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福島県

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概況[編集]

本田豊によると、福島県には三春、平(現・いわき市)、福島、二本松、白河、会津坂下、会津高田(現・会津美里町)などに[1]20ヶ所近く、あるいはそれ以上の被差別部落が存在するという[2]。下記の統計では浜通りや中通りの被差別部落の存在が無視されている、と本田は批判している[3]。川元祥一は『解放新聞』1986年11月24日付のルポ「福島県の部落で」で、県内の部落の数を約30ヶ所、1-2戸の極少数部落を入れると50ヶ所としている。

福島県の被差別部落の統計[4][5]

調査年 地区数 戸数 人口
1869~70年(統計集誌明治15年) - - 2061(非人763)
1907年(内務省) 7 187 1236
1920年(内務省)[6] 6 184 1240
1929~30年(三好伊平次) 6(+?) 177 901
1930年 5 177 901
1935年(中央融和事業協会) 8 173 998
1967年(野本武一) 10 249以上 -
1993年(『東日本の被差別部落』17頁) 17(かつて存在したことは明らかだが近年まだ確認されていない地区は数十) - -

多くの場合は10戸から20戸程度で、戸数僅か1戸のものもある[7]。県下最大の被差別部落は会津若松市西七日町(旧称・祝町)[8]にあり、戸数は120戸にのぼる[9]。現地では外苗(ゲネ)、外内町(ゲナイ町)と呼ばれており、被差別部落民を異民族と見る向きもあるという[10][11]。1877年1月の「福島県管轄北会津郡若松村戸籍」の「北会津郡若松祝町戸籍統計」によると戸数は124、人口600(男288、女312)を数えた[12]。1868年には、戊辰戦争で戦士した会津藩士の死体を処理するにあたり763人の部落民が動員されている。

祝町部落で唯一の富裕層は大津屋の屋号を持つ林家だけで、資産は数億円と伝えられた[13]。昔は大津屋と並び五十嵐という富裕な一族がいた[14]。大津屋は毛皮や竹皮草履、ゼンマイを扱っており、大津屋の当主の末弟が東京の浅草で三和物産という肉屋をやっていた[15]。大津屋は祝町部落に4つある血縁関係(一統と呼ばれる)の最大のものの本家で、大津屋を本家とする血統は約40戸にのぼる[16]。大津屋は2017年現在も東京都台東区今戸1-2-13で毛皮屋を営んでいる(代表取締役は林英彦)。

また「秋田屋喜三郎」を名乗る太鼓製造業者がいた[17]。ただし祝町の部落民の8割から9割は赤貧層である[18]。「このちかく出身の高名な歌手が、若松市のステージで、泣きながら部落でないことを訴えた」といわれる[19]。この歌手は春日八郎(会津坂下町塔寺字大門の生まれ[20])の可能性が高い。

この他、会津若松市の南部には通称イタカ町(ヱタカ町、穢多下町、井高町とも表記[21])という戸数8戸の雑種賎民部落もあったが、黒川べりから材木町の郊外、さらに「材木町ノ東町分」[22]に移っている[23]。材木町2-1-14に「只見線井高町街道踏切」がある。このイタカ町の伝統産業は飴練(あめねり)であった[24]

川元祥一による『解放新聞』1986年11月24日付のルポ「福島県の部落で」には、加倉屋肉店(福島県会津若松市桧町3-26)の店主の鈴木一幸が実名で登場し、「げね町のあれ」と呼ばれて育った旨を述べている。鈴木一幸の叔父の山口慶悟は祝町出身の町会議員(のち県会議員)で、食肉店「山留」(福島県会津若松市西栄町8付近)の店主であった[25]

福島藩では1703年以降、穢多は腰浜村(こしのはまむら。村域は現在の福島市仲間町・腰浜町・上浜町・新浜町・東浜町・浜田町・五老内町・北五老内町・桜木町のほぼ全域ならびに舟場町・宮町・旭町・霞町の各一部)にのみ居住しており、同年の同村には26人の穢多が居住していた[26]。後世、同村からは平野小剣(出生名・栃木重吉)が出ている。野本武一は、福島市の部落について「4戸の部落が駅の近くであったため町の発展を害するとかで強制的に取りのけられていた」と伝えている[27]。水平社の同人では沖田留吉[28]も福島県田村郡の出身であるが[29]、『全國部落調査』に田村郡の部落の記載はない。沖田の出身部落名は不明だが、「隣村滝根町」の小学校の代用教員を務めたという『部落問題事典』の記述と白山神社の所在地から推測すると、船引町(現・田村市)と思われる。なお松島太鼓店が田村市船引町今泉西原162-31にあるが、白山神社の所在地からは離れており、部落との関連は不明。

人口比における穢多の比率が高かったのは湯長谷藩(現・いわき市常磐下湯長谷町)であり、1870年には全戸数1753、全人口8230人のうち、穢多は118戸、485人を占めた[30]

会津藩では若松城下の穢多町から西へ、青津(現・河沼郡会津坂下町青津)、塔寺(現・河沼郡会津坂下町塔寺)、野沢(現・耶麻郡西会津町野沢)、そして越後の津川(現・新潟県東蒲原郡阿賀町津川)へと穢多集落が続いていた[31]。穢多町に対し、非人小屋は若松の名古屋町(現・会津若松市大町)のそばにあった[32]

『ニコライ・A・ネフスキイ氏書翰翻刻(1)』に以下の記述がある。

北神谷の鎮守様は御承知の通り白山神社です。之をあやまつてシラヤマ神社と云ふと百姓が非常に怒る相です。「我々は立派な百姓ですがバンタではあるまいし」と。
右のシラヤマ権現はバンタの神になつて居りますから。白(ハク)山神社の御神体は臼だつたそうです。バンタの外に特殊部落として箕直しと筬掻きがあつて、重に中神谷にゐると高木君が話して呉れました。

中神谷とは、いわき市平中神谷のことであるが、『全国部落調査』には記載がない。

2002年には、埼玉県児玉郡上里町立隣保館の訓練室でデイサービスを利用している女性が「私の故郷の福島県会津田島ではお祭りに参加できない人がいた。その人たちはカーボーといわれていた」と発言し、解放同盟に糾弾されたことがある。しかし、会津田島(福島県南会津郡南会津町田島)の地区も『全国部落調査』には記載がない。因みに南会津郡南会津町(旧・田島町)針生では川田久義が1979年に「川田太鼓工房」を創業している。関連して『同和教育を知る 差別の現実に深く学ぶ』(本田豊、エムティ出版、1992)に「すぐに皮革業を連想する『△田』あるいは『K△』姓は、東日本に関するかぎり、百パーセントに近く部落の苗字であった」との指摘もある。

部落解放同盟は福島県会津地区の部落を暴露した上、住民に部落民になることを強要している。[33]

「部落はない」といわれ

会津地方と米沢市の現状

東北地方の被差別部落研修

「解放新聞」(2012.10.15-2589)

会津坂下町では、部落側だけが側溝が細くなるという現実がいまだに残されている。

(略)

かつて町は、同和対策事業を住民に黙って実施した。住民側は「同和地区実態調査除外申請」を出すまでの事態になり、それ以降、政府の問い合わせに町は応答していない。

文献[編集]

全國部落調査(1935年)[編集]

福島縣 昭和十年二月現在

148頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
福島市 腰浜 代町 三一 食肉商 屠夫、日傭 福島市 上浜町[34] 平野小剣(出生名は栃木重吉)の出身地区。平野姓も栃木姓も現存せず。2000年電話帳。
伊達郡 栗野村 柳田 町ノ内 製革業 伊達市 梁川町柳田

149頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
若松市 祝町 祝町 九五 五六五 食肉商、製革業 草履製造 会津若松市 西七日町 国道252号線から南側の斜めに区割りされている地区が部落、北側の南北に区割りされている地区は一般[35]。1967年に祝町から西七日町に改称。フリガナはイワイマチ。七日町九丁目と呼ばれていた時期もある[36]。同地では滋賀県から来たとの伝承がある[37]。地区の穢多寺(おそらく西七日町3-34の西福寺)を境にして城に近い方を「上」、遠い方を「下」と呼ぶ[38]。「下」は竹細工を主とする恐らく非人系の部落で履物や樽や竹刀を作って暮らしていた[39]。一方「上」は穢多系の部落で肉屋が多い[40]。西七日町1-15に力道山ゆかりの老舗肉屋「肉の庄治郎」があり、店主の姓は鈴木。西七日町3-3に「鈴木静夫食肉店」もある。西七日町2-8に「ナチュラルミートサトー」があり、店主の姓は不明だが恐らく佐藤。西七日町3-17の「ヤマゴ精肉本店」の店主は五十嵐姓。鈴木姓21件。五十嵐姓14件。山口姓9件。磯田姓2件。林姓1件。2000年電話帳。
河沼郡 野沢町 下條 原町 一三 八〇 草履製造、製革 鼻尾製造、日傭 耶麻郡 西会津町 野沢 下條乙
〃 八幡村 塔寺 大門 下町 三四 一八七 食肉商、製革 草履製造 河沼郡 会津坂下町 塔寺 大門 通称、塔寺二区[41]。長野県伊那市高遠の者が、山形県山形市に一時住んで来たのが起源と伝える[42]。この地区から出た著名人に歌手の春日八郎(本名は渡部実)がいる[43]。ただし春日八郎の生家の家業は麺類製造ということになっている[44]。真偽は要調査。渡部姓なし。伊藤姓2件。2000年電話帳。
西白河郡 白河町 下町 六一 製革業 食肉商 白河市 旭町 『白河風土記』の城下桜町の項に「宗祇戻 町の尾穢多町へ移る小坂の所を云ふ」とあり、賤民聚落は桜町の外れにあったことがわかる[45]。旭町1-210-4に白山姫神社があるほか、旭町1-162には山崎太鼓店もある。旭町1-167には大竹肉店もある。旭町は桜町に隣接しており、桜町の外れという条件に合致する。「今昔マップ」(1928~1945年)によると桜町の一部を含む可能性あり。山崎姓6件。大竹姓4件。2000年電話帳。
石城郡 平町 堤内 一六 六三 屠夫、食肉商、製革業、日傭 いわき市 渡辺町上釜戸 堤ノ内
双葉郡 富岡町 郡山 廣畑 農業 製革業 双葉郡 富岡町 上郡山あるいは下郡山 「廣畑」の範囲は要調査。なお双葉郡双葉町には郡山という大字があり、それとは別に渋川という大字に広畑という小字もある。
計八 一七三 九九八

※『解放新聞』1980年9月22日付「東北オルグ座談会」によると、会津高田町(現・会津美里町)の部落は白山神社付近にある。川元祥一による『解放新聞』1987年2月2日付のルポ「福島県の部落で 終」によると、会津高田町の部落は観音北(7戸)であり、観音北からの転出者3戸で形成された部落が内河原(ママ。現在は内川原と表記)にある。このルポには、観音北出身で内川原に住む長原幸男の談話が実名で載っている。長原によると、観音北の総本家は伊藤家であり、それに次ぐ本家は、伊藤家の前に住む長原家である。長原家の祖先は江戸時代に栃木方面から来たとの伝承がある。長原家出身の長原亨は内川原在住であり、会津高田町の町会議員をつとめた。観音北に伊藤姓2件、長原姓なし。内川原甲に長原姓1件。2000年電話帳。

施設等[編集]

隣保館[編集]

  • 福島隣保館保育所 - 福島県福島市須川町3-30

関連団体[編集]

  • 部落解放同盟福島県連合会 - 福島県会津若松市城東町4-16 伊藤勝男方 ℡0242-27-2656
  • 全日本同和会福島県連合会 - 福島県郡山市長者3-5-31
  • 全日本同和会福島県連合会 - 福島県いわき市小名浜住吉字冠木46
  • 全日本同和会福島県いわき地区協議会 - 福島県いわき市内郷綴町七反田17-2-3-3-28

白山神社[編集]

  • 会津若松市北会津町二日町北上川原
  • 会津若松市北会津町伊和保字縄渕乙62番
  • 会津若松市北会津町今和泉
  • 会津若松市西七日町(場所は現在では不明[46]
  • 福島市上浜町10
  • いわき市泉町玉露定田34(八幡白山神社)
  • いわき市平下大越石田167
  • いわき市鹿島町上蔵持字滝浪9番
  • いわき市平北神谷字神下43番
  • いわき市勿来町白米宮沢2番
  • いわき市四倉町字田戸285番
  • 耶麻郡西会津町新郷戸豊州字沢田6313
  • 耶麻郡西会津町宝坂屋敷熊沢1601
  • 耶麻郡猪苗代町長田前田1216
  • 河沼郡会津坂下町塔寺大門1519
  • 河沼郡会津坂下町高寺平林253
  • 須賀川市上小山田古寺60
  • 須賀川市畑田字後山1番(白山比賣神社)
  • 須賀川市袋田字岩根山1番(白山比咩神社)
  • 喜多方市関柴町下柴後田688
  • 喜多方市塩川町遠田字藤木52番
  • 喜多方市岩月町大字宮津字前谷地5038番(喜多方市岩月町宮津荒田とも表記)
  • 喜多方市岩月町大字橿野字台畑374
  • 喜多方市熱塩加納町米岡字元屋敷西丙146番
  • 喜多方市豊川町大字一井字白山社地2200番
  • 相馬郡飯舘村草野沢目木55
  • 東白川郡棚倉町流東山1
  • 西白河郡中島村松崎堂ノ入1(白山比め神社)
  • 伊達郡桑折町平沢上城
  • 伊達郡桑折町成田天上庵12
  • 南会津郡南会津町湯ノ花深沢山戊78
  • 白河市旭町1-210-4(白山姫神社)
  • 大沼郡会津美里町和田目丙1359番
  • 大沼郡金山町大字小栗山字四十刈1616番
  • 田村市船引町春山字戸之内408番(白山比咩神社)
  • 田村市船引町芦沢字上屋形267番(白山比咩神社)
  • 石川郡浅川町大字浅川字荒町114(白山比咩神社)
  • 石川郡浅川町浅川城山85(白山比め神社)

外部リンク[編集]

出典[編集]

  1. 本田豊『新版 部落史を歩く 非人系部落の研究』123頁
  2. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』76頁
  3. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』76頁
  4. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』76頁
  5. 『東日本の被差別部落』(明石書店)17頁
  6. 『東日本の被差別部落』(明石書店)17頁には「1921年(内務省)」とある。
  7. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』77頁
  8. 『部落』1966年4月号、東上高志「ルポ東北の部落」
  9. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』77頁
  10. 上原善広『日本の路地を旅する』文庫版
  11. 『実話ナックルズ』2010年3月号、上原善広「JDT全国の被差別部落を歩く」
  12. 東上高志『川端分館の頃』所収「東北の部落」
  13. 東上高志『川端分館の頃』所収「東北の部落」
  14. 東上高志『川端分館の頃』所収「東北の部落」
  15. 東上高志『川端分館の頃』所収「東北の部落」
  16. 東上高志『川端分館の頃』所収「東北の部落」
  17. 北宮諏方神社祭礼・・祭礼奉祝会 - 平成の名水ものがたり 喜多方
  18. 東上高志『川端分館の頃』所収「東北の部落」
  19. 東上高志『川端分館の頃』所収「東北の部落」
  20. 『日本映画俳優全集 男優編』(キネマ旬報社、1979年)142頁
  21. 『部落の歴史 東日本篇』209頁
  22. 『部落の歴史 東日本篇』209頁
  23. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』87頁
  24. 『部落の歴史 東日本篇』239-240頁
  25. 川元祥一による『解放新聞』1986年11月24日付のルポ「福島県の部落で」
  26. 『部落の歴史 東日本篇』203頁
  27. 野本武一「各地にふきでる組織の芽」(丸山友岐子『解放への飛翔』279-285頁)
  28. 沖田は1931年4月21日に大阪府の舳松部落で病死。婚約者は京都田中部落出身の長田秀子であった。北原泰作『賎民の後裔-わが屈辱と抵抗の半生-』222, 234頁による。
  29. 『部落問題事典』(部落解放研究所)77頁
  30. 『部落の歴史 東日本篇』204頁
  31. 『部落の歴史 東日本篇』205頁
  32. 『部落の歴史 東日本篇』210頁
  33. http://www.bll.gr.jp/siryositu/siryo-syutyo2012/news2012/news20121015-5.html
  34. 『部落史ゆかりの地』(宮武利正、解放出版社、2006)
  35. 上原善広『日本の路地を旅する』文春文庫版、360-366頁
  36. 東上高志『川端分館の頃』所収「東北の部落」
  37. 東上高志『川端分館の頃』所収「東北の部落」
  38. 上原善広『日本の路地を旅する』文春文庫版、368頁
  39. 上原善広『日本の路地を旅する』文春文庫版、368頁
  40. 上原善広『日本の路地を旅する』文春文庫版、368頁
  41. 『部落解放』1994年12月号、24頁
  42. 『辺縁の未解放部落史研究』(木下浩、柏書房、1986)
  43. 『日本映画俳優全集 男優編』(キネマ旬報社、1979年)142頁
  44. 『日本映画俳優全集 男優編』(キネマ旬報社、1979年)142頁
  45. 原田伴彦『日本封建制下の都市と社会』208ページ
  46. 上原善広『日本の路地を旅する』文春文庫版、367頁