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石川県

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概要

石川県・富山県における戸数別被差別部落分布図.jpeg

県内の被差別部落や被差別部落民の数について、現在の公式統計ではゼロとされているが、本田豊は70ヵ所、1万人ほどと推定している[1]

金沢市には江戸時代に「非人町」「隠亡町」と呼ばれた町があり、非人頭と配下の非人が住んでいた[2]。また「穢多町」と呼ばれた町もあり、皮革職人が住み、享保年間には戸数41戸を数えた[3]。なお加賀藩でいう藤内は隠亡のことであり、穢多は皮多と同義である[4]。藤内は穢多と違って牛馬の皮剥を業としないことから、穢多の上輩とされていた[5][6]。「加賀藩では、藤内は斃牛馬処理はおこなわず、主として警察、刑場関係の下役人足をつとめ、皮多は下役人足をやらず、皮関係に専従した」と成沢栄寿は記す[7]

現在では「非人町」「隠亡町」と「穢多町」は融合し、浅野川の流れに沿って約300戸の被差別部落を形成している[8]。これは金沢市京町(旧称・浅野中島)のことと思われる。この町は旧称を浅野新町といい、江戸時代は浅野非人町ならびに浅野隠亡町と呼ばれていたが、1871年の太政官布告で改称・合併されたものである[9][10]。ただし前田利家の入城前の穢多町は松原町(現・香林坊1丁目、尾山町)にあったが[11]、やがて枯木橋のたもと(現・橋場町付近)へ移された[12]

承応元年(1652年)、加賀藩は藤内頭支配の者に就き、7人の非人頭を択ばしめ、石川郡中村領・加賀郡浅野中島村領に居屋敷を与えたが、そのうち中村は、寛文12年(1672年)6月の洪水に流失したから、笠舞村領の川原を替地とした。今日、金沢市笠舞1丁目5-15に「非人清光の碑」がある。また金沢市内では梅沢町(旧称は浅野中島村の地内字梅沢)も皮多系の被差別部落であった[13][14]

その他、石川郡米丸村(現・金沢市)[15]、石川郡戸板村(現・金沢市)[16]、石川郡観音堂町(現・金沢市)[17]、石川郡松任町(現・白山市)[18]、野々市市[19]、七尾市[20]、小松市[21]にも被差別部落が存在する。特に戸板村には穢多身分の上輩である藤内の頭の屋敷があった[22]。『加越能各町戸数寺社等調』によると七尾市の所口町には加越能最大の部落があったというが[23]、『全國部落調査』に所口町の地名は見えない。

石川県の被差別部落の統計[24]

調査年 地区数 戸数 人口
明治初年 不明 不明 非人0、穢多11695[25]
1907年 83 806 4064[26]
1921年 31 966 4670[27]
1922年 40 837 4019[28]
1935年 47 563 2671[29]
1942年 - 406 1907[30]
1963年 4 778 地区全体3710、同和関係389[31]

石川県同教の第33回部落史研究会における角谷正人の報告について『解放新聞』は2007年9月17日付で下記のとおり報じている。

1907(明40)年の内務省調査で、石川県の部落数は「83」。これが1935(昭10)年の中央融和事業協会調査では「47」になる。その差は「36」。
「この36の違いはどこから生じたか」というのが、今回の報告の骨子。
『北越被差別部落史研究』所収の「石川県・富山県(旧加賀藩・旧富山藩領)における戸籍別被差別部落分布図」には、1935年調査の「47」地区がマーキングされているが、
この分布図上の空白地にも被差別部落の存在が確認できることを、過去の聞き取りや資料の裏付けで説明した。

1921年調査には金沢市の浅野川沿いの一地区が「234戸・841人」として登場するが、ここは被差別部落というより在日朝鮮人地区であり、1935年の『全國部落調査』では一覧から除外された[32]

『石川県鹿島郡誌』によると、焼尾(現・鹿島郡中能登町。正確な位置は不明だが鹿島郡中能登町石動山子1番地の伊須流岐比古神社の近く)の部落民は垂仁天皇第八ノ護津別命に随従して移住してきた十二臣の末裔との伝承を持ち、戸数は6。命の墓と伝える古墳を誉津石(よづいし)権現と称し、墓を守って暮らしていた。「焼尾の部落民は山僧のため婦女子を刧(おびやか)さるゝを恐れ彼等を近付かしめざるがため自ら欺きて穢多を称せしなり」と同書にある。

竹細工は部落の専業といわれてきた[33]。反戦川柳作家の鶴彬(出生名は喜多一二)は河北郡高松町(現・かほく市)の竹細工職人の息子だが、高松町の部落は『全國部落調査』に記載が見えない。

文献

全國部落調査(1934年)

石川縣 昭和九年一月現在

150頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
金澤市 浅野新町 八五 四一五 日稼 藁細工 金沢市 京町 1966年に浅野新町が京町に改称。
〃 梅沢町 五一 二一二 金沢市 京町、梅沢町 1966年に梅沢町の大部分が京町となる。現在の梅沢町に民家はなく電車の線路のみがある。梅沢町は穢多系の部落で非人系の部落の浅野新町と融合し京町になった[34]。本田豊が『新版 部落史を歩く 非人系部落の研究』24頁で「金沢市内にある大きな部落の場合には7割がかつての『非人』であって残りが『エタ』である」と書いているのは京町のこと。
能美郡 中海村 原 四七 小松市 原町 道上姓2件。2000年電話帳。
〃 〃 中 一一 小松市 中海町 1955年に中が中海町に改称。
〃 湊村 一三 農業 白山市 湊町
〃 寺井野町 寺井 一六 漁業 能美市 寺井町

151頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
石川郡 松住町 北町 二一 日稼 藁細工 白山市 旭町 松住町は松任町の誤記。北町踏切が旭町にある。
〃 戸板村 向増泉 六五 二七二 日稼、職工、雑業 金沢市 大和町 1943年に向増泉が大和町に改称。
〃 〃 南廣岡 二二 金沢市 南広岡町
〃 〃 向中 三一 金沢市 向中町
〃 野々市町 五一 二五四 日稼 藁細工 野々市市 現在の本町のどこかである可能性が高い。要調査。古くは狐藪(現在の菅原町)に刑場があったと伝えられる[35]
〃 鶴來町 一九 一二〇 日稼、漁業 白山市 白山市の旧・鶴来町域。すなわち、明島町、鶴来朝日町、荒屋町、行町、安養寺町、安養寺、井口町、鶴来今町、鶴来後山、鶴来大国町、大竹町、小柳町、鶴来上東町、鶴来桑島町、坂尻町、三宮町、七原町、柴木二丁目、柴木町、鶴来下東町、白山町、鶴来新町、鶴来清沢町、曽谷町、知気寺町、鶴来知守町、鶴来千原、月橋町、道法寺町、富光寺町、中島町、中ノ郷町、熱野町、鶴来日詰町、日御子町、日向町、鶴来日吉町、深瀬新町、部入道町、鶴来古町、鶴来本町一丁目~四丁目、鶴来水戸町、鶴来水戸町二丁目~四丁目、明法島町、明光一丁目~四丁目、森島町、八幡町。被差別部落の位置は要調査。
〃 旭村八田 三三 藁細工 白山市 八田町
〃 笠間村 笠間 一四 五〇 日稼 藁細工 白山市 笠間町
〃 米丸村 中 五〇 二二九 金沢市 中村町 1935年に中から中村町に改称。『石川県石川郡誌』第49章米丸村[36]によれば、中村神社について「中に鎮座す。郷社にして、武甕槌命・経津主神・天児屋根命・比咩大神を祀り」とある。この中村神社は中村町16にある。[37]
〃 安原村 下福増 二〇 一一〇 農業 魚行商 金沢市 福増町 1954年に下福増が福増町に改称。
〃 〃 打木 一六 八八 漁業 藁細工 金沢市 打木町
〃 福留村 福留 一三 白山市 福留町 浅野姓1件、林姓3件。2000年電話帳。
河北郡 森本村 南森本 二二 日稼 金沢市 南森本町
〃 〃 吉原 五二 左官 金沢市 吉原町
〃 七塚村 白尾 一六 八三 藁細工 日傭 かほく市 白尾
羽咋郡 志加浦村 町 二六 日稼 羽咋郡 志賀町 町 志賀町の中にある「町」という町域。
〃 末森村 今浜 雑業 羽咋郡 宝達志水町 今浜

152頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
羽咋郡 志雄村 吉野屋 二六 農業 羽咋郡 宝達志水町 吉野屋
〃 西土田村 佛木 二一 農業 藁細工 羽咋郡 志賀町 仏木
〃 堀松村 北吉田 一〇 履物製造 羽咋郡 志賀町 北吉田
〃 〃 末吉 一三 製皮 羽咋郡 志賀町 末吉
〃 高浜町 大念寺 一〇 六七 農業 日傭 羽咋郡 志賀町 高浜町
〃 富來町 地頭町 三二 羽咋郡 志賀町 富来地頭町
〃 〃 領家町 羽咋郡 志賀町 富来領家町
〃 西浦村 笹波 一八 漁業 羽咋郡 志賀町 笹波
〃 邑知村 飯山 一五 商業 羽咋市 飯山町
〃 〃 神子原 一〇 農業 日傭 羽咋市 神子原町
鹿島郡 七尾町 日吉町 三八 日稼 七尾市 郡町 『七尾町誌』の地図[38]によれば、大地主神社付近、現在は山王湯とサイクルメディアショップJ&Jがある区画に日吉町があった。
〃 矢田郷村 竹町 二二 八九 七尾市 竹町 「竹町村の藤内居住地は、能登半島でももっとも人口の多い地区で、鹿島郡内に二人いた藤内頭の一人を擁し五郎左衛門と称した。そして『加賀藩史料』(第12編)の「竹町村藤内由来」によれば、伝承として東北地方へ近世初期から薬売りに出かけていたことが知れる」(部落問題研究所編『部落の生活史』178頁)
〃 東島村 野崎 七尾市 能登島野崎町
〃 〃 鰀目 七尾市 能登島鰀目町
〃 能登部村 能登部 二三 農業 鹿島郡 中能登町 能登部上、能登部下 雨の宮古墳群が近い。
〃 崎山村 鵜浦 一三 藁細工 七尾市 鵜浦町
〃 石崎村 一〇 日稼 七尾市 石崎町

153頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
鹿島郡 御祖村 小田中 二四 履物製造 鹿島郡 中能登町 小田中 崇神天皇皇子大入杵命墓あり。
〃 赤藏村 北側 一六 日傭、醫師 七尾市 三引町付近 旧・赤蔵村(のち和倉町を経て田鶴浜町)北側の位置は要調査。
〃 〃 上野側 一七 農業 七尾市 三引町付近 旧・赤蔵村(のち和倉町を経て田鶴浜町)上野側の位置は要調査。現在の七尾市上野ケ丘町(旧住所の鹿島郡田鶴浜町上野ケ丘)付近の可能性。
鳳至郡 三波村 矢波 一三 漁業 鳳珠郡 能登町 矢波
〃 〃 波並 一一 鳳珠郡 能登町 波並
〃 〃 藤波 一三 鳳珠郡 能登町 藤波
〃 諸岡村 道下 三二 日稼 輪島市 門前町道下
計三四 四七 五六三 二六七一

施設等

関連団体

  • 部落解放同盟北陸事務所 - 石川県金沢市西念3丁目3-5
  • 全日本同和会石川県連本部 - 石川県金沢市玉鉾1-47-1

出典

  1. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』122頁
  2. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』127頁
  3. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』127頁
  4. 『加能郷土辞彙』91頁
  5. 『加能郷土辞彙』578頁
  6. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』133頁
  7. 『表現の自由と「差別用語」』(部落問題研究所)101頁
  8. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』128頁
  9. 『同朋運動史資料: 西本願寺教団と同和問題』第1巻、135頁
  10. 『部落』第181号、成沢栄寿「素顔の部落」
  11. 成沢栄寿『日本歴史と部落問題』41頁
  12. 『金沢古蹟志』巻廿九、27頁
  13. 『金沢古蹟志』巻丗一、45頁。
  14. 『部落』第181号、成沢栄寿「素顔の部落」
  15. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』124頁
  16. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』124頁
  17. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』138頁
  18. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』125頁
  19. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』138頁
  20. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』138頁
  21. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』138頁
  22. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』133頁
  23. 『解放の道』1982年9月25日付の丹波正史「越中をいく」第5回
  24. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』122頁
  25. 穢多に関しては藤内などの雑種賎民を含む数字であろうと本田豊は『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』122頁で推測している。
  26. 留岡幸助「特種部落と其人口」(『人道』69号所収、1911年刊。1907年調査)
  27. 内務省社会局「全国部落統計表」(内務省社会局『部落改善の概況』所収、1922年刊。1921年調査)
  28. 帝国地方行政学会『地方行政年鑑』1922年(『近代部落史資料集成』第10巻6-7頁)
  29. 中央融和事業協会『全国部落調査』(1936年刊。1935年調査)
  30. 同和奉公会『産業調査報告」(1943年刊。1942年調査)
  31. 内閣総理大臣官房審議室『全国同和地区実態調査結果』(1968年刊。1963年調査および1967年調査)
  32. 本田豊は『新版 部落史を歩く 非人系部落の研究』176, 278頁
  33. 『宿毛の部落史』427頁
  34. 本田豊『部落史からみた東京』211頁
  35. 長岡博男『加賀能登の生活と民俗』163頁
  36. 近代デジタルライブラリー588コマ目
  37. Wikipedia中村神社
  38. 近代デジタルライブラリー七尾町誌87コマ目