平成29年5月7日 荒らしが再発したため、匿名編集を制限しました。編集依頼やアカウント作成依頼はburaku[at]protonmail.chまで。

新潟県

提供: 同和地区Wiki
移動先: 案内検索

概況

越後の部落について菊池山哉は「最北の岩船郡だけに13ヵ所もあり、他の広大な地域に殆んどありません」[1]と述べているが、成沢栄寿はこれを不正確な記述と批判し[2]、上越では高田、中越では小千谷、下越では村上が部落の拠点となっていると述べている[3]。ただし新潟地方裁判所検事局『新潟地方裁判所管内に於ける社会運動の状況』所収「新潟県下部落概況」(1929年10月)には、部落民の分布状態について「岩船郡の1612人を最多とし、新潟市の12人を最少とす」とある[4]

県内の被差別部落の数は1921年度の調査では32、1935年の調査では59、1975年の調査では16にのぼる。戸数と人口は、それぞれ580戸2929人、787戸4363人、220戸841人であった[5]。ただし、部落解放同盟新潟県連合会の亀井喜代二は新潟県西部の上越地方だけで131の被差別部落があると主張していた[6]。県下の部落の数について、亀井喜代二は「80から100近い」と述べていたこともある[7]。その他、部落解放同盟高田支部は1971年に県内の部落の数を70から80としている[8]

本田豊によると、新潟県の河川のほとんどにはワタリやタイシと賤称される渡守[9]の被差別民の少数部落が存在するが統計上は無視されることが多く、そのような事情を加味すると県内の被差別部落の数は300ヵ所前後、部落人口は1万人以上にのぼるであろうという[10]。1934年版の『融和事業年鑑』には「153地区、7917人[11]」という数字が載っている[12]。このうち同和地区指定を受けたのは18地区、そのうち部落解放同盟支部のあるのは6地区である[13]。同和地区指定を受けた被差別部落の一つは新発田市住吉町にある(1976年に指定、1981年に部落解放同盟支部結成[14])。世帯数は40で「羽黒町サンマイ」(サンマイすなわち三昧は墓地の意味)の通称がある[15]

県内最大の被差別部落は上越市北本町4丁目(旧・西村町。勘兵衛町とも)であり、戸数は1980年の資料で60戸にのぼる[16]。1776年の文書には、春日山御代(上杉時代)における直江津の砂山の城の庭掃きとして鶴若・亀井・紫の名が登場するが、西村町には今日なお鶴若・亀井・紫の姓を名乗る住民が現存している[17]

このほか、村上市平林湯ノ沢(旧・神林村)には渡守の被差別部落があり、1985年国勢調査では人口394人、世帯数は103を数える[18]

村上市内の三面川の河口には約60戸の未指定地区があり[19]、山名伸作はI町と記している[20]。岩ヶ崎のことと思われる。村上市内では、荒川の河口近くの砂丘の突端にも未指定地区があり、山名伸作はSと記しているが[21]、塩谷のことと思われる。

胎内市乙(きのと、旧・中条町)の乙宝寺の前にも10戸ほどの未指定地区がある[22]。しかし未指定でありながら密かに5億8000万円規模の同和事業をおこなっていたといわれる[23]。旧・中条町には合計4ヶ所の被差別部落がある[24]

小千谷市には40戸から2戸まで5つの被差別部落がある[25]。小千谷市の被差別部落の土地の多くは、詩人西脇順三郎の実家が所有している[26][27]

また新潟市を描いた町絵図「新潟真景」に「穢多町」の表記があり、新潟市郷土博物館での展示中に問題とされ、回収騒ぎに発展したことがある[28][29][30]。この穢多町は、現在の「行形亭」(いきなりや、新潟市中央区西大畑町573)の脇にあたる。
「新潟真景」中央右下の茶屋の隣、牢屋の前に「穢多町」の文字が読み取れる。

新潟県の被差別部落の統計[31]

調査年 地区数 戸数 人口
1907年 23 700 3595[32]
1921年 23 580 2929[33]
1928年 153 1472 9717[34]
1929年 59 866(部落を形成しない戸数606を足すと1472) 4530(部落を形成しない人口3387を足すと7917)[35]
1935年[36] 59 787 4363
1942年 - 307 1662[37]
1946年 - - 5783[38]
1958年 59あるいは統計なし[36] - -[39]
1963年 23 1609 地区全体8322、同和関係2101[40]
1967年 20 地区全体2018、同和関係438 地区全体9752、同和関係1813[41]
1971年 15 地区全体1436、同和関係245 地区全体6484、同和関係983[42]
1975年 16 地区全体2463、同和関係220 地区全体8706、同和関係841[43]
1976年 18 269 1051[44]
1985年 18 地区全体2887、同和関係269 地区全体10446、同和関係1051[45]
1993年 18 地区全体2910、同和関係211 地区全体10731、同和関係724[46]


明治初期の『新潟藩政一覧表』による賤民の分布統計[47]

  • 高田 - 336戸、1778人
  • 柏崎 - 1474人
  • 村上 - 981人
  • 新潟 - 401人
  • 新発田 - 378人
  • 糸魚川市清崎 - 299人

歌手の小林幸子の実家「小林精肉店」は新潟市中央区元下島町(現・智泉院)にあったが、『全國部落調査』に新潟市の地区の記載はない。新潟県知事の米山隆一の実家は新潟県北魚沼郡湯之谷村(現・魚沼市)七日市新田127の養豚農家で「セイジロー肉店」を兼業しているが、『全國部落調査』に七日市新田の地名は見えない。

また上越市板倉区針に10戸55人の部落がある[48]。1928年、共同浴場における部落民への入浴時間制限をめぐる紛争では部落民の代表者の氏名が橋沢喜四郎と記録されている[49]。橋沢姓3戸。2000年電話帳。

上越市板倉区関根に十数戸の部落がある。板倉中学校の教師が中頸城郡特有の賤称語であるニシグラ[50]を使って発言をしたとして田沢姓の者の家に謝罪に訪れたと『解放新聞 1951年12月20日号』(解放新聞社)に報じられている。田沢姓2件。2000年電話帳。

部落民のことを上越ではニシ、下越ではタイシと俗称する[51]。前者は上越の部落の本拠地である西村(現・上越市北本町4丁目)[52]、後者は渡し守の聖徳太子信仰に由来すると考えられる[53]。ただしタイシについては「落人説の一種で、何らかの理由で武士が武士でなくなったもの。『退士』説である」と解する向きもある[54]

中国文学者で大東文化大学学長となった小柳司気太(おやなぎ しげた)は西蒲原郡小吉村(現・新潟市西蒲区小吉)[55]もしくは岩船郡上保内村(現・三条市上保内)[56]の生まれで旧姓熊倉、朝日新聞長野支局「ルポ 現代の被差別部落」朝日文庫版p.107[57]では被差別部落から現れた例外的な教育者・学者として描かれているが、『全國部落調査』に新潟市や三条市の地区の記載はない。また浅見惠は小柳司気太の両親について「父は代々医家である熊倉玄周、 母は現西蒲原郡中之口村東中の代々庄屋役を勤めた小柳清長とヤスの娘クマである」[58]と述べているのみで、部落出身とは記していない。

「むつ市の五億円強奪事件の主犯・S(引用者注、篠原誠。のち改姓して三木誠)がテキヤの出身で、『全日本同和会新潟県連会長』『田中角栄を支援する会信越クラブ代表』の肩書きつきの名刺を使い、実際にも選挙応援を買って出ていた」と溝口敦『ヤクザという生き方』文庫版313頁にある。

芝浦屠場では屠夫の半分以上を新潟県出身者が占めるのではないかといわれている[59]

1927年には高田市で大島新之助が部落から初めて市議選に当選している[60]。大島の出身地区名は要調査。

八切止夫は、柏崎市西山町坂田出身の田中角栄について山窩の出だった可能性を示唆したが[61]、信憑性は不明である。

会津藩では若松城下の穢多町から西へ、青津(現・河沼郡会津坂下町青津)、塔寺(現・河沼郡会津坂下町塔寺)、野沢(現・耶麻郡西会津町野沢)、そして越後の津川(現・新潟県東蒲原郡阿賀町津川)へと穢多集落が続いていたと『部落の歴史 東日本篇』205頁にあるが、阿賀町の部落は『全國部落調査』に記載がない。

文献

全國部落調査(1928年)

新潟縣 昭和三年五月現在

51頁

1680年頃の高田城下絵図(部分)。図面上部に「西邑町」の表記が見える。
元治期(1864年~1865年)頃の高田城下絵図(部分)。図面上部に「西村町」「乞食牢」「白山社」の表記が見える。
上掲の古絵図における「西邑町」「西村町」の地名の掲載が問題視されたことを受けて『高田開府四◯◯年』に添付された文書。絵図に「穢多町」等の記載は一切ないので上掲の古絵図の刊行を問題視すること自体が意味不明であるが、添付文書の筆者は「被差別部落の地名も含まれています」と言いつつ具体的な地名を挙げていないため、さらに不可解な内容となっている。のみならず、文末の参考文献は「西邑町」「西村町」が被差別部落であることを知る手段となっているため、被差別部落の地名を隠したいのか拡散したいのか、ますますもって意味不明な内容となっている。
部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
高田市 西村町 一〇三 五六五 日傭 革細工 上越市 北本町 4丁目 明治36年の段階では約400世帯、昭和60年では約60世帯[62]。昭和37年当時は70-80戸、うち3分の1が部落外からの混住者[63]。人口が激減した理由の一つについて、地元民の白川吉春は「高田三十連隊の廃馬処理にからんで部落の人たちが分けて食べてしまった。このことが身辺の人々に忌み嫌われ信用ががた落ちになり日雇い人夫にも使ってもらえなくなり、よそへ稼ぎに行かざるを得ない状況になってしまった」[64]と述べている。1930年に西村町が北本町に改称。一般と部落の境界線は、上越市北本町3-3-1(現在は移転済)の国厳寺の北側にあった陀羅尼口番所、一里塚(のち道路工事に伴い数十メートルほど北に移動し、北本町4丁目、樋口石材の少し北、小菅商店の向かい)であることを『解放新聞』が暴露している[65]。にもかかわらず「高田開府400年祭」の記念誌に古地図や部落名が記載されていたことを石平春彦・上越市議が指摘し、同市は記念誌の販売を中止した。[66]後に「部落差別問題を解説するA4の文書1枚を添付」することで販売が再開された。[67]解説は部落名や部落の具体的場所を今まで知らなかった人にも知らせる内容となっている。この一件は部落名が含まれた書籍・地図を出版するのは解説書を添付することで可能であるという画期的な行政実例となった。浦沢姓6件、亀井姓1件、紫姓1件、鶴若姓1件。2000年電話帳。
西頸城郡 名立町 名立小泊 一二 上越市 名立区名立小泊
〃 能生町 能生 五一 糸魚川市 能生
〃 〃 能生小泊 糸魚川市 能生小泊
〃 下早川村 新町 三五 糸魚川市 新町
〃 大和川村 梶屋敷 糸魚川市 梶屋敷
〃 〃 田伏 二六 糸魚川市 田伏
〃 〃 大和川 二九 糸魚川市 大和川
〃 西海村 田中 糸魚川市 田中
〃 〃 眞光寺 糸魚川市 真光寺
〃 〃 平井 糸魚川市 「平井」の範囲は要調査。

52頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
西頸城郡 糸魚川町 押上 日傭 糸魚川市 押上
〃 〃 寺町 二一 糸魚川市 寺町
〃 〃 横町 三三 一八四 糸魚川市 横町
〃 〃 上刈 二六 糸魚川市 上刈
〃 根知村 根小屋 六一 糸魚川市 根小屋 「根知谷根小屋村の月岡氏は、『先祖(武士)が天正十年信州から落ちてきた折、又右衛門、かくえむ(角右衛門か)二名を随伴し、根知城下に落ちついた』と伝える。又右衛門・角右衛門はともに近世の穢多身分となっている」[68]。天正10年は1582年。月岡姓9件。2000年電話帳。
佐渡郡 相川町 新浜町 三〇 一三八 藁細工 佐渡市 相川新浜町 1943年ごろ相川下戸村1-1の相川小学校の脇に位置する2ヶ所に分散移転。
〃 〃 下梠川 佐渡市 下相川
〃 〃 三丁目新浜町 佐渡市 相川三町目新浜町 1943年ごろ相川下戸村1-1の相川小学校の脇に位置する2ヶ所に分散移転。
〃 〃 市町 佐渡市 相川市町
〃 河原田町 高浜町 一四 六四 佐渡市 河原田本町 高浜町 非人部落が圧倒的に多い佐渡では僅少な穢多部落の一つで、相川と並び、皮細工を扱っていた[69]
〃 新穂村 爪生屋 五三 佐渡市 新穂瓜生屋 大上姓2件。2000年電話帳。
〃 〃 上新穂 佐渡市 上新穂
〃 畑野村 小倉 藁細工 佐渡市 小倉
〃 小木町 中之町 佐渡市 小木町
〃 水津村 東立島 佐渡市 東立島
〃 河崎村 住吉浦 一七 革細工 佐渡市 河崎
北蒲原郡 加治村 早道場 二八 一二八 日傭、革細工 新発田市 早道場

53頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
北蒲原郡 新発田町 三昧 一八 八一 日傭 新発田市 住吉町 1964年に住吉町が成立。鷲尾姓9件。2000年電話帳。
〃 乙村 一四 九〇 胎内市 乙 白坂姓4件。2000年電話帳。
〃 〃 桃崎浜 三二 一六六 胎内市 桃崎浜
〃 〃 大出 三一 胎内市 大出
〃 〃 高野 胎内市 高野
〃 中條村 中條 三三 胎内市 中条
岩船郡 関谷町 上関ノ一部 一六 岩船郡 関川村 上関 関谷町は関谷村の誤記。
〃 保内村 見附〃 二一 一一三 農、商 村上市 貝附 見附は貝附の誤記。嵐姓10件。2000年電話帳。
〃 金屋村 海老江〃 六一 竹細工 村上市 海老江 「高田(引用者注、岩船郡関川村)の渡守であった『近正』家は、『金精』と解することもでき、その出身を物語るのみならず、山の民、川の民の密接な因果関係を示している」[70]。姓から見て金堀りだったのではないかとする『一向一揆の研究』(井上鋭夫、吉川弘文館、1968)の引用。近正(こんしょう)は、村上市が最多の稀姓。近正姓6件。2000年電話帳。
〃 女川村 高田〃 一六 九四 岩船郡 関川村 高田 須貝姓[71]54件。2000年電話帳。
〃 〃 湯沢〃 農業 岩船郡 関川村 湯沢
〃 平林村 平林〃 七五 四二〇 日雇、農 竹細工 村上市 平林 湯ノ沢[72] 小池姓45件。2000年電話帳。
〃 〃 塩谷〃 二六 一一五 村上市 塩谷
〃 瀬波町 羽下渕〃 三四 二二一 舟乗、日雇 村上市 羽下ケ渕
〃 村上町 新加賀町 七七 三七四 農、日雇 村上市 泉町
〃 舘腰村 小川ノ一部 二七 一七二 竹細工、船乗 村上市 小川
〃 〃 下新保 一四 七七 村上市 下新保 原典では「下新」の下一字がかすれて消えている。

54頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
岩船郡 上海府村 岩ヶ崎 一六 九一 日雇、船乗 村上市 岩ケ崎
北魚沼郡 小千谷町 北原町 三六 二一六 藁細工 小千谷市 「北原町」の範囲は要検証。「(小千谷市で)一番大きい部落のあるところは、吉富町のはずだが、いつの間にか、船岡町と名称がかわってしまった」という[73]。この記述に照らすと小千谷市船岡の可能性。[74] 
〃 薭生村 山寺 小千谷市 ひ生 山寺
〃 〃 居村 小千谷市 「居村」の範囲は要検証。
〃 〃 中子 一九 一三三 小千谷市 東栄
〃 〃 木津 小千谷市 ひ生 木津
〃 川井村 眞皿 一四 小千谷市 川井 真皿
〃 川口村 南津 一六 一〇五 農業 長岡市 川口和南津
〃 堀之内村 大石 一三 六二 魚沼市 大石
〃 湯之谷村 井口新田 一七 一〇五 笠縫 魚沼市 井口新田 尾坂姓4件、篠田姓6件、津山姓5件。2000年電話帳。
〃 〃 吉田 一二 魚沼市 吉田
〃 廣瀬村 田中 一一 魚沼市 田中
〃 〃 山口 魚沼市 山口
〃 〃 並柳 一三 魚沼市 並柳
計三五 五九 七八七 四三六三

主な被差別部落の所在地

  • 上越市(70世帯)
  • 新発田市(50世帯)
  • 関川村
  • 胎内市
  • 村上市
  • 佐渡市相川(相川町の被差別部落は1921年の「全国部落所在地調」では35戸[75]
  • 佐渡市新穂(新穂村の被差別部落は1921年の「全国部落所在地調」では6戸[76]、1928年5月の調査では9戸[77]
  • 佐渡市河崎(1928年5月の調査では6戸[78]
  • 佐渡郡佐和田町河原田町(現・佐渡市河原田本町ならびに河原田諏訪町。河原田町の被差別部落は1921年の「全国部落所在地調」では12戸[79]、1928年5月の調査では14戸[80]

佐渡には戸数1戸の被差別部落を含めて11ヶ所が記録されており[81]、いずれも非人系部落で、明治初期の「賤民統計表」では人口278人である[82]。また、佐渡最大の被差別部落はもともと相川新浜町にあり[83]「乞食町」と呼ばれていたが[84]、1943年ごろ相川小学校(佐渡市相川下戸村1-1)の脇に2ヶ所に分散移転させられた[85]

『全国部落調査』には載っていないが、柏崎市に数カ所の被差別部落があるといわれる[86]。ただしその場所は解同県連の幹部たちも知らないという[87]。新井市(現・妙高市)の金子以策氏の所蔵する文書に「頸城郡高柳村穢多吉右衛門」の存在が記されており[88]、高柳村は現在の柏崎市石黒、漆島、岡田、岡野町、荻ノ島、門出、高尾、田代、栃ケ原、山中にあたる。成沢栄寿『日本歴史と部落問題』501頁に「西村を拠点に、高田から放射線状にのびる新井・針・岡野町・飯田・岩手など、北国街道をはじめ、主要な往還の要地に小部落が存在する」とある。以上の記述を総合すると、柏崎市の部落のひとつは柏崎市高柳町岡野町にあることがわかる。同書501頁に「糸魚川は、軍事・交通の要地であり、小部落は、ここを中心に、糸魚川街道沿いに、名立、能生・田伏・青海とつづくが、糸魚川を除くと、部落の体をなしていなかった」ともある。

同書502頁に「中越で比較的部落が多いのは、小千谷・川口・堀之内・小出・塩沢・六日町など、上杉時代の城館聚落を含む三国街道沿線の要地」、「その他では、現存の確認できない三条・水原・出雲崎・寺泊など、現存していない城下町長岡や港町新潟は、江戸時代の史料には見え、少なくともかつて穢多が存在したことは確かである(木下浩「部落の散在性について──その配置と職務をとおして──」<『新潟県立新井高等学校研究集録』六輯>・木下浩氏教示)」、「また、城下町村松には部落が現存しているし(菅原辰蔵氏教示)、柏崎の場合には、享保年間に3軒であった穢多が、1837年(天保8)年には9軒に増加し、1877(明治10)年の未解放部落は12戸であるが、その間、二度にわたって、それぞれ2軒の分村があって、3部落の合計では16戸であった(木下前掲「高田を中心とした上越地方未解放部落の史的調査覚(1)」)。柏崎では、江戸時代の史料だけでなく、大正期の調査でも部落は存在している(木下浩氏教示)」ともある。

また平野小剣(出生名は栃木重吉)は福島県の部落から親戚関係にある柿崎町(現・上越市柿崎区)の部落に婿入りし、1927年に離婚している[89]。平野とは婿入りした先の姓である。この柿崎町の部落も『全國部落調査』には記載がない。なお1972年には柿崎中学校で部落差別事件が起きたとされる[90][91]

このように、県下には『全國部落調査』に記載のない小部落が多数点在している。

施設等

隣保館

  • 新発田市隣保館 - 新発田市住吉町2丁目3番28号
  • 新潟隣保館(現存せず)- 新潟市古町通十三番町
  • 吉井隣保館 - 佐渡市吉井本郷480(民間の社会福祉法人であり同和対策事業との関連は不明)

胎内市には広域隣保活動事業運営委員会があるものの隣保館の位置は不詳。

同和対策集会所

  • 上越市白山会館 - 上越市北本町4丁目2−14[92]
  • 住吉教育集会所 - 新発田市住吉町2丁目3-30[93]

白山神社

新潟県における戸数別被差別部落分布図.jpeg
  • 新潟市西蒲区大曽根甲1303
  • 新潟市西蒲区高野宮350
  • 新潟市西蒲区鷲ノ木306
  • 新潟市西蒲区馬堀6022
  • 新潟市中央区一番堀通町1-1
  • 新潟市中央区沼垂東1-1-17
  • 新潟市北区太郎代500-甲(白山媛神社)
  • 新潟市南区月潟294-1
  • 新潟市南区大別當712
  • 新潟市西区善久623
  • 佐渡市大久保89
  • 佐渡市大杉265
  • 佐渡市月布施164
  • 佐渡市久知河内149
  • 佐渡市沢根595
  • 佐渡市沢根五十里1259
  • 佐渡市宿根木464
  • 佐渡市深浦262
  • 佐渡市真野632
  • 佐渡市田野浦360-乙
  • 佐渡市達者459
  • 佐渡市平清水716
  • 佐渡市新穂皆川1
  • 佐渡市新穂長畝383
  • 佐渡市新穂長畝1660
  • 佐渡市山田150
  • 佐渡市南片辺196-1
  • 佐渡市莚場1004
  • 佐渡市杉野浦70
  • 佐渡市水津548
  • 佐渡市貝塚484
  • 佐渡市上川茂490
  • 佐渡市羽茂村山896
  • 佐渡市羽茂大石506
  • 佐渡市羽茂滝平2246
  • 佐渡市羽茂大崎1650
  • 佐渡市羽茂小泊114
  • 長岡市飯塚1402
  • 長岡市来迎寺2893
  • 長岡市柿町1228
  • 長岡市村松町2010
  • 長岡市寺泊田頭1144
  • 長岡市寺泊高内1805
  • 長岡市寺泊野積6490-乙
  • 長岡市千谷沢鷺野島1739
  • 長岡市小国町千谷沢鷺野島居平1739
  • 長岡市天下島1-9-34
  • 長岡市阿弥陀瀬1313
  • 長岡市釜沢町320
  • 長岡市白鳥490
  • 長岡市濁沢町529
  • 長岡市和島高畑160
  • 長岡市王番田町1873
  • 長岡市川口牛ケ島1208
  • 長岡市十日町186
  • 長岡市下富岡1260-甲
  • 燕市小牧603
  • 燕市長所甲44
  • 村上市天神岡391
  • 村上市小俣661
  • 村上市荒川542(現・荒川神社)
  • 村上市荒沢98
  • 村上市石住2687
  • 村上市九日市299
  • 村上市間島2463番
  • 村上市早稲田1329-子
  • 村上市肴町21-16
  • 村上市里本庄926
  • 村上市下大島341
  • 村上市山田246
  • 村上市名割423
  • 村上市下大鳥341
  • 村上市浜新保288
  • 小千谷市三佛生3788
  • 小千谷市西吉谷乙398-甲子
  • 小千谷市西吉谷甲886
  • 小千谷市東吉谷乙766-子
  • 小千谷市小栗山3481
  • 小千谷市岩沢5591-2
  • 小千谷市岩沢6335
  • 加茂市上黒水1452(白山比咩社)
  • 新発田市金山1195
  • 新発田市米子2141-甲
  • 燕市四ツ屋129
  • 燕市小牧603
  • 燕市杣木2083
  • 十日町市松之山小谷333
  • 十日町市松之山水梨425
  • 十日町市伊勢平治923
  • 十日町市浦田5290
  • 胎内市富岡1162
  • 胎内市並槻321
  • 胎内市土作496
  • 柏崎市茨目2-7-7
  • 柏崎市加納6423
  • 柏崎市西山町藤掛470
  • 柏崎市西山町五日市1728
  • 柏崎市平井2031
  • 柏崎市東条520
  • 柏崎市西長鳥甲1712
  • 柏崎市田塚1(白山姫神社)
  • 柏崎市宮之窪235
  • 柏崎市南下1769
  • 柏崎市本条524(白山姫神社)
  • 見附市下鳥町甲206
  • 見附市椿沢町3271
  • 見附市栃窪町194
  • 見附市耳取町764
  • 魚沼市大浦173
  • 魚沼市並柳304
  • 魚沼市清本420
  • 魚沼市田川941
  • 魚沼市蓑和田182
  • 南魚沼市妙音寺560
  • 南魚沼市思川667
  • 三条市東裏館1-19-27
  • 三条市白山新田1
  • 三条市塚野目5-16-14
  • 三条市院内208-2
  • 三条市東鱈田1154
  • 三条市長沢1318
  • 三条市片口395
  • 三条市新光町1-1
  • 五泉市尻上丙61
  • 五泉市牧1915
  • 五泉市下戸倉1506-2
  • 五泉市水戸野232
  • 岩船郡関川村土沢1764
  • 岩船郡関川村大島262
  • 刈羽郡刈羽村大塚1244
  • 刈羽郡刈羽村十日市1817
  • 三島郡出雲崎町柿木298(合祀されて柿木神社)
  • 東蒲原郡阿賀町石間4090
  • 東蒲原郡阿賀町小手茂348
  • 東蒲原郡阿賀町日出谷甲4905
  • 東蒲原郡阿賀町三宝分甲2190
  • 東蒲原郡阿賀町日野川乙304
  • 東蒲原郡阿賀町払川1340
  • 上越市北本町4丁目2番14号
  • 上越市大豆3057
  • 上越市大潟区内雁子25
  • 上越市五智6丁目
  • 上越市国府1-15-9
  • 上越市浦川原区印内534
  • 上越市浦川原区岩室694
  • 上越市浦川原区日向262
  • 上越市浦川原区上柿野244
  • 上越市浦川原区虫川1492
  • 上越市清里区青柳3817-1
  • 上越市名立区西蒲生田180
  • 上越市名立区峠1204
  • 上越市名立区杉野瀬206
  • 上越市名立区平谷2597
  • 上越市名立区池田558
  • 上越市中郷区二本木983
  • 上越市吉川区坪野1103
  • 上越市吉川区福平266
  • 上越市大渕上平1111
  • 上越市柿崎区平沢1036
  • 上越市牧区東松之木107
  • 上越市牧区府殿798
  • 上越市西山寺465
  • 上越市西横山311
  • 上越市田沢新田101
  • 上越市板倉区筒方2009-子
  • 上越市板倉区栗沢201
  • 上越市吉浦332
  • 上越市三和区水吉797
  • 上越市中正善寺1448
  • 上越市頸城区鵜ノ木522
  • 上越市頸城区手島490
  • 上越市頸城区森下776
  • 上越市頸城区下神原327
  • 上越市頸城区矢住919
  • 上越市頸城区片津459
  • 糸魚川市真光寺989
  • 糸魚川市西飛山355
  • 糸魚川市能生7239
  • 糸魚川市蒲池1283-3(若宮白山社)
  • 糸魚川市北山754
  • 糸魚川市山本384
  • 糸魚川市西山563-子
  • 糸魚川市砂場4789
  • 糸魚川市徳合919
  • 糸魚川市杉之当292
  • 糸魚川市小見2049
  • 糸魚川市栗山1324
  • 糸魚川市上沢629
  • 糸魚川市余所683
  • 糸魚川市西飛山355(諏訪白山神社)
  • 糸魚川市大谷内945
  • 糸魚川市日光寺369
  • 糸魚川市別所260
  • 糸魚川市西塚404
  • 糸魚川市頭山1398
  • 糸魚川市川島1941
  • 妙高市白山町1-18-1
  • 妙高市栗原2-9-4

本田豊によると新潟県で白山神社と被差別部落が関連しているのは上越地方(すなわち上越市・糸魚川市・妙高市)のみで、新潟市の白山町(現・新潟市中央区一番堀通町)も白山神社は存在するものの被差別部落とは無関係であるという[94]

ただし村上市の大欠下町(松原下町)の穢多町には白山神社があった(現・村上市肴町21-16?)と伝えられる[95]。また、木下浩によると「『白山信仰と部落』という立場からみれば、上越後は信州とは違った様相を示しているといえるだろう。勘兵衛町(現・上越市北本町四丁目=引用者註)の白山社ただ一か所しかみられないのである。近世初頭に、すでに何戸かの下の者がみられたところでも、魚沼郡塩沢村(現・南魚沼市=引用者註)に下町の氏神として、白山社がみられるにとどまっている。ちなみに、越後全体でも前記二か所と下越後の村上に一か所の計三か所が、現在までに確認できるにすぎない」という[96]。南魚沼市に白山神社は二箇所あるが、妙音寺は旧塩沢村ではないので、魚沼郡塩沢村の被差別部落の白山社とは思川667番地の白山神社のことと考えられる。

すなわち、新潟県内の白山神社と被差別部落の関係については

  • 上越地方だけで認められ、その他の地方では無関係であるとする説(本田豊)
  • 上越・中越・下越地方でそれぞれ一箇所ずつ認められるという説(木下浩)

の両説があり、どちらが正しいのかは定かでない。この点、後考を俟つ。

(追記)『全國部落調査』に基づく検証の結果、下越地方では村上市荒川、中越地方では魚沼市並柳の被差別部落に白山神社が存在することが判明した。つまり新潟県内の白山神社と被差別部落の関係については、上越地方だけでなく中越・下越地方でも最低2ヶ所ずつ認められる。結論として、本田豊も木下浩もどちらも間違っていたといえる。

人権啓発センター

  • 新潟県人権・同和センター - 新潟市中央区川岸町2-11-4

関連団体

  • 部落解放同盟新潟県連合会 - 新潟県新潟市中央区沼垂西1丁目7-22
  • 部落解放同盟新潟県連合会 - 新潟県長岡市神田町1-1-13
  • 部落解放同盟新潟県連合会高田支部(現・上越支部)
  • 部落解放同盟新潟県連合会小千谷支部
  • 部落解放同盟新潟県連合会堀之内支部
  • 部落解放同盟新潟県連合会新発田住吉支部 - 新潟県新発田市住吉2丁目3-31 長谷川サナエ方
  • 部落解放同盟新潟県連合会関川高田支部
  • 部落解放同盟新潟県連合会湯ノ沢支部
  • 部落解放同盟新潟県連合会中条乙支部
  • 全日本同和会新潟県連 - 新潟県上越市京田40

『放置された1000部落』74頁に、湯ノ沢支部書記長の小池重市の談話として「一里ほど離れた中条町日野、ここは『代議士様』で有名なところですが、ここが湯之沢(ママ)を見習って立ち上がった」とあるが、日野の位置は要調査。談話の書き起こしなので乙(きのと)の誤記の可能性もあるが、湯ノ沢からは一里以上離れている。同じ頁に「新発田市から村上市の入口までの間に、未組織の地域が15もある」、77頁に「新潟では地区指定もない、未組織地域だということを知らない地区がまだ15-16もあるわけです」ともある。

外部リンク

出典

  1. 『日本の特殊部落』其五(東京史談会)617-622頁
  2. 成沢栄寿『日本歴史と部落問題』498-499頁
  3. 成沢栄寿『日本歴史と部落問題』499頁
  4. 『部落問題・水平運動資料集成』第2巻355頁
  5. 川元祥一『関東の部落を行く』5頁
  6. 川元祥一『関東の部落を行く』147頁
  7. 『解放新聞』1978年11月20日付、土方鉄「新潟県上越市にて」
  8. 『雁木の切れる町に生れて』154頁
  9. ただし全ての渡守が被差別身分だったわけではない。『東日本の被差別部落』(明石書店)19頁を参照。
  10. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』116頁
  11. 『部落問題事典』(部落解放研究所編、部落解放研究所、1986)では9717人となっている。どちらかの資料の誤植と思われる。
  12. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』116頁
  13. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  14. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  15. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  16. 川元祥一『関東の部落を行く』137頁
  17. 川元祥一『関東の部落を行く』150頁
  18. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  19. 『現代の部落差別: ジャーナリストからの報告』
  20. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  21. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  22. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  23. 『放置された1000部落』24-26頁にイニシャルで登場する、県北部のT町のK地区(9世帯)とは乙のことと思われる。Tは中条(なかじょう)を「ちゅうじょう」と誤読した結果か。
  24. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  25. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  26. 解放新聞社編『被差別部落 東日本編』129-130頁
  27. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  28. 春日道雄『差別の原点: 同和問題と人権思想』132頁
  29. 『部落解放・人権年鑑』1999年版、110頁
  30. 東日本部落解放研究所『東日本の被差別部落: 現状と課題』78頁
  31. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』116頁
  32. 留岡幸助「特種部落と其人口」(『人道』69号所収、1911年刊。1907年調査)
  33. 内務省社会局「全国部落統計表」(内務省社会局『部落改善の概況』所収、1922年刊。1921年調査)
  34. 『部落問題事典』(部落解放研究所編、部落解放研究所、1986)
  35. 新潟地方裁判所検事局『新潟地方裁判所管内に於ける社会運動の状況』所収「新潟県下部落概況」(1929年10月)
  36. 36.0 36.1 新潟県の場合『全国部落調査』の実施年は1928年だが『東日本の被差別部落』(明石書店)15頁には「153地区(28年調べ)」とあり『全国部落調査』の数値と合致しない。『東日本の被差別部落』(明石書店)16頁によると「1~3軒の小部落を含めて153地区、1472戸という1928年の司法省調査(引用者注記:内務省調査の誤り?)があり、戦後では1958年の厚生省調査で1935年と同じ59地区を上げていた」という。ただし『全国同和地区の年次別概況調査ならびに1993年現在の府県別概況調査基礎資料』4頁によると、1958年調査では新潟県の地区数は「-」となっている。
  37. 同和奉公会『産業調査報告」(1943年刊。1942年調査)
  38. 厚生省よりGHQ民間情報教育局に提出された報告(『資料・占領期の部落問題』所収、1991年刊)
  39. 厚生省社会局「同和対策要望事項調査」(厚生省『同和行政の手引き』所収、1961年刊行。1958年調査)
  40. 内閣総理大臣官房審議室『全国同和地区実態調査結果』(1968年刊。1963年調査および1967年調査)
  41. 内閣総理大臣官房審議室『全国同和地区実態調査結果』(1968年刊。1963年調査および1967年調査)
  42. 内閣総理大臣官房審議室『全国同和地区調査結果の概要』(1972年刊。1971年調査)
  43. 総理府内閣総理大臣官房同和対策室『全国同和地区調査結果の概要』(1976年刊。1975年調査)
  44. 解放新聞社編『被差別部落 東日本編』121頁に1976年の統計として記載されているものの、1985年の総務庁調査と全く同じ数値であり、実際には1985年の統計と思われる。
  45. 総務庁地域改善対策室『昭和60年度地域啓発等実態把握―生活実態把握報告書―』(1987年刊。1985年調査)
  46. 総務庁地域改善対策室『平成5年度同和地区実態把握等調査―地区概況調査報告書―(統計表編)』 (1995年刊。1993年調査)
  47. 本田豊『新版 部落史を歩く 非人系部落の研究』166頁
  48. 『部落問題・水平運動資料集成 第2巻』357頁(渡部徹、秋定嘉和編、三一書房、1974)
  49. 『部落問題・水平運動資料集成 第2巻』357頁(渡部徹、秋定嘉和編、三一書房、1974)
  50. 『雁木の切れる街に生れて』38頁
  51. 松本峰雄『社会福祉と人権問題』157頁
  52. 成沢栄寿『日本歴史と部落問題』501頁
  53. 『東日本の被差別部落: 現状と課題』69頁
  54. 川元祥一『差別と表現』182頁
  55. 『新潟県大百科事典』(新潟日報事業社出版部編、新潟日報事業社出版部、1984)
  56. 『東京大学史紀要』(1999年)第13~17号31ページ
  57. 同書所収の「部落の歴史──信州の場合」ではなぜか小柳の出身地を長野県小県郡としている。筆者は新潟県出身で長野県部落解放審議会委員を務めた塚田正朋。
  58. 『小柳司氣太・日記(一)』解題
  59. 『ドキュメント屠場』(鎌田慧、岩波書店、1998)
  60. 『雁木の切れる町に生れて』163頁
  61. 『サンカ生活体験記: 八切史学』78頁
  62. 中山英一『差別をのりこえて』174-175頁
  63. 成沢栄寿『日本歴史と部落問題』500頁
  64. 中山英一『差別をのりこえて』176頁
  65. 『解放新聞』1978年11月20日付、土方鉄「新潟県上越市にて」
  66. https://www.joetsutj.com/articles/52088443
  67. https://www.joetsutj.com/articles/52089321
  68. 『辺縁の未解放部落史研究』(木下浩、柏書房、1986)
  69. 成沢栄寿『日本歴史と部落問題』503頁
  70. 『辺縁の未解放部落史研究』(木下浩、柏書房、1986)
  71. 「近正氏による、高田の船頭集落の旧家の由緒伝承は次のようである。『この村(船頭集落)の旧家は須貝氏で、その祖先は武士だという。はじめ中束(なかまるけ)村にいたもので、いまも山よりに屋敷跡がある。この高田村での渡守をすすめるものがあって現在地に住みついた。渡辺氏(もう一人の旧家)は、その後他所から加わったものだ。最初は門徒ではなかった。いま湯沢にある松岳寺(禅宗)が高田村にあった頃はその信徒で、亡くなられた前の住職から寺にわしらの系図があるということを聞いたことがある』、およそ以上である」。「岩船町真宗善行寺色部賢松氏によると、旧家須貝氏も『鎌倉の源氏の落人』を伝えている」。岩船郡関川村高田の渡守の地区に関する『辺縁の未解放部落史研究』(木下浩、柏書房、1986)の記述。以下の2点から伝承は無視できないとする。
    1. 松岳寺の移転は、岩船郡関川村蛇喰にある弘長寺の住職の伝承と一致する。また、湯沢での開基は1456年(康正2年)と初代の住職の位牌にある。
    2. 鎌倉幕府は、相模の河村氏を1185年(文治元年)に荒川保の地頭に任命している。河村氏は1428年(正長元年)に滅亡しており、ともに来た者が永住することになったのではないかとする。また、鎌倉屋の屋号が多いことから、鎌倉からの源氏の落人が多いのではないかとしている。
  72. 『放置された1000部落』23頁によると、すぐ近くに「河原ホイト」と呼ばれる部落があり、同じ部落民でありながら湯ノ沢の部落民からは通婚を拒否されているという。所在地は要調査。
  73. 解放新聞社編『被差別部落 東日本編』129頁
  74. 解放新聞社編『被差別部落 東日本編』132頁にある部落内の墓地の前に存在する6世帯の市営住宅「追分アパート」は確認できない。
  75. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』105頁
  76. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』105頁
  77. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』106頁
  78. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』106頁
  79. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』105頁
  80. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』106頁
  81. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』106頁
  82. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』105頁
  83. 臼田甚五郎『日本藝能叙説』35頁
  84. 原田伴彦、田中喜男『東北・北越被差別部落史研究』80頁
  85. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』107頁
  86. 解放新聞社編『被差別部落 東日本編』135頁
  87. 解放新聞社編『被差別部落 東日本編』139頁
  88. 部落問題研究所編『部落の生活史』159-163頁
  89. 『部落問題・人権事典』の「平野小剣」の項。
  90. 新高教「同和」教育推進委員会『人の世に熱あれ 人間に光あれ』(新潟県高等学校「同和」教育資料 / 新高教「同和」教育推進委員会編 第1集)新潟県高等学校教職員組合、1987年9月
  91. 『部落解放』1974年、第51~56号、130ページ
  92. 昭和47年施行「上越市白山会館条例」に「同和地区における同和対策事業を推進するため、地域住民の社会教育活動を助長し、もって同和問題の解決に寄与することを目的として、本市に会館を設置する」(第1条)とある。
  93. 『雁木の切れる町に生れて』175頁の年譜の1978年の欄に「新発田市、同和対策事業で『住吉教育集会所』を建設」と明記されている。
  94. 本田豊『白山神社と被差別部落』p.118
  95. 『部落の歴史 東日本篇』151頁
  96. 木下浩『辺縁の未解放部落史研究』113頁