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山梨県

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概況[編集]

県内の被差別部落の数は1921年度の調査では20、1935年の調査では23にのぼる。戸数と人口は、それぞれ295戸1745人、341戸1818人であった[1]。1963年の総理府調査では被差別部落の数は18市町村に26地区と報告されたが、県内では6市町村で6地区(住民は合計350人)だけが同和地区指定を受けた[2]

川元祥一は、県下の部落数を36ヶ所、うち30-40戸の部落が4ヶ所あり、それらが県下最大級であると記す[3]
山梨県未解放部落分布図(1965).jpeg

北杜市明野町上手(あけのちょう うえで)には、1980年当時の資料で35戸という県内最大規模の被差別部落(1980年に同和地区指定[4])があり、この部落に特徴的な姓は「沓川」である[5]

北杜市須玉町藤田には戸数15戸の未指定地区がある[6]。また北杜市武川町宮脇にも被差別部落がある[7]。「明野村にはN地区のほかにI地区6戸、NG地区6戸がある」とも、山名伸作は記している[8]。前者は板垣、後者は西組と思われる。

笛吹市一宮町田中にも未指定地区があり、1989年当時は戸数51戸、人口100人であった[9]。この一宮町田中地区からは鎌倉市長で衆議院議員の山本正一が出ている[10]。「歩いていると無人のYさんの家がある。Yさんは鎌倉市長になり、神奈川県選出の国会議員にもなった人である。郷土を愛した彼は家を手入れして残していたが、生前この地へは帰らなかったという。立身出世した部落出身者が生涯故郷へ帰らなかったという話を聞くことがあるが、この人もまたどんな思いを持ち続けていたのだろうか」と伝えられる[11]

甲州市勝沼町等々力(旧・等々力村箕輪)には甲州街道沿いに戸数5戸の未指定地区がある[12][13]

都留市つる(旧・下谷)の被差別部落は1976年当時で人口約180人[14]を数えた。

山梨県の被差別部落の統計[15]

調査年 地区数 戸数 人口
1907年[16] 35 370 2394
1920年[17] 20 295 1745
1935年[18] 23 341 1818
1987年[19] 6 105 351
1993年[20] 6 1463 3956

山梨県では「穢多・非人」ではなく「エッタ・野守」という言い方をする人が多い[21]。1873年、明治政府が太政官布告第225号で下級警察官を「番人」と改称する旨の通達を出したところ、「番人」が多くの地方で非人の異称だったために反発を受け、布告の撤回を余儀なくされ、1875年には「巡査」の語に統一して今日に至っている[22]。ところが山梨県では太政官布告を忠実に実行し、下級警察官を番人と呼ぶ代わり、非人を「野守」と呼ぶことにした、という経緯があった[23]

この野守の中には結婚差別を受けている家もあれば受けていない家もあり、両者の差は、獣皮を扱ったか否かの点にあるという[24]。説教強盗として知られた妻木松吉は西八代郡市川大門町(現・市川三郷町)の野守の子孫であった[25]

初代市川團十郎の父の堀越重蔵(十蔵とも。通称「菰の重蔵」)は甲州市川郷下の高田(現・山梨県西八代郡市川三郷町高田)[26]にルーツを持つ非人の出との説がある[27]

『東日本の被差別部落』(明石書店)15頁によると、県内の被差別部落の数は50地区前後である。

文献[編集]

全國部落調査(1935年)[編集]

山梨縣 昭和十年九月現在

121頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
東山梨郡 等々力村 箕輪 箕輪 八二 農業 牛革、藁細工 中下 甲州市 勝沼町等々力 箕輪 元寇の後の捕虜が祖という伝承がある[28]
東八代郡 黒駒村 下黒駒 長田 四六 履物製造 笛吹市 御坂町下黒駒
〃 富士見村 砂原 砂原区内八丁 笛吹市 石和町砂原 消滅。全盛期は40戸。笛吹川氾濫が続いたため、笛吹川右岸の住地(東河原)を捨て、対岸や東京都、甲州市、周辺各村に転出した[29]。1967年の資料で3戸、12人[30]。うち1戸は近村に移転しており、塚原美村は「遅かれ早かれ、全戸が消滅するのでは」と予想[31]
〃 一宮村 田中 田中 三四 一九六 履物製造 笛吹市 一宮町田中 山口姓[32]10件、鴨下姓3件、高橋姓5件、宮下姓4件。2000年電話帳。
西山梨郡 里垣村 板垣 東板垣 五二 三一三 農業、商業、工業 履物製造其他 甲府市 善光寺 1937年に板垣が善光寺に改称。
中巨摩郡 龍王村 下河原 一六 農業 甲斐市 竜王 下河原 竜王に加賀美姓6件。2000年電話帳。
〃 敷島村 下條町屋南区 町屋南区 一六 六七 藁細工 甲斐市 中下条[33]

122頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
中巨摩郡 大井村 下宮地 下宮地 一六 草履表製造 農業 中、下 南アルプス市 下宮地
〃 〃 鮎沢 鮎沢 三〇 食肉、製靴、草履表 南アルプス市 鮎沢
〃 〃 古市場 古市場 一七 七六 食肉、草履表、行商 南アルプス市 古市場 南湖姓4件。2000年電話帳。
〃 明穂村 東村 東村 二〇 九六 農業、食肉、履物 南アルプス市 小笠原
北巨摩郡 圓野村 下圓井 下圓井 七一 農業 韮崎市 円野町下円井
〃 〃 下圓井 上圓井 一一 韮崎市 円野町上円井
〃 若神子村 竹ノ内 赤坂 一五 六九 北杜市 須玉町若神子 若神子の読み方はワカミコ。江戸時代に明野町上手の部落から分かれて成立したとの説あり[34]。水害で1898年以降に21戸が転出しており、15戸となった[35]。「全村赤坂を姓とする。十六戸ばかり、農家である」[36]。赤坂姓8件。2000年電話帳。
〃 武川村 宮ノ脇 字原 宮ノ脇原 一一 四六 北杜市 武川町宮脇
〃 日野春村 長坂上條 向村 四五 履物製造 北杜市 長坂町長坂上条 部落名の別称は富士塚、中尾根、茶屋[37]。塚原美村の説によると、茶屋は鉢屋(隠亡と同じ)の転訛であり、北杜市須玉町若神子から移転してきたともいわれる[38]
〃 菅原村 白須 白須 一六 五〇 商業 北杜市 白州町白須
〃 〃 台ヶ原 台ヶ原 一九 北杜市 白州町台ヶ原
〃 上手村 西村 西村 三七 二〇七 藁細工 北杜市 明野町上手 明野町上手に沓川姓8件。新井姓7件。清水姓28件[39]。2000年電話帳。同地では、地区指定をめぐって対立があり、38戸中10戸が地区指定を受けていた[40]。小字が現在の西村かどうかは要検証[41]
〃 韮崎町 下反畝 下反畝 一四 漁業 韮崎市 大草町下條中割 『韮崎市誌』(1978年)255頁に「反畝」の地名がある。
〃 塩崎村 宇津谷 宇津谷 一七 九九 農業、食肉、履物 甲斐市 宇津谷
〃 安都玉村 横森 横森 四六 農業、道路工夫 北杜市 高根町村山北割 西横森
南都留郡 谷村町 下谷鷹巣 鷹ノ巣 四四 二四〇 農業、食肉、其他 商業 都留市 つる 谷村の読み方はヤムラ。1977年に下谷の一部からつるが成立。遠藤姓19件、近藤姓20件。2000年電話帳。
計一九 二三 三四一 一八六四

塚原美村『未解放部落』[編集]

山梨県下未解放部落の戸数・人口調(1965年)[42]

地域 戸数 人口 現在地
本竜王 6 30 甲斐市 竜王
中下条 20 74 甲斐市 中下条
小笠原 8 25 南アルプス市 小笠原
鮎沢 3 12 南アルプス市 鮎沢
古市場 13 55 南アルプス市 古市場
板垣 39 159 甲府市 善光寺
千塚 5 17 甲府市 千塚
韮崎 3 10 韮崎市 旭町[43]
西横森 8 35 北杜市 高根町村山北割字西横森
長坂上条 20 62 北杜市 長坂町長坂上条
若神子 16 56 北杜市 須玉町若神子
白須 11 38 北杜市 白州町白須
台ケ原 4 15 北杜市 白州町台ヶ原
下教来石 4 16 北杜市 白州町下教来石
宮脇 11 35 北杜市 武川町宮脇
青木、下円井 6 23 韮崎市 清哲町青木、韮崎市 円野町下円井
浅尾新田 5 21 北杜市 明野町浅尾新田
上手下 40 201 北杜市 明野町上手
宇津谷 19 74 甲斐市 宇津谷
八丁 3 12 笛吹市 石和町砂原
小曲 2 3 甲府市 小曲町
等々力 8 29 甲州市 勝沼町等々力
下町屋 10 42 笛吹市 御坂町下黒駒[44]
南田中 44 192 笛吹市 一宮町田中
新浜 5 16 笛吹市 八代町南 新浜
下谷 43 217 都留市 つる
計26 356 1469
  • 備考(原文ママ)
  1. 対象ムラは、ここにあげた中地域の一部を形成している。
  2. 混在戸の一部を省略した。
  3. すべて世帯数による。

上掲の図表で省かれた混在戸に南塩部(4戸[45]あるいは5戸[46]あるいは6戸[47])と加納岩(5戸、17人)[48]がある。前者は現在の甲府市塩部、後者は山梨市上神内川・下神内川と思われる。同書283頁の「山梨県未解放部落分布図(1965)」には、酒折(現・甲府市酒折ならびに酒折町)と板橋(現在地不詳)の地名もある。酒折の被差別部落は4戸を数える[49]

同書によると、明野村上手下(現・北杜市明野町上手)の被差別部落民は、武田信玄のおばで癩患者だった武田春姫の従士や小人の子孫と伝えられる[50]。従士の氏名は馬場忠右衛門と沓川源太郎、小人の苗字は真水(2名)、藤木、古井、下山(2名)であり、1967年の段階で上手下の馬場姓は滅びていたものの、沓川は8戸残っていた[51]。清水(8戸)は真水の訛り、新井(5戸)は古井の訛り、山本(9戸)は下山の訛りとされている[52]

南田中(現・笛吹市一宮町田中)の被差別部落民は、武田信玄の家臣の山口藤左衛門や近津宗十郎の末裔との言い伝えがある[53]。1967年の段階で同地区には山口姓が4戸あり、近津姓も1戸あったが改姓したという[54]。2000年の電話帳では東山梨郡勝沼町等々力(現・甲州市勝沼町等々力)に近津姓が1件ある。1936年頃の中央融和事業協議会による経済厚生指導者講習会の指導者の一人に、等々力の近津朝吉がいる[55]

塚原美村は、山梨県の被差別部落出身の「対外的活動家」として以下の面々を挙げている[56]

  • 雨宮清一郎
  • 小林明
  • 沓川孫次
  • 山本久次
  • 遠藤朋三郎[57]
  • 亀井一豊
  • 中根武雄
  • 近津朝治郎
  • 宮下鶴吉
  • 宮下慶太郎
  • 山口定雄
  • 中山仁蔵
  • 高橋俊春
  • 田中穂吉
  • 高橋弥太郎
  • 高橋崇志
  • 清水義典
  • 日向照
  • 赤坂徳太郎
  • 沓川愷太郎
  • 山本保則
  • 宮下馨
  • 山下貴志

施設等[編集]

白山神社[編集]

  • 甲府市中央3-7-11(甲斐奈神社)祭神の一つが菊理比売命。
  • 甲府市下積翠寺町1109
  • 甲府市心経寺町1215
  • 甲府市下向山町892(佐久神社)祭神の一つが菊理姫命。
  • 甲府市和戸町1230(藤建神社)祭神は菊理姫命。
  • 甲州市塩山上粟生野547(喜久理神社)祭神は喜久理比賣命。
  • 甲州市塩山下萩原2040(柏原神社)祭神は喜久理姫神。
  • 北杜市明野町上神取1070
  • 北杜市長坂町夏秋948
  • 北杜市白州町花水2040-1
  • 都留市つる5-948-1
  • 上野原市棡原5460
  • 山梨市上栗原854(建岡神社)祭神の一つが菊理姫命。
  • 山梨市一町田中273
  • 南アルプス市築山933
  • 韮崎市神山町鍋山2584
  • 韮崎市旭町上条北割998-2
  • 韮崎市旭町上条北割996
  • 笛吹市一宮町田中137-1
  • 笛吹市一宮町地蔵堂399(諧神社)祭神は菊理姫命。
  • 笛吹市境川町大黒坂875
  • 南巨摩郡富士川町鰍沢2329(八幡神社)祭神の一つが菊理姫命。
  • 南巨摩郡富士川町大椚257
  • 南巨摩郡身延町道1149
  • 南都留郡西桂町倉見1029
  • 南都留郡富士河口湖町浅川1039

旧・甲斐国で弾左衛門の支配下にあったのは下谷一部(現・都留市つる)だけで、そのほかはすべて甲府勤番支配下の牢番役直接支配のもとにあったとされる[58]。しかし白山神社と被差別部落の関係を見ると、弾左衛門支配下ではない韮崎市旭町や笛吹市一宮町田中の被差別部落にも白山神社の存在が確認できる。

小集落改良住宅[編集]

  • 改良住宅 - 都留市つる五丁目地内[59]

同和対策集会所[編集]

  • 都留市鷹の巣集会所 - 都留市つる五丁目13番15号[60]

関連団体[編集]

  • 全日本同和会山梨県連合会 - 山梨県甲府市上町601-4
  • 全日本同和会山梨県連合会 - 山梨県甲府市宝1-21-20
  • 部落解放同盟山梨県連合会 - 山梨県甲府市北口1-8-3 野沢順次方 ℡0552-53-6073
  • 部落解放同盟山梨県連合会準備会 - 山梨県北巨摩郡長坂町上条52 大石義方(大石は長野県小諸市の部落出身[61]

関連文献[編集]

  • 塚原美村『未解放部落』

外部リンク[編集]

出典[編集]

  1. 川元祥一『関東の部落を行く』5頁
  2. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  3. 『解放新聞』1983年9月12日付「山梨県の部落で 2」
  4. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  5. 川元祥一『関東の部落を行く』156頁、161頁
  6. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  7. 『部落解放年鑑』1974年版、341頁
  8. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  9. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  10. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  11. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  12. 『近世関東の被差別部落』329頁
  13. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  14. 山名伸作「埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記」
  15. https://web.archive.org/web/20040615100836/http://www5f.biglobe.ne.jp/~icarus/douwa_tsuru.htm
  16. 「特殊部落と其人口」 留岡幸助
  17. 「日本庶民生活史料集成」
  18. 「融和事業年鑑」 中央融和事業協会
  19. 「“地対財特法"の解説」 総務庁長官地域改善対策室
  20. 部落解放研究所編「図説 今日の部落差別-各地の実態調査結果より-第3版」 より 総務庁調査
  21. 筒井功『新・忘れられた日本人』147-148頁
  22. 筒井功『新・忘れられた日本人』147-148頁
  23. 筒井功『新・忘れられた日本人』147-148頁
  24. 塚原美村『未解放部落』116頁
  25. 筒井功『新・忘れられた日本人』137-138頁
  26. 『掃苔』第8巻15頁
  27. 武智鉄二『歌舞伎はどんな演劇か』73頁
  28. 『未解放部落史の研究』(渡辺実、吉川弘文館、1965)
  29. 塚原美村『未解放部落』217頁
  30. 塚原美村『未解放部落』217頁
  31. 塚原美村『未解放部落』217頁
  32. 『未解放部落』(塚原美村、雄山閣出版、1967)に「ムラには、山口姓(四戸)、近津姓(一戸・今改姓)があって、その伝承を今に伝えている」とある。笛吹市一宮町田中の地区は、1564年(永禄7年)の川中島の合戦で、武田信玄の家臣の山口藤左衛門と近津宗十郎が、僧を捕えて連行したのが起源と伝える。寺は浄土宗。
  33. 塚原美村『未解放部落』285頁
  34. 『解放新聞』1983年9月26日付「山梨県の部落で 3」
  35. 『更生(復刻版) 3巻』(中央融和事業協会編、不二出版、1988)
  36. 『長吏と特殊部落』(菊池山哉、東京史談会、1953)
  37. 塚原美村『未解放部落』201頁
  38. 『解放新聞』1983年10月3日付「山梨県の部落で 4」
  39. 「西村組の沓川喜三郎氏調査」として同地の住民の姓を記載している。新井(5戸)、小俣、沓川(9戸)、清水(8戸)、早川、宮本、森(2戸)、山下、山本(9戸)、計37戸。『明野村誌』(明野村誌編纂委員会編、明野村、1963)による。
  40. 『解放新聞 1983年9月12日号』(解放新聞社)
  41. 『関東の部落を行く』(川元祥一、解放出版社、1980)156頁には「N部落以外の近隣の村には沓川姓は存在しない」とあるが、沓川姓の分布を見ると明野町上手の2300番台から2500番台の番地に集中しており、ここは現在「明野町上手西村」と呼ばれている地域ではない。座標値でいうと35.756821, 138.440191の近辺。同書161頁には「N部落の近くに現在五、六戸のO被差別部落がある」ともある。上手大久保の可能性。また明野町上手藤内(とうない)には猿舞部落もあった。「此の村に『藤内(トウナイ)と云ふ部落ありて、部民は昔は猿舞なりしといふ。現今は一般より蔑視せられず、又何等差別的の取扱を受くることなし」と『甲州の藤内(トウナイ)』(甲府 河村竹三郎『民族と歴史(復刻版)第6巻 第2号』(民族と歴史編輯所編、不二出版、1997)所収)にある。同地に藤内姓3件あり。2000年電話帳。
  42. 塚原美村『未解放部落』285頁
  43. 塚原美村『未解放部落』237頁に「韮崎市(旧韮崎、旭)」とある。同書217頁には「前述の千塚の五戸、南塩部の四戸や加納岩五戸は、街中にあって、経済的余力が多く、甲府市、山梨市に包摂されているだけに、社会的にも交際の幅が広い。ところが、同じ、街中にあっても、その末端に位置する韮崎(下宿)一部は、玩具の露天商、日雇、ブリキ職人の三戸、人口一○人として、経済的、社会的に恵まれない生活を余儀なくしている」ともある。現在、韮崎市本町に下宿交差点がある。
  44. 県下に南巨摩郡身延町手打沢字下町屋という地名もあるが、塚原美村『未解放部落』283頁の「山梨県未解放部落分布図(1965)」によると下町屋地区の別名は長田地区であり、身延町の下町屋とは位置が異なる。
  45. 塚原美村『未解放部落』217頁
  46. 塚原美村『未解放部落』100頁
  47. 塚原美村『未解放部落』208頁
  48. 塚原美村『未解放部落』208-209頁
  49. 塚原美村『未解放部落』100頁
  50. 塚原美村『未解放部落』140頁
  51. 塚原美村『未解放部落』140-141頁
  52. 塚原美村『未解放部落』141頁
  53. 塚原美村『未解放部落』143頁
  54. 塚原美村『未解放部落』141頁
  55. 塚原美村『未解放部落』120-121頁
  56. 塚原美村『未解放部落』125頁
  57. 塚原美村『未解放部落』193頁には近藤朋三郎とあり、どちらが正しい氏名なのか要調査。1942年から5年間にわたり谷村町会議員をつとめ、都留市つるの下谷部落(鷹巣地区)の改善に貢献した人。
  58. 塚原美村『未解放部落』107頁
  59. http://web.archive.org/web/20040908211952/http://www.city.tsuru.yamanashi.jp/reiki_int/reiki_honbun/ae60506741.html
  60. 現在は同和対策集会所と標榜していないが、「都留市鷹の巣集会所条例(昭和55年都留市条例第13号、廃止済み)」に集会所の設置目的が記載されていた。
  61. 『解放新聞』1983年10月3日付「山梨県の部落で 4」