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川崎市

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域内同和地区

馬絹

馬絹
別名 矢中[1](谷中と表記されることもある[2]
現在地 宮前区 馬絹
旧地名 橘樹郡 宮前村 馬絹[3]
文献 全國部落調査(1934年)
施設
団体
人口 103(1934年)[4]
世帯数 25(1887年頃)
21(1934年)[5]
産業 主業/農業、副業/雑(1934年)[6]
土着の姓は入口姓、鈴木姓。入口姓10件。馬絹1100~1200番台の鈴木姓は12件。池辺から四家姓1件、小机から中臣姓、原橋姓の各1件が流入。入口姓は他に近隣の梶ヶ谷に2件、他に宮前区内に3件、東京都国分寺市東元町1丁目の地区にも1件。2000年電話帳。

概況

入口銀太郎氏は地区の子供達の教育に尽力した人物として有名。

歴史

1850年の文書では小頭名は"太郎左衛門"。

下作延

下作延
別名 谷戸[7]
"下作延村辰ノ谷"とも。
現在地 高津区 下作延 2丁目
旧地名 橘樹郡 高津町 下作延[8]
文献 全國部落調査(1934年)
施設
団体
人口 155(1934年)[9]
世帯数 19(1830~44年天保年間)
25(1887年頃)
31(1934年)[10]
産業 主業/農業、副業/雑(1934年)[11]
同町2-19-10付近の共同墓地("一般"も混在)では、中村、窪倉、尼野、関口、川瀬、中田、溜、といった姓が確認できる。又、 府中、多摩(連光寺)や世田谷区奥沢に親戚関係があるという。
窪倉姓7件、尼野姓8件。溜姓は同区久末に1件。又、横浜市南区蒔田町の溜姓1件は、四家姓1件と同住所。
馬絹から入口姓1件。連光寺から長沢(澤)姓5件、萩原姓3件。他に幸若舞の鶴若姓1件。以上、2000年,2012年電話帳。
又、住宅地図上では中村姓7件、中田姓1件の他、関口姓が3件。

概況

辰の谷稲荷社(下作延2−25−30)に至る急な坂は"馬坂(まさか)"と呼ばれ、周辺は急傾斜地崩壊危険区域に指定されている。

2007~2010年にかけて、地番から住居表示への変更が実施されており、現在の2丁目12~19番が地区の中心に当たる。

歴史

新編武蔵風土記稿』記載では「久地村の境に穢多屋敷十九軒分三段六畝の除地あり」。

1877年の『内国勧業博覧会出品目録』には、木履表の出品者として"溝口村 中村助右衛門"の名が記載。

早野

早野
別名 下分[12]
現在地 麻生区 早野
旧地名 橘樹郡 柿生村 早野[13]
文献 全國部落調査(1934年)
施設
団体
人口 118(1921年内務省調査)
170(1934年)[14]
世帯数 20(1921年内務省調査)
18(1887年頃)
19(1934年)[15]
産業 農業、商業(1921年内務省調査)
主業/農業、副業/雑(1934年)[16]
杉本姓15件。小机から原橋姓1件が流入。又、旧鎌倉街道が隣接する鉄町から早野地区に入る辺り(早野600~700番台)に矢崎姓4件、矢島姓と矢元姓が各1件。2000年電話帳。

概況

地区は府中市宮西町の称名寺(時宗。墓地は多摩市連光寺6-2-9にある)の檀家。

歴史

1850年の文書では小頭名は"五郎右衛門"。

出典