沼津市江原町3-1に沼津市役所金岡地区センターがある。

119頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
駿東郡 長泉村 下村 九九 農業 草履 駿東郡 長泉町 下村の位置は要調査。
〃 泉村 公文呂 三〇 裾野市 公文名 公文呂は公文名の誤記。
〃 髙根村 増田 一〇 六七 日傭 草履、農業 御殿場市 増田 1937年の地区調査票によると、10ヶ年計画で1年に1戸を離散させ、適当な地方に移住させる計画を実施中だった[24]
富士郡 傳法村 坂本 四一 二六六 草履 行商 富士市 伝法 坂本 薬の行商人が多く裕福だった[25]
〃 大宮町 三谷 一五 八〇 日傭 富士宮市 大宮町 内務省社会局『部落改善の概況』(1922年刊)所収「府県別市町村に於て部落改善に関し一般的に施設せる事項及其の成績」に「富士郡大宮町に於ては、曩に火災ありたるを機とし、新たに五間幅の道路を開通し、従来一箇所に集団したりし部落民を点々沿道に移住せしめて、所謂三ツ谷部落なる名称の絶滅を図らんとす」[26]
庵原郡 蒲原村 増田町 一八 一二二 草履 日傭 静岡市 清水区 静岡市清水区蒲原増田小金(のち蒲原小金と改称)と蒲原増田新田(のち蒲原新田と改称)のいずれにあたるかは要調査。
〃 由比村 東町 四一 日傭 行商、草履 静岡市 清水区 由比 由比宿は本町(本陣・旅籠)、西町(鍛冶屋・番匠大工・桶屋等の職人)、東町(伝馬役)から成る。東海道の宿場町においては、部落はその端に設けられる事例が多い。由比宿の東端、由比241の旧街道に枡形の痕跡があり、この付近が東町の可能性。
〃 袖師村 車形 二六 一八四 行商 日傭、草履 静岡市 清水区 西久保 車形は西久保1丁目の五差路辺りの字名。勝沢姓7件、勝澤姓1件。2000年電話帳。
志太郡 藤枝町 南組 三九 二六〇 草履 行商 藤枝市 藤枝 青木姓17件。藤枝1丁目には10件。2000年電話帳。
〃 岡部町 小川 一七 一〇八 藤枝市 岡部町内谷 小川 カゴメ静岡工場前の県道81号線を挟んだ西側付近の可能性。要調査。内谷に稲木姓4件。宮崎姓6件。2000年電話帳。
〃 豊田村 三ヶ谷 二三 一五七 焼津市 三ケ名 三ヶ谷は三ケ名の誤記。地元の水平社の役員に杉山峯吉がいた[27]。杉山姓17件。2000年電話帳。
〃 西益津村 稲川南 三〇 一八四 藤枝市 稲川
〃 島田町 鶴ヶ谷 一二七 七七二 島田市 松葉町 九島姓8件、鶴木姓6件。2000年電話帳。
榛原郡 相良町 大久保 六九 四二二 漁業 牧之原市 波津 大久保 1940年5月の第6回静岡県融和団体連合大会における被表彰者に田中儀三郎あり[28]。波津に田中姓7件。2000年電話帳。
〃 川崎町 十二丁目 七二 五〇八 日傭、養鶏 牧之原市 静波 本杉姓15件。2000年電話帳。
〃 吉田村 南組 五五 三二七 草履、漁業、工業 行商、養鶏 榛原郡 吉田町 神戸 南組の位置は要調査。隣保館がある神戸3934番地の1付近の可能性。
〃 五和村 蕃生寺西組 二九 一九三 草履 日傭、農業 島田市 番生寺 蕃生寺は番生寺の誤記。

120頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
小笠郡 掛川町 橘末広 一六九 一一二九 草履 古物商、行商 掛川市 長谷 自治区名に橘町区と末広町区がある。
〃 中村 田ヶ谷 五三 三五八 農業 草履 掛川市 中 中に白山神社、睦三会館がある。部落西側丘陵は田ヶ谷砦。中央融和事業協会の呼びかけで当地区から満州に移住した笠原正男は、おじが水平社の支部長、父は融和会の理事であった[29]。また当地区出身の松下剛一(水平社の松下伊之吉の孫)が1944年に徴兵され、中国で捕虜となり、1946年に帰国した[30]。笠原姓45件。松下姓46件。2000年電話帳。
〃 笠原村 南区 七五 五一二 草履、古物 日傭、農業 袋井市 岡崎 笠原院内、岡崎南区とも呼称。軽蔑の意味を込めてナンクと読まれることもある[31]。伝承によれば、この部落の先祖は信州から落ち武者に連れて来られ、横須賀城下で甲冑や槍の鞘の修理をしていたという[32]。また、戦国時代末期、天正年間の頃から民間陰陽師の村(院内)だったが、明治3年に政府の意向で陰陽道の廃止が決まると、仕事を失った陰陽師たちが貧民と化し、明治4年の解放令発布当時には穢多非人と同一視されるようになっていたともいわれる[33]。「明治5年(1872)の壬申戸籍令の施行時に旧来の姓を剥奪され一村全員が稲葉姓[34]に変更、賤民と同等視されるようになった」[35]が、1924年11月28日[36]に復姓願いを提出して受理され、小松原姓に戻る。稲葉姓2件。小松原姓13件。富山姓27件[37]。2000年電話帳。歌手の松原健之(本名は小松原健志)の出身地区。
〃 三浜村 西区 三九 二三一 農業 行商、草履 掛川市 浜野 浜野34に白山神社あり。酒井姓15件、松下姓12件。2000年電話帳。
〃 南山村 一ノ谷 二三 一五〇 養鶏、草履 菊川市 河東 河東に一之谷公民館がある。地元の水平社の役員に今坂庄八がいた[38]。今坂姓11件。2000年電話帳。
〃 平田村 奥ノ谷 七八 四一九 草履 日傭 菊川市 下平川 奥之谷
〃 千浜村 九田 四九 三一八 農業、草履 日傭、行商 掛川市 千浜
周知郡 森町 忠右エ門新田 一一 七三 農業 周智郡 森町 宝暦6年(1755年)森町村の太田忠右衛門ら、下河原に新田開発計画を立てる。忠右エ門新田の位置は要調査(森町森528-1の川原町公会堂付近の可能性)。
磐田郡 中泉町 梅原 一九五 一五七三 草履 日傭、行商 磐田市 国府台 1948年に梅原が王子町、1966年に王子町が高町に改称。現在の国府台は高町からの変更。桓武天皇の第4皇子・戒成王が京で癩病にかかり、従者とともにこの地に移り住んだという貴種流離譚が伝わる[39][40]。秋田姓9件、杉本姓6件、頼実姓5件。2000年電話帳。
浜名郡 曳馬町 一本杉 九一 五二七 農業 日傭 浜松市 中区 萩丘 現在の萩丘(旧地名は一本杉二枚皮。のち萩町と改名され、旧・萩町の一部が旧・上島町の一部と併せて萩丘となった[41])には市営住宅萩丘団地(萩丘2丁目17-101ほか)や萩丘集会所(萩丘2丁目15)があるものの、同和住宅かどうかは不明。一本杉そのものは現在の上島や萩丘から小豆餅や葵東などを含む字名。菊池山哉『日本の特殊部落』889-890頁に「三方ケ原の一隅。飛行連隊の為に移転を命ぜられ、七十戸中残るは、十戸のみ」「白山神社。今は豊成神社と改称。自分が訪ねました時に、若い忰は、此所には白山神社は聞かず、豊成神社のみなりと云、老たる病母、床の中より、この宮が白山(しらやま)様なりと忰に教ゆ、忰初めて合点がゆく」とある。打桐姓2件。辻岡姓2件。2000年電話帳。
〃 三方ヶ原村 大谷 六三 三七九 浜松市 北区 三方原町
〃 可美村 東明神野 九八 四六七 草履 行商 浜松市 中区 春日町 茗荷姓2件。2000年電話帳。融和運動家の茗荷茂平(改善会会長)の出身地区[42]。また1925年5月、静岡県融和連盟の設立に参加した一人に茗荷信三がいた[43]。1940年5月の第6回静岡県融和団体連合大会における被表彰者に茗荷良太郎あり[44]。自由同和会会長の茗荷完二の自宅も春日町にあった。
〃 吉野村 須ノ木沢 二八〇 一五八五 農業 草履、養豚 浜松市 中区 花川町 1955年に須之木沢が吉野町に改称。花川町は2000年以降の成立。北村電三郎の出身地区。菊池姓12件、北村姓19件、高倉姓21件、長谷姓19件。2007年電話帳。この地区から分かれた部落に愛知県新城市の野田北村と有海東原がある。
〃 富塚村 段子川 四八 二八四 日傭 浜松市 中区 富塚町
〃 積志村 缼下 三七 浜松市 東区 有玉西町 欠下
〃 白須賀町 新町 八〇 四九六 漁業、日傭 農業、草履 湖西市 白須賀 新町 『部落解放』1982年5月号106-107頁に登場する「静岡県西部の部落」出身の辻岡義隆(1948年生)の故郷の可能性あり。辻岡は高校時代、遊びにいったガールフレンドの家で尋ねられるがままに出身地の地名と苗字を告げた途端、追い返されたという[45]。白須賀に辻岡姓19件。2000年電話帳。白須賀186-1に辻岡義隆名義の登録あり。
引佐郡 三ヶ日町 釣日比沢 二〇 九〇 農業 日傭 浜松市 北区 三ヶ日町日比沢

121頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
静岡市 新通五丁目ノ一部、六丁目、川辺、西区 七七 二九一 履物 日傭 静岡市 葵区 新通一丁目・二丁目、駒形通四丁目・五丁目、川辺町 旧称は白山町、さらに前は毛皮町。また屠児町とも。部落の範囲は旧・静岡市白山町と安倍郡大里町大字田中(ママ[46])にまたがっており、白山町の町域は「北ハ新通五丁目(引用者注、現・駒形通四丁目と新通一丁目と新通二丁目)及六丁目(引用者注、現・駒形通五丁目と新通二丁目)ニ接シ十歩ニシテ直チニ東海道ニ出ツルコトヲ得ベク西ハ安倍川町ニ境シ遊廓(引用者注、現・駒形通五丁目付近)ノ嬌声直チニ耳朶ヲ打ツ東及南ハ一帯郡部ニ界スト雖ドモ耕地整理ノ結果新設セラレタル道路ハ坦トシテ静岡市下魚町(引用者注、現・常磐町二丁目)ニ通シ交通極メテ便ナリ」[47]。地元では七條姓の公卿が没落して賤民になったとの言い伝えがある[47]。大里町大字田中[46]では田中姓[46]の者の子孫との言い伝えがあり、1921年の資料では「現在七條姓ヲ称フル者四戸田中姓[46]ヲ称フル者七戸アルハ或ハ此ノ事実ヲ証明スル一資料タルベキカ」とされている[47]。部落の寺は法栄寺(駒形通四丁目7)[48]。「該部落ニテハ部民(ママ)申合ハセ野犬撲殺ニ従事スルヲ禁セリ」[49]。白山町青年会(元・愛友青年会)の役員に蔦澤姓、稲木姓、筧姓、杉山姓、七條姓、山本姓あり[50]。駒形通に七條姓2件、田中姓10件、蔦沢姓2件、稲木姓1件、筧姓4件、杉山姓14件、山本姓15件。新通に杉山姓6件。駿河区中田に中田姓2件。2000年電話帳。
浜松市 福地 福地 一八七 一〇二一 履物商、日傭 草履 浜松市 中区 富吉町 小山紋太郎の出身地区。小山の本籍地かつ自宅である浜松市福地町22番地に静岡県水平社本部があった[51]。また1930年4月、豊橋歩兵第一八連隊の中佐による部落差別発言を浜松水平社に知らせた花村賛四郎も当地区の出身[52]。堀尾姓9件。花村姓2件。2000年電話帳。
〃 名残 名残 一五二 八一一 農業、日傭 草履、養豚 浜松市 中区 鹿谷町、布橋、文丘町[53] 1928年3月、現・布橋一丁目の追分尋常小学校の5年生である木村福一が差別発言と殴打を受け、骨髄炎・急性脳膜炎で死亡し、浜松水平社による糾弾に発展したとされる[54][55]。布橋に木村姓3件、茗荷姓3件。2000年電話帳。
沼津市 榮町 三六 一四二 履物 日傭 沼津市 末広町[56]
清水市 榮町 二六 一六七 日傭、商業 草履 静岡市 清水区 入江[57] 1888年12月20日付『東雲新聞』に「静岡県下駿河国有渡郡入江町の洗湯業三軒にてハ其の接近村なる上の原村より新平民の入浴に来る者甚ハだ多く」、新平民の入浴が拒絶されたため、新平民が河村為吉を代人として訴訟を起こして勝訴したとの記事がある[58]。上の原は現在の静岡市清水区上原か。河村姓が入江に2件、上原になし。2000年電話帳。
計五一 五二 二六五五 一六一三二

施設等

隣保館

  • 浜松市城北会館 - 静岡県浜松市中区文丘町1番1号
  • 浜松市北星会館 - 静岡県浜松市中区花川町1977番地
  • 浜松市江東会館 - 静岡県浜松市中区富吉町3番3号
  • 浜松市江西会館 - 静岡県浜松市中区春日町41番地の1
  • 磐田市ふれあい会館 - 静岡県磐田市国府台493番地1
  • 袋井市岡崎会館 - 静岡県袋井市岡崎2525番地
  • 掛川市つくし会館 - 静岡県掛川市長谷433番地
  • 掛川市睦三会館 - 静岡県掛川市中5989番地の1
  • 掛川市千浜会館 - 静岡県掛川市千浜4069番地
  • 掛川市浜野会館 - 静岡県掛川市浜野556番地
  • 菊川市立協和会館 - 静岡県菊川市下平川4125番地の9
  • 島田市立福祉館あけぼの - 静岡県島田市松葉町9642番地の2
  • 島田市番生寺会館 - 静岡県島田市番生寺301番地の1
  • 牧之原市立静和館 - 静岡県牧之原市波津1390番地
  • 牧之原市立和光館 - 静岡県牧之原市静波1262番地1
  • 吉田町立神戸西会館 - 静岡県榛原郡吉田町神戸3934番地の1
  • 焼津市さつき会館 - 焼津市三ヶ名396番地
  • 藤枝第4自治会館(旧称:藤枝市立益津会館) - 藤枝市藤枝1丁目10番地の6

関連団体

  • 静岡県水平社本部 - 浜松市福地町22番地 小山紋太郎(小山荊冠)方[59][60]
  • 静岡県水平社静岡支部 - 静岡市[61]
  • 静岡県水平社江尻支部 - 静岡市清水区
  • 静岡県水平社西久保支部 - 静岡市清水区[62]
  • 静岡県水平社二俣支部 - 磐田郡二俣町二俣 堀尾寅吉方[63][64]
  • 静岡県水平社大池東支部 - 小笠郡掛川町大池190 宮下利巧方[65]
  • 静岡県水平社梅原支部 - 磐田郡梅原村2713 頼実喜作方[66][67]
  • 静岡県水平社中泉支部[68]
  • 静岡県水平社大池西支部 - 小笠郡掛川町大池220 服部一郎方[69][70]
  • 静岡県水平社一の谷支部 - 小笠郡南山村河原一の谷4572 今坂正八方[71]
  • 静岡県水平社平田支部 - 小笠郡平田村[72]
  • 静岡県水平社笠原支部 - 小笠郡笠原村 富山源四郎ら[73]
  • 静岡県水平社中村支部 - 小笠郡中村 松下伊之吉ら[74] 
  • 静岡県水平社毛森支部[75]
  • 静岡県水平社岡部支部 - 志太郡岡部町内谷字小川330 稲木文蔵方[76][77][78]
  • 静岡県水平社川崎支部 - 榛原郡川崎町静波1261 鈴木吉蔵方[79][80]
  • 静岡県水平社相良支部 - 榛原郡相良町[81]
  • 静岡県水平社島田支部 - 志太郡島田町鶴ケ谷1833 九島作一方[82][83]
  • 静岡県水平社明神野支部[84]

上記のほか、富士郡大宮町、浜名郡可美村などにも水平社に呼応する人々がいた[85]。また1925年6月7日、梅原水平社結成の日に小笠郡南山村で平野小剣や辻本晴一や小山紋太郎と講演した者に凩幸次郎がいる[86]。凩(こがらし)は2000年電話帳で掛川市 上垂木に1件登録がある稀姓。上垂木は『全國部落調査』に記載のない地区だが白山神社がある。

磐田郡二俣町二俣(現・浜松市天竜区二俣町二俣)も4戸の小部落であり『全國部落調査』に記載がない[87]

  • 部落解放同盟静岡県連合会 - 袋井市岡崎1726-5
  • 自由同和会静岡県本部 - 静岡市葵区安東1-12-9 天の一事務所内
  • 全日本同和会静岡県連合会 - 浜松市東区大瀬町705-2

小集落改良住宅

牧之原市

  • 牧之原市波津西住宅(1号・2号・3号・4号) - 牧之原市波津1158番地1
  • 牧之原市波津西住宅(5号・6号) - 牧之原市波津1390番地2
  • 牧之原市波津西住宅(7号・8号) - 牧之原市波津1147番地1他1筆
  • 牧之原市波津西住宅(9号・10号・11号) - 牧之原市波津1429番地3
  • 牧之原市波津西住宅(12号・13号) - 牧之原市波津1291番地
  • 牧之原市静波改良住宅 - 牧之原市静波1338番地1

島田市

  • 改良住宅1号 - 島田市松葉町9590番地の2
  • 改良住宅2号 - 島田市松葉町9590番地の4
  • 改良住宅3号 - 島田市松葉町9613番地の7
  • 改良住宅4号 - 島田市松葉町9611番地の6
  • 改良住宅5号 - 島田市松葉町9611番地の8
  • 改良住宅6号 - 島田市松葉町9611番地の4
  • 改良住宅7号 - 島田市松葉町9678番地の3
  • 改良住宅8号 - 島田市松葉町9691番地の1
  • 改良住宅9号 - 島田市松葉町9693番地の2
  • 改良住宅10号 - 島田市松葉町9700番地の2

浜松市

  • 富吉団地(一般住宅) - 浜松市中区富吉町4番101号
  • 富吉団地(店舗) - 浜松市中区富吉町7番101号
  • 富吉団地(作業所) - 浜松市中区富吉町13番21号
  • 花川団地(小規模住宅) - 浜松市中区花川町925番地
  • 春日団地(小規模住宅) - 浜松市中区春日町197番地の1

焼津市

  • 改良住宅1号(小集落改良住宅) - 焼津市三ケ名412番地
  • 改良住宅2号(小集落改良住宅) - 焼津市三ケ名305番地

藤枝市

  • 藤枝1丁目団地(改良住宅) - 藤枝市藤枝1丁目4番37号、38号 (2戸)、藤枝市藤枝1丁目7番23号、25号 (2戸)、藤枝市藤枝1丁目7番27号、28号 (2戸)、藤枝市藤枝1丁目9番8号(2戸)、藤枝市藤枝1丁目9番18号 (4階建・24戸)

人権啓発センター

  • 静岡県人権啓発センター - 静岡市葵区駿府町1-70 静岡県総合社会福祉会館4階
  • 浜松市役所健康福祉部福祉総務課 人権啓発センター - 浜松市中区早馬町2-1

白山神社

  • 静岡市駿河区大谷896
  • 静岡市葵区瓦場町152
  • 静岡市葵区長尾461
  • 沼津市内浦重寺172
  • 富士市天間875-1
  • 富士宮市佐折195
  • 掛川市安養寺95
  • 掛川市大池850
  • 掛川市上垂木3177-2
  • 掛川市結縁寺58
  • 掛川市小原子141
  • 掛川市子隣59
  • 掛川市上佐束字高瀬奥西1202
  • 掛川市中5872
  • 掛川市浜野34
  • 掛川市和田464
  • 牧之原市男神431
  • 牧之原市勝間689、690
  • 牧之原市東萩間1266(八王子白山神社)
  • 周智郡森町飯田2590(山名神社)祭神の一つが菊理姫命。
  • 周智郡森町三倉1562
  • 磐田市豊浜中野743
  • 磐田市国府台182
  • 磐田市中泉1289
  • 磐田市豊岡986-2
  • 浜松市中区春日町4
  • 浜松市中区高林1-17-1
  • 浜松市中区富吉町20
  • 浜松市中区花川町
  • 浜松市中区上島2丁目18−8(上島町南公会堂敷地内。1989年2月12日、上島5丁目18-7の神道修成派天白中教会に移遷座)
  • 浜松市中区萩丘2丁目36-1(浜名郡曳馬村大字一本杉=現在の上島町から移転[88])現・豊成神社
  • 浜松市北区引佐町井伊谷1254
  • 浜松市北区細江町気賀3213
  • 浜松市北区三ヶ日町駒場206
  • 浜松市北区三ヶ日町津々崎222
  • 浜松市北区三ヶ日町日比沢276
  • 浜松市北区三ヶ日町上尾奈657
  • 浜松市南区江之島町563
  • 浜松市南区都盛町20-1
  • 浜松市南区恩地町176-1
  • 浜松市天竜区龍山町瀬尻430
  • 浜松市天竜区佐久間町奥領家1014-1
  • 浜松市西区雄踏町宇布見7772
  • 浜松市西区大山町620
  • 浜松市西区大山町2637
  • 浜松市西区和光町268(和光白山神社)
  • 島田市相賀1408-3
  • 島田市伊太1424
  • 島田市川根町笹間下616
  • 島田市大代2584
  • 湖西市入出
  • 熱海市伊豆山上野地708番地1(伊豆山神社境内)
  • 下田市落合276(高根白山神社)
  • 伊東市馬場町1丁目16-40(合祀されて葛見神社)
  • 賀茂郡松崎町雲見347
  • 田方郡函南町畑毛344
  • 伊豆の国市白山堂365
  • 伊豆市八木沢1785
  • 伊豆市田代268
  • 伊豆市城667
  • 袋井市浅羽3593
  • 藤枝市瀬戸ノ谷9964
  • 藤枝市南新屋173
  • 藤枝市上薮田654
  • 菊川市下平川4172
  • 菊川市嶺田4680
  • 菊川市当山3363

出典

  1. 『部落問題・水平運動資料集成』第2巻334, 338頁
  2. 留岡幸助「特種部落と其人口」(『人道』69号所収、1911年刊。1907年調査)
  3. 内務省社会局「全国部落統計表」(内務省社会局『部落改善の概況』所収、1922年刊。1921年調査)
  4. 帝国地方行政学会『地方行政年鑑』1922年(『近代部落史資料集成』第10巻6-7頁)
  5. 静岡県社会課『地方改善実例』
  6. 静岡地方裁判所検事局報告『静岡地方裁判所管内に於ける社会運動の状況』所収「水平運動の状況」
  7. 中央融和事業協会『全国部落調査』(1936年刊。1935年調査)
  8. 同和奉公会『産業調査報告」(1943年刊。1942年調査)
  9. 厚生省よりGHQ民間情報教育局に提出された報告(『資料・占領期の部落問題』所収、1991年刊)
  10. 厚生省社会局「同和対策要望事項調査」(厚生省『同和行政の手引き』所収、1961年刊行。1958年調査)
  11. 内閣総理大臣官房審議室『全国同和地区実態調査結果』(1968年刊。1963年調査および1967年調査)
  12. 内閣総理大臣官房審議室『全国同和地区実態調査結果』(1968年刊。1963年調査および1967年調査)
  13. 内閣総理大臣官房審議室『全国同和地区調査結果の概要』(1972年刊。1971年調査)
  14. 総理府内閣総理大臣官房同和対策室『全国同和地区調査結果の概要』(1976年刊。1975年調査)
  15. 総務庁地域改善対策室『昭和60年度地域啓発等実態把握―生活実態把握報告書―』(1987年刊。1985年調査)
  16. 総務庁地域改善対策室『平成5年度同和地区実態把握等調査―地区概況調査報告書―(統計表編)』 (1995年刊。1993年調査)
  17. 同和対策審議会「昭和38年度 同和地区精密調査報告書 静岡県浜松市吉野町地区」
  18. 『日本の特殊部落』(菊池山哉、東京史談会、1962)
  19. 『農村部落: その地域と社会』181頁
  20. 『解放新聞』1974年9月9日5頁
  21. 『部落解放』1982年5月号107頁
  22. 「『芸能と差別』の深層: 三國連太郎・沖浦和光対談」22頁
  23. 佐野眞一『怪優伝』22頁
  24. 『静岡県水平社の歴史』85頁
  25. 『日本の特殊部落』(東京史談会)512頁
  26. 『部落問題・水平運動資料集成』補巻1、67頁
  27. 『部落問題・水平運動資料集成』補巻1、765頁
  28. 『静岡県水平社の歴史』109頁
  29. 『静岡県水平社の歴史』100-101頁
  30. 『静岡県水平社の歴史』118頁
  31. 『部落解放』1982年5月号106頁
  32. 『部落解放』1982年5月号100頁
  33. 山本義孝『民間陰陽師の村 笠原院内』
  34. 同地では、院内が院場に転じた地名に稲葉の字をあてており、地名の稲葉の読みは「いんば」だった。この地名から姓も稲葉になった。
  35. 『部落問題・人権事典』(部落解放・人権研究所編、部落解放・人権研究所、2001)
  36. 『静岡県水平社の歴史』125頁の年表には1923年9月の記事に「小笠郡笠原、70戸四百数十人の改姓出願」とある。
  37. 静岡県水平社の当地の初代支部長は富山源四郎、次いで小松原新平、富山源七、小松原喜作。『静岡県水平社の歴史』付録4頁を参照。
  38. 『部落問題・水平運動資料集成』補巻1、765頁
  39. 『社会改善公道(覆刻)』(西播地域皮多村文書研究会編、西播地域皮多村文書研究会、1984)
  40. 『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』(前田速夫、河出書房新社、2006)
  41. 飯塚伝太郎『町名の由来: 静岡・清水・浜松・沼津』328頁
  42. 『静岡県水平社の歴史』14頁
  43. 『静岡県水平社の歴史』34頁
  44. 『静岡県水平社の歴史』109頁
  45. 『部落解放』1982年5月号106-107頁
  46. 46.0 46.1 46.2 46.3 『静岡縣安倍郡誌』に「安倍郡大里町大字田中」の記載はない。「安倍郡大里村中田」(現・静岡市駿河区中田近辺)の誤りである可能性が高い。駿河区中田は葵区新通・駒形通・川辺町と地理的に断絶しているが、静岡警察署編『静岡市之研究』18頁(静岡県内務部社会課、1921年)には「大正六年十一月耕地整理施行ノ結果白山町ニ接続セル地(引用者注、西区か)ニ転シ来リシカバ茲ニ再ビ一廓ヲ成スニ至レリ」とある。西区の現在位置は不明。
  47. 47.0 47.1 47.2 静岡警察署編『静岡市之研究』18頁(静岡県内務部社会課、1921年)
  48. 静岡警察署編『静岡市之研究』24頁(静岡県内務部社会課、1921年)
  49. 静岡警察署編『静岡市之研究』20頁(静岡県内務部社会課、1921年)
  50. 静岡警察署編『静岡市之研究』30頁(静岡県内務部社会課、1921年)
  51. 『部落問題・水平運動資料集成』第2巻339頁
  52. 『新聞集成昭和編年史』253頁
  53. 浜松市発行の小冊子「中区を歩く本編その3」([1])の「中区町名の由来」59頁に文丘町の町名の由来として「昭和41年に『名残町』『富塚町』『和地山町』の一部ずつを集めて発足した町。町内や周辺地域に学校が多いため、文教地区の丘陵地ということで『文丘町』とつけられた」とある。また、同冊子58頁に布橋の町名の由来として「昭和41年に『追分町』『上池川町』『名残町』のそれぞれ一部を集めて『布橋一~三丁目』が発足した」とある。また、56頁に鹿谷町の町名の由来として「昭和43年に『名残町』と『亀山町』を中心にして『鹿谷町』が誕生した」ともある。
  54. 『水平新聞』第23号、1928年
  55. 『静岡県水平社の歴史』38頁
  56. 静岡県社会課_地方改善実例_大正十三年三月』の第2項にある「本字栄町」は現在の末広町の可能性。
  57. 静岡県社会課_地方改善実例_大正十三年三月』の第7項による。
  58. 『近代部落史資料集成』第3巻146頁
  59. 『部落問題・水平運動資料集成』第2巻339頁
  60. 他の役員に石井小一郎、杉浦繁尾がいた。『部落問題・水平運動資料集成』補巻1、765頁。
  61. 役員に山本林之助、凩幸次郎、鍋田喜一。『部落問題・水平運動資料集成』補巻1、765頁。
  62. 役員に勝沢勝太郎、勝沢荒太郎。『部落問題・水平運動資料集成』補巻1、765頁。
  63. 『部落問題・水平運動資料集成』第2巻339頁
  64. 堀尾は浜松からの転出者であった。『静岡県水平社の歴史』27頁参照。
  65. 『部落問題・水平運動資料集成』第2巻340頁
  66. 『部落問題・水平運動資料集成』第2巻340頁
  67. 初代支部長は村上文太郎。『静岡県水平社の歴史』29頁参照。
  68. 『部落問題・水平運動資料集成』補巻1、767頁。梅原支部と同じかどうかは要調査。
  69. 『部落問題・水平運動資料集成』第2巻340頁
  70. 1925年8月16日に開かれた大池東西水平社連合大会の開会の辞を読んだのは服部一郎、座長は宮下利巧、綱領を読んだのは服部元一、宣言を読んだのは服部小平、決議を読んだのは服部鯉次郎。『静岡県水平社の歴史』28頁参照。
  71. 『部落問題・水平運動資料集成』第2巻341頁
  72. 『静岡県水平社の歴史』29頁
  73. 『静岡県水平社の歴史』29頁
  74. 『静岡県水平社の歴史』29頁
  75. 所在地不明。現在の掛川市に毛森の地名あり。役員に松下伊之吉、松下常吉。『部落問題・水平運動資料集成』補巻1、765頁。中村支部と同じかどうかは要調査。
  76. 『部落問題・水平運動資料集成』第2巻341頁
  77. 『部落問題・水平運動資料集成』補巻1、765頁では「稲毛文蔵」となっている。
  78. のち支部長は宮崎傳次郎となる。『静岡県水平社の歴史』108頁ならびに内務省警保局『社会運動の状況』。『部落問題・水平運動資料集成』補巻1、765頁では「宮崎徳次郎」となっている。
  79. 『部落問題・水平運動資料集成』第2巻341頁
  80. 役員に鈴木寅吉もいた。『部落問題・水平運動資料集成』補巻1、765頁。
  81. 『静岡県水平社の歴史』29頁
  82. 『部落問題・水平運動資料集成』第2巻341頁
  83. 他の役員に九島己之吉、山田真次、小沢勘一、長谷清、山田今吉、山田嘉一、山田元作がいた。『部落問題・水平運動資料集成』補巻1、765頁。
  84. 『部落問題・水平運動資料集成』補巻1、765頁。東明神野地区は現在の浜松市中区春日町。
  85. 『静岡県水平社の歴史』29-30頁
  86. 『静岡県水平社の歴史』29頁
  87. 『静岡県水平社の歴史』42頁
  88. 静岡県神社庁浜松支部編集『浜松市神社名鑑』(静岡県神社庁浜松支部発行、1982年5月1日、非売品)76頁