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宮城県

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元禄4・5年(1691・1692年)製作の仙台城下五釐卦絵図。中央に「穢多町」の字が見える。
安政3年(1856年)・同6年(1859年)間製作の安政補正改革仙府絵図。中央に「穢多」の字が見える。

概況

宮城県の被差別部落の統計[1]

調査年 地区数 戸数 人口
1869~70年(統計集誌明治15年) - - 521(非人1119)
1907年[2] 1 24 120
1922~28年(協調会への報告書) - 119 370[3]
1965年(同対審『調査部会報告書』) 4 - -
1967年(野本武一) 1+α - -
1993年(『東日本の被差別部落』17頁) 1(かつて存在したことは明らかだが近年まだ確認されていない地区は4) - -

仙台藩では穢多の下にジウ(戎)という賎民がおり、死牛馬を扱っていた[4]。1882年の資料によると、仙台藩に396人の穢多と742人の非人がおり、登米藩には125人の穢多と377の非人がいた[5]

大正末年、宮城県は財団法人協調会の調査に答え、県内の被差別部落人口を119戸・370人としている[6]

仙台市表小路(仙台市青葉区国分町)の旧称は「革坊町」であり、この地に皮革職人が住み始めたのは伊達政宗の入府より遥かに古かったと推測されている[7]。このほか、奥州街道から宮城刑務所に向かう道路は「革坊通り」、この通りに建つ家並みは「革坊長屋」と呼ばれ、戸数50戸前後の被差別部落である[8]。旧称は新河原町東裏町で、現在の仙台市若林区河原町二丁目にあたるとも言われるが[9][10]、元禄4・5年製作「仙台城下五釐卦絵図」や安政3年・同6年間製作「安政補正改革仙府絵図」と現代の地図を照らし合わせると、江戸時代の穢多町は現在の仙台市若林区河原町一丁目2番地と一丁目3番地の各一部である。

「部落と白山神社の関係についての北限は、太平洋側は仙台」[11]といわれる。仙台の白山神社は、明治以降に被差別部落の中を転々と移動した末[12]、仙台市若林区木ノ下3-9-1に落ち着いた。

仙台市以外では大崎市岩出山[13]、白石市[14]、塩竈市[15]など、県下の4ヶ所に被差別部落があるとされる[16]。大崎市にあたる古川町南町に1戸、栗原市にあたる若柳町に1戸あったとする資料もある[17]。フリーアナウンサーの菊地舞美は大崎市古川出身で実家は肉屋だが、部落にルーツがあるか否かは定かでない。

野本武一は宮城県の部落について「仙台市河原町の外、各地に5戸位」、部落産業は洋傘直しや下駄の歯入れだったと述べている[18]。また、石巻市に6戸の地区があったという資料もある[19]。石巻で賤民は外郭の後町(現・門脇町)や湊(現・湊町)その他の地区に散在し、皮師・小屋主などと称されていた[20]

1919年当時、「N市Y部落」に6戸のエタ部落があったと山田野理男は伝える[21]。N市は名取市とも解釈できるが、山田の記事には「Y部落」の近くに志賀直哉の生家(石巻市住吉町)があると明記してあることから「N市」は「I市」の誤植である可能性が高い。ここの部落民はもともとF地に住んでいたが、Tパルプ(東北振興パルプ?)工場の敷地となったためY地区に移ったという。SYという70歳の老人は1949年8月に「わしは三十年前にこの地に掘立小屋を建て、N地を開墾したものです」「その頃でさえわしらは苗字もなく、この土地がYなので全部Yという苗字をつけるからと当時の市長Eさまのお達しがございました」と述べている[22]。だが平民苗字必称義務令が1875年に公布されていることから、1919年当時に苗字がなかったとの申し立てには疑義がある。

宮城県仙台市内の被差別部落(未指定)を真宗大谷派の小野和徳・住職と和田献一・部落解放同盟栃木県連委員長が案内した。被差別部落の場所として

*仙台市内の河原町・白山神社
*曹洞宗福聚院
*片平市民センター

が挙げられている。

片平市民センターの岡崎修子・館長は古地図『仙台城絵図』を用い、

旧城下町皮坊町から城下町外の河原町南東裏に穢多町が指定され、穢多、皮坊とよばれる人びとと河原者とよばれる人が住んでいた。 領内21郡(宮城県全域と岩手、秋田の一部)の死牛馬の皮革を一手に扱う権利を有した。そうしたことから裕福であった。 また、罪人の牢番、市中引き回し、磔刑や治安維拝のための辻番を務めていた

と説明している。[23]

白山神社

  • 宮城県仙台市若林区木ノ下3-9-1
  • 宮城県仙台市若林区荒井字押口56(合祀されて七郷神社)
  • 宮城県仙台市青葉区新川
  • 宮城県仙台市太白区秋保町長袋字清水久保北22(合祀されて秋保神社)
  • 宮城県大崎市岩出山南沢字木戸脇裏140番地(合祀されて馬主神社)
  • 宮城県大崎市古川大崎字名生小舘68(合祀されて大崎神社)
  • 宮城県大崎市松山下伊場野字宮下16(合祀されて八幡神社)
  • 宮城県大崎市古川衰口沼実倉7
  • 宮城県刈田郡蔵王町大字円田字白山28
  • 宮城県遠田郡美里町大柳字宮前2
  • 宮城県栗原市一迫柳目字大館1
  • 宮城県栗原市金成小迫山神77
  • 宮城県栗原市築館字富下熊川61
  • 宮城県栗原市栗駒八幡116(屯岡八幡宮。末社に白山神社)
  • 宮城県栗原市志波姫刈敷3-123
  • 宮城県登米市中田町浅水字浅部玉山24(白山姫神社)
  • 宮城県登米市中田町浅水字長谷山315
  • 宮城県牡鹿郡女川町女川浜字女川221番地
  • 宮城県石巻市十八成浜金剛畑20
  • 宮城県石巻市真野字内山18番地(旧・白山神社)
  • 宮城県石巻市真野舟渡6
  • 宮城県岩沼市押分字北土手79(白山姫神社)
  • 宮城県岩沼市南長谷諏訪128(千貫神社)祭神の一つが菊理比売命。
  • 宮城県亘理郡亘理町長瀞字坂下165(合祀されて尊久老稲荷神社)
  • 宮城県黒川郡大和町宮床字赤坂73(鶴ヶ峰八幡神社。末社に白山神社)
  • 宮城県加美郡加美町字味ヶ袋薬莱原2(合祀されて薬萊神社)

太鼓店

  • 睦屋 - 仙台市若林区連坊小路89
  • 中澤太鼓店 - 大崎市鳴子温泉上鳴子74
  • 太鼓の鳴鼓堂(菅原太鼓店) - 大崎市鳴子温泉字焼石亦19
  • 陸前屋太鼓店 - 大崎市古川飯川十文字2-1
  • 林吉四郎太鼓商店 - 白石市大川町3-15
  • 関ピアノ和太鼓センター - 角田市高倉字関場105-6

関連団体

  • 全日本同和会宮城県連合会 - 宮城県仙台市青葉区福沢町5-6

出典

  1. 『東日本の被差別部落』(明石書店)17頁
  2. 留岡幸助「特種部落と其人口」(『人道』69号所収、1911年刊)
  3. 『部落問題・水平運動資料集成』第2巻392頁
  4. 原田伴彦『日本封建制下の都市と社会』201頁
  5. 呉文聡『統計集誌』第8号、1882年
  6. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』31頁
  7. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』42頁
  8. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』32頁
  9. 『国立歴史民俗博物館研究報告』第67号、258頁
  10. 小松和彦、香月洋一郎『身体と心性の民俗』74頁
  11. 本田豊『白山神社と被差別部落』82頁
  12. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』34頁
  13. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』38頁
  14. 原田伴彦『部落差別史研究』第4巻、71頁
  15. 原田伴彦『部落差別史研究』第4巻、204頁
  16. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』30頁
  17. みのかさ生『民族と歴史(復刻版)第2巻第1号』(民族と歴史編輯所編、不二出版、1997)所収「舊仙臺藩内の穢多」
  18. 『全国同和地区実態調査抽出地区精密調査報告 農山漁村型』140頁
  19. 山田野理男『東北の部落から』(『部落 第5号』部落問題研究所、1949)
  20. 『原田伴彦論集』第4巻204頁
  21. 山田野理男『東北の部落から(四)』(『部落問題研究 第9号』部落問題研究所、1949)
  22. 山田野理男『東北の部落から』(『部落 第5号』部落問題研究所、1949)
  23. http://www.bll.gr.jp/siryositu/siryo-syutyo2008/news2008/news20080414-5.html