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同対審答申附属書類

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書誌情報

同和対策審議会答申(附属書類全文)

発行日 1965年8月11日
発行者 同和対策審議会

非常に有名な同和対策審議会答申であるが、付属書類の同和地区実態調査結果についてはあまり知られていない。

この文献は附属書類も含め、部落解放同盟と決別する前の社団法人部落問題研究所が政府の承諾の上で再出版している。また、同和問題資料として他の出版元からも無断で再出版されたようである。そのため同じ内容の文献がいくつかある。

政府出版物であり、政策資料として共有されていることから、事実上パブリックドメインである。

部落解放同盟東京都連は『同和対策審議会答申』を以下のように解説している。

部落解放同盟東京都連 - 同和対策審議会

部落差別の解消が「国民的な課題」であり、「国の責務である」と明記した政府審議会の答申です。1965年に出されました。今日の視点から見れば不十分な点も多くありますが、日本政府が「部落問題の解決を国策として取り組む」ことを初めて確認した歴史的な文書といえます。

「同和対策審議会」とは同和問題の審議の為、1960年に設置された総理大臣の諮問機関である。『同和対策審議会答申』には全国各地の同和地区、岡山県内の同和地区一覧等が掲載されている。すなわち『同和対策審議会答申』は『全国部落調査』同様、政府が部落差別解消を標榜しつつ、部落差別の原因となる「部落地名総鑑」を作成していた決定的証拠といえる資料である。

また部落解放同盟東京都連はウェブサイトに『同和対策審議会答申』の一部を掲載していることから、本資料を入手し閲覧していたことが窺える。明らかに本資料は「部落地名総鑑」であるにも関わらず、部落解放同盟東京都連はその差別性を批判しないばかりか、むしろ称賛している。また、本資料から同和地区を隠蔽して引用したことで、部落解放同盟東京都連は同和地区の情報をほしいままに独占していたことも窺える。

部落解放同盟や行政が「部落地名総鑑」を作成した事実を同和地区Wikiが告発していることに対し、部落解放同盟は「同和地区Wikiこが差別サイト」などと言いがかりを付け、提訴することで隠蔽工作をはかっている。一方、部落解放同盟は『同和対策審議会答申』のように政府や行政が「部落地名総鑑」を作成したことを部落差別として批判していない。すなわち部落解放同盟の意志は「部落情報の隠蔽」ではなく「部落情報の独占」にあることが窺える。


「同和対策審議会」の委員は以下の通りである。

『広報あしや』(昭和49年12月20日、334号、芦屋市役所)

磯村英一(東京都立大学教授)
伊藤昇(朝日新聞論説委員)
石見元秀(姫路市長)
尾形匡(新生活運動協会評議員、中央職業安定審議会委員)
北原泰作(部落解放同盟常任中央委員)
木村忠二郎(全国社会福祉協議会副会長)
高山英華(東京大学教授)
田辺繁子(専修大学教授)
柳井政雄(全日本同和会会長)

「調査部会」の構成員は以下の通りである。

部会長
 磯村英一(東京都立大学教授)
委員
 伊藤昇(朝日新聞論説委員)
専門委員
 大橋薫(明治学院大学助教授)
 小沼正(厚生省社会統計課長)
 竹中和郎(日本社会事業大学専任講師)
 野本武一(部落解放同盟中央執行委員)
 藤範晃誠(和歌山県人事委員長)
 山本政夫(全日本同和会常任理事)
 米田富(部落解放同盟奈良県連合会委員長)

部落地名総鑑である『同和対策審議会答申』は、驚くべきことに部落解放同盟、全日本同和会のような同和団体のみならず、朝日新聞論説委員の伊藤昇氏までもが作成に関与している。朝日新聞は『全国部落調査』の復刻版や同和地区Wikiを部落差別だと報じており、『同和対策審議会答申』との整合性が問われることになる。

部落解放同盟東京都連同様、『同和対策審議会答申』の内容を広報誌に掲載した芦屋市役所は、以下のような衝撃的な内容も掲載している。

同和対策審議会答申をご入用の方は、芦屋市教育委員会同和教育室(電話(31)2121)へご連絡ください。無料で差しあげます。
『広報あしや』(昭和49年12月20日、334号、芦屋市役所)3面左下.jpeg

『同和対策審議会答申』は『全國部落調査』を発刊した中央融和事業協会に言及している。[1]

2 同和問題の概観
(1)実態調査と同和問題  同和対策審議会は調査部会を設け,昭和37年調査として昭和38年1月1日現在について同和地区(以下「地区」と称する。)に関する基礎調査を実施した。 これまで大正10年に内務省により「全国部落統計表」が作成され,昭和に入ってからは,10年には中央融和事業協会によって,33年(34年に補正)には,厚生省によって調査が実施された。 なお34年に文部省によって学童数,学校数などの調査が行なわれた。 しかし,これらは各々特定の目的に答えるためのものであり,地区の所在地,世帯数,人口,職業などの点において必ずしも総合的な結果を示していない。しかし,今回の調査の結果を通じて 
<1> 地区の内外において一般地区住民との混住が多くみられること。 
<2> 都市の同和地区の場合は,これまでの地区が一般地区的な様相をもち,具体的にとらえることが困難になっていることがあげられる。そのために,今回は数府県が調査不能であった。これには地方行政機関の同和問題に対する認識のちがいも原因となっていることは否定できない。 
<1> 地区の内外において一般地区住民との混住が多くみられること。 
<2> 都市の同和地区の場合は,これまでの地区が一般地区的な様相をもち,具体的にとらえることが困難になっていることがあげられる。そのために,今回は数府県が調査不能であった。これには地方行政機関の同和問題に対する認識のちがいも原因となっていることは否定できない。これまでの調査と比較して数量的把握を困難とした理由は,都市およびその周辺地域では, 
<1> 戦災疎開などによる地区住民の地域的分散が行なわれたこと。 
<2> 区画整理等によって地区内での再配置があったこと。 
<3> 一般の低所得階層密集地区(スラム)との地域的な混住が行なわれたことなどである。つぎに,都市以外の地域では 
<1> 社会,経済等の変動にともなう人口移動の傾向によって地区住民の転住がみられること。ことに農村地区における離村傾向の増大が指摘される。次に, 
<2> 戦後の民主的な思想の普及などによって,一般地区住民との混住が幾分多くなったことなどである。
したがって,全国の同和地区の所在を適確に把握することはきわめて困難であり,集団地区以外にかなりの関係住民のいることも十分に認識しなければならない。同和問題が現在の時点において重要性をもつのは,数量的に,地区的にとらえられるような現象だけではない。日本の社会体制のあらゆる面で,根強く潜在している差別的な実態そのものが,問題なのである。 
全国水平社は,改良主義の部落改善ではなく完全な解放を目ざし,協調的な融和主義ではなく差別撤廃のため闘争する自主的団体として発足した。これは融和団体と根本的に異なる性格である。この全国水平社の運動は燎原の火のごとき勢いで全国的に拡がり,「我々に対し穢多及び特殊部落民の言行によって侮辱の意思を表示したる時は徹底的糺弾を為す」という大会決議が実践にうつされたため,初期の段階において一面では反社会的現象もあらわれたことは否定できない。けれども他面において,同和地区住民の基本的人権に関する自覚を高めたこと,部落差別の不合理性についての社会的認識を普遍化したことなど,水平社運動が果した役割は大きかったといわなければならない。 全国水平社が結成された翌年の国の地方改善費予算は,一躍前年度の2 倍を超える491,000  円に増額された。政府は,12  年8 月内務大臣訓令を出して,差別的偏見打破の必要を力説するとともに,積極的に融和運動の奨励助成に努めたので,全国の関係各府県にもれなく融和団体が組織された。 そして,さらに民間融和団体を統合した全国的連合体である中央融和事業協会がつくられ,平沼騏一郎が会長となり内務省の外郭団体として水平社の運動に対処する陣容が整えられたのである。  昭和5,6  年にわが国農村を襲った農業恐慌に対処するため,政府は時局匡救対策を実施したが,そのさい同和対策の応急施策として貧困な地区農民を救済する事業が行なわれた。それが契機となって,従来の観念的な融和運動から自覚更生の経済施策に重点をおく運動へと発展した。そしてさらに昭和10 年「融和事業の綜台的進展に関する要綱」が決定され,それに基づいて昭和11  年度を起点とする「融和事業完成10  カ年計画」なるものが立案された。その内容をみると,経済更生施策と教育文化施策を大きな2 本の柱とし,経済更生施策としては,中堅人物の養成と自覚更生運動に重点をおき,教育文化施策としては,同和教育の振興と差別解消のための啓発教育活動に力点をおくものであった。 このことは従来,無計画であった同和対策に総合,統一性と計画性とを与えたという意味で,画期的な意義をもつものであった。しかし,政府はその計画を全面的に採用する予算措置を講じなかったので,折角の計画も中途半端におわり,やがて太平洋戦争の勃発により同和対策は戦争政策の犠牲にされ,険しい時局の暗闇のなかに埋没されてしまった。それと同時に,中央融和事業が指導する融和運動もまたしだいに国家主義,軍国主義の傾向を強め,戦争目的に順応する国民精神総動員運動の一翼と化し,本来の目的と役割とを喪失していったのである。 

以上のように『同和対策審議会答申』の内容からして、部落解放同盟が『全國部落調査』を差別図書と名指し、一方で『同和対策審議会答申』を称賛しているのは意味不明という他無い。

見られる場所

  • 京都府立図書館


内容

メディア:同和対策審議会答申.pdf

同和対策審議会答申333頁.jpeg
同和対策審議会答申表紙.jpeg
同和対策審議会答申87頁.jpeg
同和対策審議会答申88頁.jpeg

(社団法人部落問題研究所版)

  • p96 各県の未指定地区数(1968年)
  • p101 各県の同和地区数(1962年)
  • p110 全国精密調査対象地区(1962-1963年)
  • p333-334 岡山県における県費補助事業(1963年)
岡山市 乙多見 花畑 巌井 北浦 下内田 神下
倉敷市 徳芳 石田 浦田 青江宮前
津山市 山根 院庄 西入出 西高倉 一方上 大篠 瀬戸 榎 西総社
玉島市 池畝
笠岡市 吉田 新賀
西大寺市 五軒屋
井原市 花野
総社市 八神 上林 長良
高梁市 巨瀬六名
湯原町 豊栄
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久米町 宮部下 南方中
足守町 玉田西町
昭和町 原

出典