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小郡中学校校長糾弾・変死事件

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『部落』一九九四年一月号(第五七三号)および二月号(第五七四号)より転載

  揺らぐ筑紫の解同王国            植山光郎

 プロローグ

 小郡中学校の廣木一貫校長(五四)が、糾弾からみで変死した。部落解放同盟筑後 地区協議会(平井安次委員長)と小郡市教委、福岡県教委らから、自校生徒の発言を 理由に9月25日に糾弾され、その二日後に消息を絶ち、失踪後13日目の10月9 日、熊本県菊池市の山中で縊死遺体で発見された。「小郡中糾弾、校長自殺事件」の 真相糾明をもとめる県民集会が11月23日、おりからの氷雨をついて小郡市内で開 かれた。集会後、600人の参加者は拳をつきあげ、口々に「解同は教育に介入する なー」「小郡市は真相を市民の前に明らかにせよー」と訴え、西鉄小郡駅前までデモ 行進した。その真相糾明をもとめるデモ隊のシュプレヒコールは、同和問題で閉塞状 態にある小郡市の曇天に力強くひびきわたった。デモ行進の一歩は、真相糾明をもと める一歩であり、それは筑紫の解同王国・小郡の崩壊の地響きでもあった。

 前回、私はこの小郡中事件を現地報告として本誌11月号でレポートした。その後 、たてつづけに小郡に背離現地調査と教宣活動に没頭した。いま小郡は県民集会を前 後して、情勢はとどまることなく動いている。激動の小郡からふたたび、小郡市民と 「さわやかに連帯」してたたかう全解連福岡県連の活動を報告したい。

 1 真相の解明をもとめて

 廣木校長の失踪自殺は、私たちにとって大きなショックだったが、解同の確認、糾 弾を行政的に保障した小郡市教委と県教委にとっても、計算外のできごとだった。

 それが証拠に、小郡市教委は校長が失踪した翌日、緊急に校長会を招集して「とに かく命にかかわる重大な事態。はやく廣木先生の行方を捜し出すように」と指示をだ し、箝口令をしいた。その段階で行政自ら「命にかかわる重大事態」と認めているこ とからして、あわてぶりは想像に難くない。小郡中では「校長自殺」について、教師 はピタッと口をとじた。故人への弔いか、真実からの忌避か、外部との対応は植田富 男教頭を窓口にして「真相の解明」を意図的にさけている。小郡中の教師たちはいま だに口をふさいでいるのである。そればかりか教頭は卑劣にも、PTA役員会に「校 長は鬱病だった。学習会と校長の自殺は関係ない」と説明、もっぱら、校長のプライ バシー問題にすりかえているのである。

 ところが、当の生徒たちは正直だ。校内では「お前たちがけんかしたから校長先生 が死んだ」「先生に言わんかったら校長先生は死なんかったのに」と、校長の自殺の 原因をかくさない。それでも教師たちは真相に口をつぐんでいる。なぜなのか。

 この閉塞の状態を打開するには、とにかく校長自殺事件の真実を市民に知らせなけ ればならない。憶測ではなく、事実を事実として市民に知らせよう。私たちは真実を 解明するために福岡県下の民主団体によびかけ現地合同調査団を結成、10月20日 、現地調査に入ることにした。調査団のよびかけ団体は、私たち全解連福岡県連のほ かに日本共産党福岡県委員会、地元の同筑後地区委員会、福岡県同和教育研究会、自 由法曹団福岡支部の五団体がなった。調査活動と教宣活動を同時にすすめるために、 全解連として独自にビラを作成した。ビラは憶測や主観を排し、事前に入手した糾弾 会関係の資料と関係者の証言をもとに客観的な内容にした。見出しは「=小郡中学校 の校長自殺事件=解同、行政による糾弾会直後、いのち断つ」を大見出しに、小見出 しは「これが事件の真相です 父母の本音は先生、子どもたちは犠牲者 『子どもの 発言』は差別ではない」として、さらに市民には「子どもと教育を守るために私たち は真相を糾明します。皆さんの協力を」と訴えるものだった。

 2 現地合同調査活動

 10月20日。私たち調査団は午前10時に小郡市役所のロビーに集まった。昨日 までの集約では、参加人員は20人を割っていたが、当日、調査団は15団体、33 人に膨れあがった。報道関係者も『赤旗』、福岡民報、小倉タイムスから朝日、毎日 、読売など各社の記者で部屋があふれた。全解連本部からも急遽、村崎勝利副委員長 ら二人が福岡入りした。部落問題にからむ人権事件とあって全解連本部も、真相糾明 になみなみならぬ決意をしめしていることがうかがえる。小郡市や解同などは事件を 隠蔽にかかっているが、どっこい世論の関心はたかい。当然、調査団事務所で準備し ていた経過報告などの資料は一瞬にしてなくなった。調査は、市議会の大会議室に変 更して行うことになったのである。

 調査団は午前中、市教委の福田大助教育長ら小郡市教委の三人から事実経過の説明 をうけた。福田教育長によれば学校で「差別事象」がおこれば、同和推進教員がまず 、解同支部に知らせ、校長は市教委に報告、校内の意見がまとまった段階で校長が解 同地協に正式に報告するシステムになっているという。小郡市では確認会、糾弾会は 当該学校の主催で行われ、教育長など関係職員が出席、行政代表として教育長が挨拶 をすることになっていることが判明した。今回の確認会に福田教育長は、県教委北筑 後教育事務所主事らとともに出席、参加者(33人)全員で、子どもの発言を「差別 事象」として確認したという。

 さらに糾弾会について教育長は「司会はゼッケンをつけた同推と運動団体役員。私 が行政を代表して挨拶をした。経過報告、問題提起は同推がおこない、地域の人が差 別のひどさを訴え、これに教員がこたえるかたちですすめられた。まとめは解同役員 (組坂繁之解同県連書記長)がした」と説明した。

 調査団から「教育の主体性」について質問がでた。福田教育長は素直に答えている 。後日のために録音テープをおこして記述しておく。

 福田「校内の問題は校内で解決するのが原則であるが、小郡市同和教育基本方針に は『さべつの現実に学ぶ』としてあり、地域(解同)と連携することになっている」

 ・解決する前に、その日に解同に報告しているが・・

 福田「今回の場合、5月20日に校長から報告をうけた。できることなら学校で解 決するように指導したが、それがだんだんと・・・・そうできなかった」

 ・文部省の方針は学校の問題は、学校の主体で教育的に配慮して解決するとなって   いるが・・

 福田「文部省の方針はきいているが、矛盾しないと思う。指摘の点を考えるなら、 改める点はあらためなければならない。運動団体の介入は教育については、させない ように努力する」

 さらに廣木校長の自殺についても、福田教育長は「推測でものは言えないが、学習 会(糾弾会)と関連ないとはいえない。悩みは公的な悩みだったと思う」

 実直な福田教育長の説明にウソはない。私たちの調査と符号しているのである。同 教育長はこの直後、病気を理由に緊急入院して、私たちの前から姿を消した。緊急入 院は、小郡市当局や解同側の政治的配慮のにおいがする。教育長の口封じであろう。 正直にペラペラしゃべられたのではかなわんとの配慮から、病室に「封印」、面会謝 絶にしている。このことはまた、あとでふれたい。

 現地合同調査団の調査活動の報告にもどる。調査団はこのあと、午後は三班にわか れた。小郡中グループと小郡小班、それに宣伝班。宣伝班は宣伝カーに全解連のビラ 千枚をつみこみ、西鉄小郡駅前と市役所を中心とした繁華街、一部は同和地区に入っ て街頭宣伝とビラ配布。街頭宣伝にビラをもらいにくる市民の多いことに調査団はび っくりした。ビラをくい入るように読む市民、ビラ配布の調査団のまわりにたちまち 人の輪ができて、路上でのミニ討論会が始まった。宣伝カーからの訴えに、市民たち は「同和が原因と聞いていましたが、そうだったんですか」(男性)「校長先生は熱 心な先生だったのに残念なことをしました。ぜひ、真相をはっきりさせてください」 (高齢のご婦人)「ぜひ、真相を糾明してくれ。昔の教員仲間と話しあっている」( 元教師)。市民の関心は想像以上にたかく、現地にかけつけた調査団はいちように、 「小郡民主化」のたしかな手ごたえを感じとった。

 ところが、事件の震源地である学校側のガードは堅かった。中学校は教頭の不在と PTAの会議を理由にして、調査には応じなかった。だが、調査団に加わった何人か の教員OBが、個別に同中の教師たちと接触をもったが「この問題について、コメン トは教頭に窓口一本化している」との返事しか返ってこなかった。もう一方の小郡小 学校は校長が調査に応じたが、終始、ノラリクラリとした応対で調査団をカリカリさ せた。

 久留米市の県教委北筑後教育事務所では、調査予約に「ぜひ、話したいことがある 」と事前に約束していた金子裕幸副所長が、きゅうきょ「出張」で不在、尾花正樹所 長が会うという。糾弾会に出席した金子氏が「会って話したい」というから調査団は 、同氏の日程にあわせて、わざわざ夕方の六時まで待っていたのだった。それが突然 の出張不在とは。ここにも真相を隠そうとする県教委の露骨さがあらわれた。尾花所 長の応対も「自分は(確認会、糾弾会に)出ていないから、知っていることしか言え ない」とのっけから喧嘩腰だった。調査団からきびしい質問がでると「そんなに言う んだったら退席する」と席を立ちかかるなど、横柄な態度だった。それでも調査団は 隠忍自重、じっと我慢の子をきめ込んでいたが、尾花所長が「確認会へのオブザーバ ー参加」発言に、怒りを爆発させた。同所長は「出席した職員が子どもの発言を差別 発言と確認したかどうかわからない」ととぼけ、福田教育長の「確認会では参加者の 全員で差別発言と確認した」という答弁を否定した。その矛盾を追求され答弁に窮し ての「オブザーバー」発言となった。とにかく責任のがれ。廣木校長を自殺に追い込 んだ責任の一端どころか、いきすぎた「同和教育」でひとりの貴重な人権が奪われた ことに、なんら痛痒を感じない。地方官僚のこの鉄面皮に私たちは怒りをわすれ、人 としての悲しささえ感じた。

 3 心を開き始めた小郡市民

 私たちの調査活動と宣伝活動が、小郡市の雰囲気をかえる嚆矢となった。全解連や 共産党の事務所、地元の魚住清文市議の自宅に電話、手紙で市民の声が届きはじめた 。すべて匿名だが、共通しているのは「とにかく真相を明らかにしてほしい」という 願いだった。行政や解同、これに加担する同和教育推進教員らの解放教育グループの 連中が、どんなに真実の隠蔽に狂奔しても、市民は真相の解明をもとめている。「ヴ ェ、ナロード(人民の中に)」はレーニンだ。私たちは小郡市民の良心に依拠し、市 民を信頼して、市民とともにをスタンスに、真相を糾明する。12年前、いまの小郡 市と同様に解同ファッショ、乱脈不公正の同和行政体制だった北九州市を変革したの は、土地転がし疑惑糾明をもとめる市民の18万人署名の市民運動だった。小郡市は 人口4万9千人。北九州の二十分の一だ。できないことはない。状況はかならずかわ る。

 これは私たちに寄せられた教師からの手紙だ。「校長が糾弾後、自殺したのは誠に 残念であるとともに同じ教員として現実に、こういう無法があることは実感していま す。現場で一人で声をあげるのは、正直いって大変です。でも、いろんな方法で力を 結集して行けば改善されると信じています」。この教師も改善できると信じている。

 また、「小郡市内の一母親」からの手紙では「校長先生を死に追いやった人権とは 、いったい何なのでしょう?ある幹部は『同和』で幾多の財をなすと聞きました。は たして人間解放を願う多くの人たちの声が繁栄されているのでしょうか? 一部の幹 部は栄耀栄華の世界にどっぷり漬かっているのでは。現在のような運動、同和教育の やり方では、絶対に差別はなくならない」と解同の利権あさりと解放教育を批判して いる。

 電話も多かった。市民の訴えを紹介すると・・

 「ビラを読みました。解放同盟だけではなく、学校や行政にも責任がある。解同に 頭が上がらないのは問題。徹底して真相を明らかにしてほしい」

 「99,9%は解同のやり方に批判をもっているが、口に出していえない。いつか は、こうなるだろう(自殺者がでる)と思っていた。ビラをみてあんたたちに頑張っ てほしいと思って電話した。しかし、ほんなごと、あんたたちはエズウ(怖く)ない か。」

 なかに、こんな電話もあった。これは魚住市議の自宅にかかってきた電話だが。

 「酒屋でいま、みんなと飲んでいる。ビラをまわし読みして話題になっている。共 産党は勇気がある。共産党に入りきらんが、こんどから共産党に投票する。校長は気 の毒なことをした。」

 市民からの激励の電話、手紙は短期間に50本(通)を越えた。解同、行政が「同 和問題」で、どんなに市民の声を封じ込もうとしても、真相の解明をもとめる市民は 健全だった。

 4 市民の会の結成と反共宣伝

 小郡市民は真相を知りたがっている。私たちの出す一枚、一枚のビラが、真実を伝 える情報として、砂漠に水がしみこむように市民のなかに浸透していった。反応はビ ラに敏感だ。打てばひびくとはこのことだろう。校長自殺事件の真相は、小郡市を中 心に三井郡から久留米市などの筑後地方一帯に燎原の火のごとく急速にひろがりだし た。

 この世論が同和問題で沈黙をしていた小郡の市民たちを変えた。市民たちは「人権 と民主主義を守る小郡市民の会」を結成したのである。それは、画期的なできごとだ った。市民の会の趣意書によれば「いま小郡市では、発達段階にある子どもたちの未 熟な理解からの言動が『差別事件』として社会問題化されています。これは、子ども の人権をいちじるしく損なうものです。さらに、教師や父母の教育権を奪い、部落問 題解決のための自由な言論が抑圧されている事態があります。これは、民主主義の原 則を破壊する」として、良識ある市民の結集をはかり、活動するための市民の会をつ くるというものだ。羊のように解同に従順だった市民が同和問題で口を開きだした。

 このことは解同や同推らにとって予想外だった。あわてた解同らは解同筑後地協、 部落解放共闘筑後地区連絡会議の連名で言い訳がましいビラを出してきた。ビラは「 前校長先生の死を悼み、生徒の動揺を沈静化する努力をしてきたが、日共=全解連に よる無法なデマ宣伝で、子どもたちが混乱している」という。見出しも「子どもの教 育権より党利党略優先」というお決まりの反共宣伝だ。反共宣伝ですべてを糊塗でき るという考えこそ、差別主義そのものではないか。第一、「すべての差別に反対を」 運動方針にしている団体が使う手ではなかろう。ビラの内容からしても、また、ビラ の配布の主力部隊は同推を主体とした解放教育グループによるものだった。解同の姿 がない。解同の威を借る同推らが「解放・えせ人権教育」をひけらかして、「陰の校 長」として学校教育に君臨している。同推らのビラまきは、自己陶酔している解放教 育を墨守するための行動にちがいない。校長自殺の真相糾明が、自分たちの解放教育 、確認・糾弾に及ぶことを恐れている。だから、市民や私たちの真相糾明をもとめる 運動に、解同よりも危機感をつのらせている。県教委は、民主教育を否定することで 一致する、この反共=解放教育体制を容認しながら、同推教員を政治的に利用してい るのである。ここに、福岡県の教育反動の本質がある。許しがたい。

 5 言論弾圧にでた行政

 私たちは11月下旬に現地で真相糾明県民集会を開くことにした。現地合同調査団 の5団体に、福岡県労働組合連合会や人権と民主主義を守る小郡市民の会、福岡県歴 史教育者協議会など県下の民主団体が参加して「解同の糾弾と小郡中校長自殺真相糾 明県民集会実行委員会」を結成、主催することにした。

 ところが、である。なんと小郡市と市教委、県教委が公然と言論弾圧にでてきた。 常識では考えられないことがおこったのである。裏で、解同の圧力があったのだろう 。

 11月6日と9日に、私たち全解連福岡県連と筑後地協に、小郡市長田籠勝彦、同 教育長福田大助の連名で「小郡市における学校教育の確立のための申し入れ」があっ た。内容は全解連などの「諸活動によって市民や中学校の生徒が動揺し、傷つけあい 暴力事件に発展するなど、落ち着いた学校生活が送れない状況にあり、憂慮している 。これ以上の混乱をさけるために、小郡中学校に係わる諸活動の自粛を求める」もの であった。自粛の申し入れは「小郡市同和教育研究協議会」(古賀寿男会長)、「同 市中学校長会代表」(井上勘嗣・大原中学校長)「同市小学校長会」(稲田保夫・東 野小学校長)、「小郡中学校PTA会長」(酒井矢吉)「小郡小学校PTA会長」( 寺崎敏文)、「小郡市同和対策事業実施連絡会」(六区長)からも同時にあった。内 容は、私たち全解連にたいする「一切の教宣活動の自粛」で共通していた。

 この申し入れは県連事務所に、小郡市の松尾助役をはじめ、井上・中学校長会代表 、稲田小学校長会代表、寺崎・小学校PTA会長ら、それに県教委の丸林第二指導部 長、同和対策課の県職員らなど約20人前後やってきた。狭い県連事務所にあふれん ばかりの陣容だった。だが、肝心要の小郡市長、教育長、市同研会長、中学校PTA 会長ら当事者の姿はなかった。申し入れもわずか15分。一見、温厚そうな松尾助役 が代表として「自粛申し入れ」を読み上げた。その手はふるえ、額には脂汁がにじん でいた。助役の横に座った両校長も目がおびえ、肩が小刻みにふるえている。卑屈で さえあった。このような社会的地位にある人を解同や同推らは、なぜ、このように卑 屈にさせるのか。私は、その瞬時、助役たちが可哀想に思えてならなかった。

 私たちは、申し入れにたいし「小郡中学校の正常化はもとより望むところだが、希 望に胸をふくらませて今春、同中に着任した校長が自殺に追い込まれることは学校と しては異常だと思う。真相を解明して、この異常な事態を改善することこそ、教育の 正常化にとって不可欠ではないのですか」と指摘、さらに「うわさが一人歩きをして いるとか、生徒が動揺しているというが、そのような実態があるのか」とただした。 また「子どもの父親が騒がないでほしいというのに、この要請を無視して、発言を社 会問題にして糾弾した結果、校長が自殺した。自粛し、反省すべきはあげて小郡市側 にあるが、どうか」と追求すると、松尾助役らは「今日は、議論をしに来たのではな いので」と逃げた。

 私たちへの教宣活動、一切の諸活動の自粛は、「集会、結社及び言論、出版、その 他一切の表現の自由」を保障している日本国憲法第二十一条を否定する暴挙以外のな にものでもない。行政が憲法に抵触する言論、表現の自由を制限することは、普通で はない。ところが解同に脅える小郡市と解同を政治的に利用する県教委は、こと同和 問題にことよせて、言論の弾圧にでたのである。ことは民主主義の問題である。ただ 、おかない。

 ところが、このことを知ってか知らずか、あとで解同側の「小郡市の教育と人権を 守る市民会議」(蔵光正彦会長)の出したビラでは「共産党=全解連のウソの記述に 憤慨された福田教育長は、共産党=全解連に直接抗議文を持っていかれますが、共産 党=全解連は受け取らず、福田教育長は内容証明付きで共産党=全解連に郵送される のです」となるのである。事実をすりかえ、反論されれば、それこそウソがばれるの に、平気でビラにする神経が私にはわからない。短いセンテンスなのに共産党=全解 連の記述が4回もでている。ただ共産党=全解連と書けば、市民が、また同和地区住 民が信じるとでも思っているのか。この反共主義、アナクロニズムは度し難い。

 6 公園使用の妨害

 小郡市と解同などの妨害は、真相をもとめる教宣活動の「自粛」だけにとどまら ず、私たちが計画した真相糾明県民集会にもおよんだ。小郡市はいったん使用を許 可した小郡市東町公園の使用を「問答無用」とばかりに、取り消しにでたのである。

 会場の東町公園は、小郡市役所の東側に隣接した南北朝時代の大原古戦場跡地で、 記念石碑などが設置された史跡公園的な都市公園である。七、八百人も入ればあふれ る規模の広さの芝生の小さな公園だ。

 この公園の利用を地元の魚住清文市議(共産党)が11月5日、「人権と民主主義 を守る会の集会」会場にと小郡市に使用許可を申請、市は同8日付けで「樹木を大切 にし、美化に努めること」と条件をつけて使用を許可した。

 ところが12日になって突然、公園使用の許可取り消しを文書で魚住市議に通知し てきた。通知には、取り消し理由はない。市側の取り消し通知書は「許可しておりま すが、取り消させて頂きますのでよろしくお願い致します」とだけしかない。理由も なく許可を取り消すとは人をばかにした話だ。小郡市都市公園条例によれば、第五条 に「利用の禁止及び制限」がある。それによれば「市長は公園の損壊等により利用が 危険な場合か、または公園の工事のためなどの場合に、利用者の危険を防止するため 利用の禁止か制限をすることができる」。今回の場合、公園内が壊れてもいないし、 工事中でもない。

 私たちは県民集会の主催者実行団体の一員でもある自由法曹団福岡支部の福岡第一 法律事務所と対策を協議、17日になって「人権と民主主義を守る小郡市民の会」の 魚住清文代表名で福岡地方裁判所に行政処分執行停止(仮処分)を申請して争うこと にした。ところが小郡市は裁判所に使用許可取り消しの理由を示すのを渋った。渋っ たというよりは、使用取り消しの合理的な理由がないのである。それでも私たちの催 促にしぶしぶ出してきた理由はふるっていた。

 ひとつは、集会に使用させれば史跡公園の石碑などの毀損が予測されるというもの だった。公園内の石碑は2、3メートル規模のものがふたつある。ブルドーザーかな んかで壊さないと壊れない代物だ。それも木立に囲まれた小高い丘の上にあって、集 会会場に使われる芝生の場所から離れている。二つ目の理由は「ビラなどで(真相糾 明集会の)開催を知った部落解放同盟等の団体が刺激され、(主催する側の)全解連 との間で不測の事態が発生し、公園周辺住民を巻き込んでの混乱を招くおそれがあり 、また、一般市民の公園としての利用が疎外される」というものだった。こんな稚拙 な屁理屈では裁判所はだませない。

 19日、福岡地裁第二民事部の牧弘二裁判長は、この屁理屈を全面否定、私たちの 主張を百パーセント認める判決をくだした。判決文は、こうだ。

 ・申立人の本件市民の会の集会は、基本的には憲法で保障された集会の自由ないし は表現の自由に属するものでありから、それが政治的主張を含むものであっても、公 園使用の目的に反しない限り、右集会等による活動は保障されなければならないもの である。・・・申立人らの公園使用によってにわかに反対の立場の団体等との対立抗 争が激化し、集会の当日などに収拾し難い事態が生じるとは認めることができない・ という内容である。

 小郡市の完敗である。小郡市は、この裁判費用37万円を市長のポケットマネーで はなく、市民の税金から負担する。泥棒に追い銭、まったくムダな行政浪費だ。さら に問題なのは、小郡市はこの裁判の敗訴から、なにひとつ学ぼうとしなかった。もち ろん反省もしていない。

 7 知らしむべからず

 私たちは早速この事も県民集会への参加要請の訴えにセットして市民に知らせるこ とにした。19日から20、21日の週末、小郡市内にきゅうきょ現地闘争事務所を 設置、政次三七徳県連書記長と筑紫地協の役員らが朝から常駐した。「小郡中校長自 殺真相糾明」「解同は教育介入をやめなさい」の看板をとりつけた宣伝カー二台を準 備し、臨戦体勢で臨むことにした。「現地闘争」になれば実践活動が豊富で、市議活 動歴のながい平塚新吾県連委員長の真骨頂。同委員長は下着類をバックにつめ短期決 戦用の準備万端ととのえ、連日、現地事務所に詰めた。午前3、4時から活動を開始 、真夜中につくった「解同の教育介入と校長自殺の真相糾明県民集会」の手書き看板 を市役所や西鉄小郡駅前付近一帯の電柱や街路樹にはりつけてまわった。選挙運動の ベテランだけあって、むかしとった杵柄、手慣れたものだ。

 だが、せっかくの看板も数時間ともたず、午前中には撤去される始末。同じ街頭看 板でもサラ金、テレクラなどのいかがわしい看板はそのまま残っていることから、小 郡市は県民集会の看板を狙い撃ちにして撤去したことははっきりしている。手作りの 看板は何回だしても瞬時にして撤去された。小郡市と解同は、県民集会の開催が市民 に知れるのが怖いのだ。徹底した真相隠しだ。知らしむべからずよらしむべしか。市 民には全解連の存在すら知らせたくない。小郡において同和団体は唯一解同だけ。行 政と運動団体の癒着の構図をみる思いだ。

 ちなみに、93年現在の小郡市の人口は4万9千人、年間予算は百九十二億六千万 円。小郡市内の同和地区人口は190世帯5百人である。同和予算は93年度当初実 績で約4億2千万円。このうち解同関係の予算は1億2千万円。内訳は、まず同和対 策費(=四千四十四万七千円)として、解同への団体補助金六百八十万円、筑後地協 の解放会館分担金百二十七万二千円、解放基本法制定資金五十万円、同和啓発花火三 十万円、人権パネル十万円、先住民年講演・講師謝礼七十万円、同対課職員人件費( 3人)二千六百五十万円。ついで隣保館運営費(=五千五百十万千円)として、同館 配置の職員人件費(6人)四千八百万円、同館清掃費三百六十万円、専用車百万円。 同和教育費(=二千三百七十四万六千円)は質問教室(促進学級)経費五百七十三万 五千円、解同の青年・婦人・子供会への団体助成金七百万などとなっている。この、 ほぼ投げ与えに等しい同和予算の執行状況は、まったく市民に知られていない。

 解同と二人三脚、絶対不可侵の同和行政、同和教育の実態を市民の批判にさらされ るのは解同に会いすまない。まして、解同と行政がつるんだ糾弾がらみの校長自殺事 件を市民が知るとやっかいという訳だ。真相糾明ビラでも共産党の場合は「党利党略 、同和問題の政治利用」と反共宣伝で片付くが、全解連のビラの場合はそうはいかな い。だから私たちのビラに神経をつかっている。解同王国・小郡市では、共産党より 全解連の方が行政にとって「やっかいな組織」なのである。

 その行政と解同の露払いをかってでたのが市同研ら解放教育の同推グループ。むし ろ校長自殺事件は自分たちの過信からミスリードだったことは先刻承知だろう。私た ち全解連に対する行政などの教宣活動「自粛」の申し入れを言論・表現の自由の侵害 とうけとめるどころか、憲法違反の反動行為を追認した揚げ句、なんと私たちに「市 民代表やPTA会長等の自粛申し入れを踏みにじる日本共産党=全解連の暴挙に抗議 の声を。住民無視、混乱だけを狙う日本共産党=全解連」との捏造ビラをだしてきた 。その上、宣伝カーをだして「特定政党と全解連のデマ宣伝に騙されないでください 」と流してまわったのである。

 ところが、市民の反応は行政や解同、市同研とは正反対だった。私たちが住宅地や 商店街、農村で小郡中事件の真相の糾明を訴えると、商店主がわざわざ店先にでてき て耳をかたむけ、民家から市民たちがビラをもらいにでてくる。子どもたちを学校に 通わせる若い主婦たちは家の窓をあけて熱心に訴えを聞いてくれる。訴えがおわると 拍手をして「がんばってください」と頭をさげる。それは同和地区でも同じ。地区の 環境が軒並み整備されているから、私たちはどこからどこまでが同和地区か皆目、見 当がつかない。ビラをまき、街頭で訴えていると三々五々、人だかりができる。熱心 に耳を傾けて、終わると拍手があり「がんばってくれ」と声が飛ぶ。あとでそこの街 が同和地区だったと知らされることが二度ならずあった。

 街頭宣伝で解同らしきものからの妨害があったのは小郡市役所付近でに一回だけだ った。そのとき、私たちはマイクのボリュウムをいっぱいあげて「市民のみなさん! 見てください。これが解同の正体です。暴力団のように私たち市民の表現の自由を妨 害しようとしています」と訴えると、かれらはあたふたと逃げていったのである。解 同や解放研・市同研グループは自分たちの正体を市民にみられること、真実を知らさ れることを極端にきらっている。まるで太陽にさらされることをきらうばい菌のよう な存在だ。

 こうして私たちは小郡中事件の真相糾明と11・23県民集会の案内を市内のすみ ずみまで、宣伝してまわったことはいうまでもない。

 8 全国調査団を拒否

 県民集会の開催をマスコミ各社に案内したが記事になることはなかった。しかし県 民集会の会場許可取り消し裁判の顛末を『赤旗』が、19、20日の社会面で三段記 事(西日本版)の扱いで報道した。記事は大阪以西の読者の知ることとなった。この ことが全国調査団への関係者の参加をあおったのはなんたる皮肉か。

 私たちは県民集会の前日(22日)、全国調査団による調査を小郡市に文書で申し 入れていた。これに対して小郡市から二度にわたって「受け入れ難い」との返事が全 解連県連事務所に届いていた。拒否の理由は3点。ひとつは、これまで二度、貴調査 団と会見しているからこれ以上会見は必要ない。二つめは、会見内容が「教育長の言 」として、真意が伝わらないまま一部報道され、市民等に誤解と混乱を招いているの で、今後このようなことを避ける必要がある。三つめは、学校現場にこれ以上の混乱 をさけたい、というものだった。

 果たして当日、全国十三都道府県から全解連中央の中野初好委員長を調査団長に、 全教中央の小松正明執行委員など五十人の代表が小郡市役所につめかけた。調査団の なかには遠く北海道からウタリ協会の代表二人の姿もあった。ウタリ代表は「私たち の中学校では生徒二人の自殺事件があったが、九州に来たら今度は校長先生が自殺し ていた。どうなっているのか」と眉をひそめた。解同に屈服した解放教育がもたらし た糾弾がらみの校長自殺事件とあって、私たちの予想以上の全国調査団だった。解放 教育の弊害をなんとかしたい。その思いが、会場にあてていた小郡商工会議所大会議 室を埋め尽くした。

 中野団長は「私の県、広島ではこれまで15年間に15人の校長や教師などが、解 同の教育介入のもとで命を落とすなど犠牲になっている。なんとしてもこうした事態 を是正しなくてはならない。そのために、わたしたちの部落問題にたいする考え、国 民融合の考え方を主人公である市民に広めたい」とあいさつ。

 このあと調査団は商工会議所と道を隔てた小郡市役所に出向き、市教委に調査のた めの会見を申し入れた。市教委は教育長などの不在を理由に応対を拒否。それじゃと 市長、助役に面会を申し入れたが、こちらも事前に雲隠れ。庁舎内には姿はなかった 。応対した総務部長に市長への取り次ぎを申し入れたが埒があかない。役所側の不誠 実な対応に全国調査団はカリカリ、総務部長に解同の教育介入と偏向教育の是正を行 政執行部に伝えるように強く迫ったが、のらりくらりと人を食った態度は露骨でさえ あった。解同にぺこぺこするが市民には横柄な小郡市。横着な応対が、はしなくもそ の行政姿勢を証明してみせたのである。調査団は怒るまいことか。

 9 市民を勇気づけた県民集会

 23日は勤労感謝の日。九州といっても福岡県は日本海型気候で、11月下旬はし ぐれる日が比較的多い。この日も生憎のしぐれ。私は準備のため朝7時すぎにマイカ ーで北九州の家をでた。天気さえよければ九州自動車道で、小郡の鳥栖ジャンクショ ン出口まで一時間半で十分。だが、この朝は、途中四、五回強い雨足にたたられ、徐 行運転を強いられた。そのぶん余分に時間をくった。全国調査団との待ち合わせ時間 の10時ぎりぎりに西鉄小郡駅前広場につくはめになった。すべりこみセーフ。

 県民集会は午後1時から。全国調査団は、それまでの時間を市民への街頭宣伝にあ てることにしていた。調査団は中野団長を先頭に四班にわかれ、それぞれ宣伝カーに 分乗、マイクとビラで真相糾明を訴える。まず、駅前広場で村崎勝利全解連本部副委 員長がマイクをにぎり、駅前周辺の商店街、市民に解同の教育介入の排除と教育の正 常化を力強く訴え、全国調査団代表のあいさつとした。このあと、四班の宣伝部隊は いきおいよく小郡市内各地を街宣、真相の糾明を訴えまわった。

 午前中、氷雨は断続的にふった。いやな天気だ。実行委員会のメンバーは会場の設 営、駐車場の案内、駅前からの案内のプラカードの設営に走り回った。集会妨害を予 想して防衛部隊も氷雨を雨合羽に受け流し、ぬかりない。参加者にこころ強いばかり だ。その間、氷雨は間断なくふる。無情の雨だ。演壇、議長団付近にテントが必要だ ろう。しかし、準備が間に合わない。私たちはあわてた。よし雨天決行だ、傘をさし てやるしかない。腹をくくった。

 「子どもたちと先生が安心して学べる学校教育を!」。会場正面に幅1,2メート ル長さ8メートルの横断幕がかかる。メインスローガンのオレンジ色が、雨の会場に あかるく映えた。そうする間に、雨はあがった。しかし風が冷たい。

 開会の一時。会場の東町公園に全解連、全教、共産党、市職労、民商など、各団体 の赤旗が林立。解同の教育介入を排して、子どもたちが自由にのびのびと勉強できる 当たり前の学校教育を小郡市で実現させたい。学校から人権を奪う解同の糾弾を排除 しよう。二度と校長自殺事件の悲劇をくりかえすな。その怒り、思いが悪天をついて 小郡市に県下、全国からの六百人の参加者となったのである。

 集会は各界代表あいさつ、政次県連書記長が、経過を粛々と報告したあと、小郡中 に子どもを通学させている父親が地元から報告した。この若い父親は、小郡中では解 放教育の結果、先生が同和地区の生徒になにもいえない状態になっていると学校現場 の荒廃を紹介。さらに「解同は差別が拡大、潜在化しているというが、自由にものが いえない教育で新たな差別をつくっているのは解同です。今朝、子どもにこの集会で 学校のことを発言するがいいか?といったら『大丈夫、息子を信頼してくれ』と逆に 励まされた」と発言すると、会場から万雷の拍手。感動にむせぶ婦人、「ガンバロー 」の声がとんだ。それは小郡の解放教育にたいする怒りにかわった。

 集会はこのあと、「部落解放同盟の教育介入から子どもと教育を守る運動のよびか け」として、小郡市と同市教委にたいして(1)二度とこのような事件を生まないた め、真相と責任を明らかにすること(2)子どもの発言を「差別」として社会問題に せず、学校の教育課題として処置すること(3)解同の教育介入をいっさい認めず、 教育の自主性を守る責任を果たすこと(4)解同の糾弾行為を認めず、これにいっさ い協力・関与しないこと、の四点の要求を読み上げ、県民集会の名のもとに参加者全 員の拍手で採択、確認した。

 約一時間二十分にわたった真相解明県民集会の一部始終は、高性能のラウンドスピ ーカーにのって市役所周辺の繁華街に流れた。小郡市民にとって、解同・解放教育批 判はタブーになっている。そのタブーを白昼堂々と破る県民集会が開かれた。解同批 判が一時間以上にわたって、繁華街にふりそそいだのである。解同タブーで閉塞した 小郡市民にとって、それは画期的なできごとだった。

 こころなしか集会後、繁華街を経由して西鉄小郡駅前広場まで集会のデモ行進を先 導した小郡警察署員たちのやさしかったこと。署員たちは終始笑顔で、デモ隊優先の 交通規制。こんなにもやさしい日本の警察ははじめてだ。それほどに解同の日ごろの 横暴、解同に屈服した行政のふがいなさを警察の態度が反証してくれた。

 10 小郡市議会での攻防

 県民集会には地元の小郡市民や教師の姿は少なかった。会場には解同の尖兵よろし く何人かの同推がカメラ、ビデオをもちこみ、「威嚇撮影」をしていたらしい。そう いえば私たちは、休日で閉庁の市庁舎の三階から会場全体を撮影する姿を確認してい る。あとでわかったことだが、小郡市内や三井郡の学校では、集会の直前、教師たち に「県民集会に参加するな」と内々に脅しがあったらしい。それでも私たちにしてみ れば予想以上に、教師たちの参加があった。うれしかった。

 その上、参加した教師たちは県下の教師仲間といっしょに集会後、小郡中の教師の 家庭訪問を行い、調査活動と激励にまわったのである。知らない町を地図で住所を確 認して、夜、遅くまで訪問活動に没頭したのである。教育を守る教師としての連帯の こころがそうさせたのか。本当にすばらしいことだ。教師たちは解同、解放教育、反 動的な福岡県の教育行政にけっして負けてはいない。この行動はなによりの、その確 かな証ではないか。

 真相糾明の第二ラウンドは、12月の小郡市議会定例会議にもちこまれた。

 15日午後、この日、本会議最後の質問者として登壇した共産党の魚住市議は、一 時間三十分のもち時間を小郡中問題一本に絞り込んで執行部の見解をただした。四十 の傍聴席は朝から解同側が傍聴動員をかけてほぼ独占している。傍聴できない私たち は、議場裏の執行部控え室の入り口を開けてもらい、また、議場の廊下にある換気口 に耳をくっつけて本会議討論を傍聴するしかなかった。

 解同のヤジはさけられない。市民の会は『小郡民報』で、この日の傍聴を市民によ びかけていたが、午後だったために出遅れた。市民、二十数人は傍聴できなかった。 休憩をはさんで本会議再開。議長が「十六番、魚住清文君」と指名した。

 ・・・今回の小郡中学校の事件は、小郡市民に大きな衝撃を与えています。学校の なかで穏やかに指導するのが当然であった生徒の発言問題を部落解放同盟が「差別発 言」と断定し、責任が学校にあるといって大掛かりな糾弾を行い、校長先生の自殺と いう痛ましい悲劇が、その直後におこったからです。・・・

 魚住市議は、淡々とした口調で質問原稿を読みはじめた。傍聴席からヤジはない。

 ・・・今議会で、真相の解明を行いたいので市長、教育長の事実にもとづいた答弁 を要求するものであります。質問の第一は、子どもの発言が差別発言となるかという 問題です。・・・

 同市議は質問の第二として、学校内でなぜ教育的に指導、処理しなかったのかとた だしたあと、第三として、市と市教委はなぜ確認会に出席したのかと追求。さらに第 四、糾弾会の不当性、第五、真相糾明の自粛要請は行政の開き直りと迫り、最後に、 公園使用取り消しは言論弾圧の憲法違反行為と決めつけ、第一回目の質問をしめくく り執行部に答弁をもとめた。

 傍聴席は静かだ。しわぶきひとつない。

 「田籠勝彦君」

 ・・・市は部落差別をなくし人権確立を重点政策に、各界各層の理解と強い支援を いただき・・・人権週間では啓発行進パレード、講演会では多くのご協力をいただき お礼申し上げます。小郡中にかかわる件は、教育現場のことなので教育部長に答えさ せます。公園使用の問題は、解放同盟からも公園使用願いがだされ、ピケ、衝突、混 乱が予想されたので、市民の会に使用取り消しを、解放同盟には不許可をした。混乱 回避が目的で言論活動を封じるつもりはなかった・・・。

 これが、田籠市長の答弁である。福田教育長は入院中のため林教育部長が答弁にた った。

 ・・・相手が被差別部落の出身であり、(「部落」という言葉が)いためつける言 葉として知ってつかった、小学校の人権学習でだされた言葉、マイナスイメージとし て生徒のなかに入っていたから、差別発言ととらえた。校内での教育指導については 、さまざまなケースがあるが、差別そのものについて不十分な認識にもとづく発言で あり、学校から指導をもとめられた。確認会は、主催は小郡中で、相手をうちのめす 言葉として使われたことを全員で確認した。教育課題は本市同和行政の課題。参加す るのは当然。公開学習会(糾弾会に出席しないこと)については、総務庁の啓発推進 指針は県教委が国の指導文書として扱っておらず、市としてそのような指導はうけて いない。情宣活動(の自粛)については、生徒、保護者への動揺があり、地区で登校 拒否をおこしかける事態もあり、沈静化にむけて努力していく・・・。

 議論はまったくかみ合っていない。魚住市議は二回目の質問で、

 ・・・子どもたちに「部落」と知らせたのは、小学校の狭山ゼッケン登校で部落民 宣言をさせたからだ。子どもたちが「部落」と聞いてイヤな顔をするのは、特設同和 授業で教師が子どもたちに「部落」を「イヤな言葉」として教えたからだ。原因は学 校の同和教育だ。ゼッケンをつけた公開学習会はどこにあるのか。まさに糾弾会だ。 大阪高裁判決で糾弾権があるように市はいうが、82年の最高裁判決で破棄されてい る。糾弾にしても、自粛問題にしても相手の言論を封じるやり方では問題は解決しな い・・・。

 と問題点をただし、再答弁をもとめる。

 弱点をつかれた教育部長は「学校で部落民宣言とか、あいつは部落だとか、そのよ うなことは指導していない。法的救済がないもとでの糾弾権はある」と居直り答弁。 それも「糾弾権の根拠を示せ」と再質問されると「県教委の見解にもとづいたもの」 とこんどは県の責任に転嫁する始末。だが、田籠市長は最後に同市議から、解同や同 推らが子どもをこの運動に利用しているがどうかと見解をもとめられると「子どもが 政争の具につかわれてはいけない」と解同らのいきすぎを認める答弁。この市長答弁 に同対課が「勝手な答弁は相手を利する」とクレームをつけたというから驚く。

 11 小郡中でまたもや失踪事件

 本会議の翌日、夜、小郡中二年生の父母から魚住市議宅に電話がかかった。子ども の話では、担任の若い教諭がもう一週間近くなるのに学校を休んでいるという。その 父親は「担任は解同役員の娘(二年で別のクラス)を生徒指導した際、足蹴りされて 叩きかえしたところ『校長が死ぬよりお前が死ぬほうがよか』といわれた」と話した 。あとでわかったことだが、この若い担任はそのとき、人知れず「男泣きしていた」 との証言もある。「学校に来なくなったのは、そのことが原因ではなかろうか。なん とかしてほしい」とその父親は心配する。

 またか。私たちはあわてた。これ以上の犠牲はまっぴらごめんだ。17日、魚住市 議は文教社会委員会の委員長だったこともあり、きゅうきょ文教委員会を招集、事実 経過を市教委にもとめた。若い担任は11日の夕方、家をマイカーででてから消息を たっていることがわかった。15日に両親が心配して筑紫野警察署に保護願いをだし ている。

 学校関係者の話では、失踪した担任は「廣木校長が自殺した現場に花束をささげた い」と同僚にもらしていたらしい。また、糾弾会についても「それは酷かった」とい う。しかし、家族たちが熊本県菊池市の山林一帯をさがしたが車はなかった。

 さらに私たちの調査で、学校がこの解同役員の娘について、なにひとつ指導しきら ないことがわかった。それによると、役員の娘は秋の同中の文化祭のとき、展示品を 鑑賞していた教師のうしろから「邪魔だからどいて」と横柄にふるまい、いわれた教 師は注意もしなかった。それを目撃した父母たちは「びっくりした」という。役員の 娘は所属のバスケットクラブでも暴力をふるうなど、とにかく問題行動が多く、教師 たちも「なんであんなに酷いんかなぁ」と手をやいているという。

 若い担任に失踪について市教委らの見解は「三者面談の準備ができていなかったか ら学校からエスケープしたもの」ともっぱら、個人の責任にすりかえ、小郡中での同 和教育の弊害にふれようとしない。

 幸運にも、この若い担任は19日午後、県内の書店にいるのを県警に保護された。 第二の惨事は回避され、私たちはほっとした。この若い担任はいま、精神的疲労で入 院している。

 エピローグ・立ちあがる市民

 暮れもおし詰まった12月23日。私たちは「小郡市の人権と民主主義を守る市民 の会」が開いた小集会に参加した。市民の会の集会は、12月の小郡市議会の報告と 県民集会後の市民の反応、小郡中学校の教諭失踪事件と市民の会のとりくみなどを討 議するものだった。

 年末というのに市民30人が集まった。元町内会長や元教師、現職の教師の姿もあ った。印象に残ったのは高齢の町内会長の元会長の発言だった。元会長は「たしかに 県民集会には私たち市民の参加が少なかった。しかし、市民の多くは参加したくても 行政の監視があって行けなかったと思う。みんなそう言っていた。だから県民集会は 六百人の参加数だが、小郡市民にとっては、実際には一万人の参加と同じ意味のある 集会だった」といい、「行政は市の広報で解同の声を代弁している。市民の会は宣伝 戦では相手から負けている。私の名前を出していいから、もっともっと正義のビラを だしなさい。それが市民の勇気を、やる気をひきだすことになる」とはっぱをかけた 。

 まったくその通りだ。いま、小郡市内の学校でもかわりつつあるという報告もあっ た。それによると、同和研修に講師できた解同の組坂県連書記長に、教師の一人が公 然「小郡中の糾弾会の真相は」と質問したという。意外な展開に解同書記長は苦しま ぎれに「むかしは自分たちは戦闘服で糾弾会にでていたものだが、いまはおとなしい ものだ」と自慢したらしい。行政が公開学習会といいはっているのを解同は糾弾会と 認めた。語るにおちる。

 小集会では市民から元気のいい発言があいついだ。とにかくできることはなんでも やろう。正義は市民の側にある。運動は持続、ねばり強く真実を地道にひとつひとつ 追求していこう、そのために市民の会の会員を一人でも多くつくろう。元自衛官も小 郡市の同和行政は許せないと入会を約束している。元教師は学校教育を守るために入 るという。いま小郡市では動きは小さいが、市民一人ひとりが小郡中問題をようやく 自分の問題、地域の問題としてうけとめつつある。この小さな流れが、やがて大河と なる日はそう遠くはない。                       (了)                          (全解連福岡県連書記次長)