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藤川正樹

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伊勢原支部長 住所・電話番号は『電話帳検索・実』及び『Yahoo!検索』に掲載されている。 https://archive.fo/9TRKv

 →江戸時代中期以降から上粕屋に居住、と自称。大学を卒業した1977年に伊勢原市役所に就職、同時に解放同盟の支部準備会を結成、1980年に支部を結成、当初より2016年現在まで支部長。市役所を2013年に60歳で退職した後、日本労働組合総連合会(連合)神奈川県連合会の西湘地域連合の専従事務局長を務める。/ 藤川正樹は

部落解放同盟は部落差別がある中で、役員個人の住所・電話番号は公表しておりません。しかし、「同和地区Wiki」の「部落解放同盟関係人物一覧」には、私の許可なく住所・電話番号を掲載されています。これは、私の平穏な生活を脅かすもので、「生命・自由及び幸福追求の権利」や「社会的身分又は門地により、経済的又は社会的関係において、差別されない」権利を侵害するもので、基本的人権の侵害にあたります。

として、NTTの電話帳「ハローページ」を「憲法違反の差別図書」だと言い掛かりを付けた上、自信が部落解放同盟員だと公言しながら他者が部落解放同盟員だと紹介したら差別だと言い掛かりを付けている。藤川正樹はパブリックコメントで「部落解放同盟神奈川県連伊勢原支部支部長」を公言している。[1]なお藤川正樹は自身が伊勢原市役所職員組合、部落解放同盟に所属していたことを明らかにする一方で、一言も自身が「部落民」「部落出身」だと名乗り出ていない。[2] 藤川正樹は『全国部落調査』の裁判において

私は神奈川県伊勢原市に居住する藤川正樹(63歳)です。判明している限りでは私の先祖は、江戸時代中期以降この地に暮らしています。居住する地域は、現在60世帯弱。貸家等もあり他の区域から来た方もいらっしゃいますが、昔からお住まいの方も多く、高齢化が進んでいる地域です。
地域の同い年の幼なじみが受けた結婚差別を知ったのです。その友人は市内の女性と駆け落ちし、一年ほどして結婚して実家に戻ったと聞きました。彼を呼び出し「何があったのか」と聞きました。彼の話は以下のとおりでした。市内の女性と親しくなり本人同士、結婚を約束した。しかし、相手の親御さんは、自分の居住地から部落出身者と知り猛反対し、自分の親も「相手の親が同和地区出身であることを理由に結婚に反対をしている」ことを知り、息子の将来を考え反対した。双方の親は別れさせるために、無理矢理、別の人との見合いを強行しようとした。二人はそれぞれの実家を出て駆け落ちをせざるをえなかった。

等と述べ、あたかも自身も部落出身であることを匂わせるような表現を用いている。しかし、一方で藤川正樹は以下のようにも述べている。

私は、3年前まで、伊勢原市役所に勤務する公務員でした。退職後の現在は、労働組合の横断組織である日本労働組合総連合会(連合)神奈川県連合会の西湘地域連合(平塚市・秦野市・伊勢原市・大磯町・二宮町が所轄)の団体役員(専従事務局長)をしています。
2 部落解放運動に関わるようになったきっかけ 大学時代に狭山事件を知り、そこから部落解放運動に参加するようになりました。大学を卒業した1977年に伊勢原市役所に就職、同時に解放同盟の支部準備会を結成、1980年に支部を結成、当初より現在まで支部長をしています。また、部落解放同盟神奈川県連の書記次長も兼任しています。大学時代は部落解放運動に関して理念的傾斜が強かったのですが、地元の差別の実態に衝撃をうけ、なんとしても「差別撤廃」を実現する社会運動を地元から創り出す必要を感じてから、本格的に解放同盟の運動に関わるようになりました。

すなわち藤川正樹が部落解放運動を始めたきっかけは「大学で狭山事件を知ったから」であり、部落解放同盟を結成したのは「労働組合運動」の後であることが窺える。藤川正樹の陳述書からはあたかも藤川正樹が「部落出身」であるかのように見せかけているが、本人は「部落出身」であるとは一言も言っていない。このように部落民を騙って被差別者の立場から他者にクレームを付けることは「えせ同和行為」の典型例である。 [3]