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沖縄県

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概要[編集]

沖縄には日本社会における奴婢や穢多、非人などの賤民はいなかった[1]。折口信夫は「琉球には、特殊部落とてはない。唯、念仏者を特殊扱ひするだけで、皮屋も、屠児も嫌はない」と記している[2]

しかし宮良當壮によると、沖縄の伝統芸能「京太郎」(チョンダラー)を演じる人形師は首里郊外の安仁屋村(現・那覇市首里久場川町)に住み、一般人から疎外されて暮らしていたという。宮良はまた「安仁屋村は賤民部落であって、入ることじたい、はなはだしい不浄とされた」とも記している[3]。チョンダラーは、喜舍場永珣『八重山民謡誌』では「首里郊外の特殊部落にいた賤民」と説明されている。

彼らが差別されるようになった理由には諸説あるが、通説としては、薩摩藩島津氏の琉球侵略のときに島津軍のスパイとなって働いたこととされる[4]。安仁屋村にはこのほか、ニンブチャー(念仏者)という弔い師、フィンガナーという乞食[5]、ニンブー(あるいはボーシチナー=棒敷人)という葬儀関係の日雇い人夫がおり、これらはいずれも賤民であった[6]。安仁屋村の住民の数は、1772年には14人、1800年には13人、1826人には16人と記録されている[7]

宮良當壮は、論文「沖縄の人形芝居」の中で、チョンダラーを被差別部落出身の遊芸者の子孫と推定した[8][9]。また折口はチョンダラーの起源を京都に求め、京太郎の琉球への渡来を島津藩の琉球侵攻(1609年)以前と推定している[10][11]

沖縄の賤民部落は第二次大戦末期の沖縄戦で焼き払われ、住民は全島に散らばったとされているが、実際は八重山諸島のある島に集団で移ったことが確認されている[12][13]。この「ある島」がどこなのか本田豊は明かしていない。

また琉球には、賤民身分として行脚(あんぎゃ)があったとする資料もある[14]。行脚の近世後期の琉球における人数は十数人とする[15]

ある人からの話として、首里区汀良町(現・那覇市首里汀良町)ビンヂリ毛の東にシイドという通称の一般民と交際しない1戸があるとする投書が載ったこともある[16]

なお全日本同和会は沖縄県に事務所を置いていたことがある[17]。人権連は次のように伝える[18]

1978年、政府対応団体の「沖縄県連合会準備会」が県庁に押しかけ、同和対策事業を開始するように強要した。
行政は沖縄には同和地区はないというと、「他府県から移住した者で同和事業対象者がいる」と凄む。
交渉には、大分、宮崎、熊本、鹿児島の各県連組織が動員された。
1979年の沖縄県連の本部上納金は10万円になっていた。

2016年現在、全日本同和会を含め、同和団体の事務所の存在は沖縄県で確認できない。

出典[編集]

  1. 宮城栄昌『琉球の歴史』154頁
  2. 折口信夫「沖縄採訪手帖」、折口信夫全集第16巻所収
  3. 『宮良當壮全集』第12巻
  4. 本田豊『新版 部落史を歩く 非人系部落の研究』261頁
  5. 後藤淑『遊行芸能』202頁
  6. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』251-252頁
  7. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』253頁
  8. 『宮良當壮全集』第12巻
  9. 上原善広『日本の路地を旅する』
  10. 折口信夫「偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道」、折口信夫全集第3巻所収
  11. 折口信夫「沖縄採訪手帖」、折口信夫全集第16巻所収
  12. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』261頁
  13. 本田豊「沖縄の被差別民」(『差別とたたかう文化』第12号)
  14. 『部落問題事典』(部落解放研究所編、部落解放研究所、1986)
  15. 『部落問題事典』(部落解放研究所編、部落解放研究所、1986)
  16. 『琉球に特殊民なし』(『民族と歴史(復刻版)第6巻 第5号』(民族と歴史編輯所編、不二出版、1997)所収)
  17. https://web.archive.org/web/20040609082636/http://www6.ocn.ne.jp/~zinken/kurosawa.htm
  18. https://web.archive.org/web/20071006080433/http://www013.upp.so-net.ne.jp/Isemori-jinken/newpage8-12.htm