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中渡瀬允浩

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会計 

住所・電話番号は『電話帳検索・実』及び『Yahoo!検索』に掲載されている。 https://archive.fo/ty0pW

『ねっとわーく京都』は中渡瀬允浩について以下のように報じている。[1]

解放同盟支部長、“宴会と部落解放”を語る。
『ねっとわーく京都』2005年1月号掲載
寺園敦史(フリーライター)

 前号で「最後まで、この悪あがき」と題して京都市同和温泉補助金事件住民訴訟における、最終盤での部落解放同盟幹部と京都市側の主張内容をお伝えした。この事件は「市民ウォッチャー・京都」としても取り組んでいるので、このコーナーを借りて続報したい。
 桝本市長が「同和問題の解決にとって有効かつ適切」(京都市同和対策事業助成要綱一条)と認定し続けてきた部落解放同盟支部の「学習事業」がどのような実態であったのか。今回は、解放同盟京都市内一〇支部(不正受給していなかった七条支部のぞく)の中でももっとも活発に補助金詐取をくり返していた千本支部(中渡瀬允浩支部長=当時、以下同じ)と田中支部(井上寛支部長)、そして京都市同和対策室(課)職員(笠松恒洋課長)が、住民訴訟の証人席で語った内容について見ていこう。
■「学習会」を目的としない「学習事業」
 その前に前号記事に掲載された写真画像があまりにもボケていたので鮮明な写真を再掲したい(頁)。これは解放同盟田中支部が一九九七年一一月に行った「支部一泊学習会」の学習会場となったホテルアンビア松風閣(静岡県焼津市)受付に隣接しているラウンジである。
 京都市の主張及び井上支部長の証言によると、田中支部メンバー二四人が井上支部長を講師に立て、このラウンジで「田中支部のまちづくり」の学習会を約一時間にわたって行ったという場所である。ホテル側はわれわれ原告団の問い合わせに対して、「ラウンジを学習会や会議等で使用することを認めていない」と回答している。しかし、ホテル側の回答を待つまでもなく、写真を見ればこのようなラウンジで二〇人以上で学習会を行うことなど可能かどうか、りょう然であろう。
 田中支部のこの「支部一泊学習会」には京都市から一五五万円の補助金が交付された。その後裁判を通じて、大幅な「水増し申請」による不正受給であることが発覚し、支部側はすでに交付金額のうち一〇九万円を返却している。
 これだけの助成を受けた「学習事業」を実施しておいて、会議室も確保していない(もちろんホテルには会議室は完備している)という事実をみても、京都市や支部の言う「学習事業」とはけっして「学習会」を目的としたものではないことがわかる。ちなみに、この「学習事業」には京都市同対室職員らが随行していたことも付言しておこう。
■「酒少量」の基準
 同盟支部が「学習事業」名目で出かけた温泉旅館などで、コンパニオンとともに酒宴に興じ、また、カラオケ、マージャンを愉しみ、スナックや夜食、はては旅館従業員へのチップ、これらすべて公金で支払われていたことは、これまで本誌で指摘してきたとおりだ。
 そこで気になるのは、当日の宴会とはいったいどういったものだったのか、ということだろう。
 被告(京都市)代理人からの「宿舎で行う懇親会とは宴会のようなものなのか。どんちゃん騒ぎをするのか」との質問に対し、千本支部の中渡瀬支部長、田中支部の井上支部長とも同趣旨のことを回答している。
 中渡瀬支部長の証言「いや、違います。宴会といえば、ややもすればお酒を飲んでどんちゃん騒ぎをする、そういうことにつながっていくと思いますが、けっしてわたしたちは。ここで夜、食事をしながら少量ですがお酒をいただいて、そこで自分たちの思いを日常町内でご苦労願っていることを語らい合うというか、そういうことというのはある意味では町内にいてはできないことをさせていただけることというか、ぼくは学習会に次ぐ非常に重要な場面であると思っております」
 井上支部長の証言「いや、そうでもなくて、お互いの仲間意識、また部落民としての社会的立場をお互いに自覚をして、その解決に向けて取り組んでいこうという決意を新たにした、そういう懇親会になってます」
 まず、中渡瀬支部長が「少量ですがお酒をいただいて」と述べていることについて触れておこう。実際のところ、宴会での酒の量はけっして「少量」とはいえない。
 一九九八年七月四、五日の同支部の「青少年女性部合同学習会」事業(市補助金は一八〇万円。うち約五五万円は返金済み)で宿泊した旅館は加賀市の佳水郷である。旅館が提出した夜の宴会時の支払い明細書には、こう書かれてある。
「日本酒本、冷酒本、いいちこ4本、リザーブ1本、ビール本」このときの参加人数は四六人。これで少量なのか。証人尋問の際、原告側はこの点をただした。
──これだけ飲まれるのはふつうであったらかなりの量だと思いますが、懇親会ではこの程度の量はいつも飲まれるということなんですか。
中渡瀬支部長「いや、ちょっとわかりません」
 また、中渡瀬支部長は支部の「学習事業」にしばしばコンパニオンを呼び寄せていたことを聞かれ、「コンパニオンを呼んだなんて記憶にない」「(自分は参加していない事業については)なぜ呼んだのかその意図はわからない」などと語った。
■温泉地でなければならない理由
 たしかに、旅先で温泉につかり、うまい料理、酒を前に開放的な気分になり、会話もはずむということは事実であろう。しかし、それを公金で行うことが妥当かどうかは別のことである。だいたい詐取した公金で酒食(ときにはコンパニオンと一緒に)して「語らい合う」も「部落民としての自覚」もないだろう。いったい、全国的に見ても長い闘争の歴史を有する両支部が、酒が入らないと支部員どうし身のある話し合いができないなどというのはどうしたことか。
 「学習事業」当日、議論されたとされているテーマは、その大半が地区内のことである。京都市に補助金を申請して、遠方にくり出して実施しなければならない理由は何もない。そもそもなぜ温泉に出かけなければならなかったのか。
 井上支部長の証言「やはり京都を離れたところで学習会をするというのも、気持ちの上でも集中して意見が出ると思って、たまたまそういう遠隔地になったということ。それと、お年寄りなんかは遠いところに行ったことがない方もおります。そういう方にも、富士山が見たいということでありましたので、焼津で学習会を行ったこともあります。たいへんお年寄りは喜んでおられました。自分らの時代はこういうところまで来たことがないと。支部の学習会で富士山を見られたということはたいへんありがたいということも申してました」
 笠松課長は温泉地開催する意義と市がそれに対する助成を打ちきった事情をこう証言した。
「当時の状況からすれば、参加意欲を引き立てるために、温泉地でやるということは一つの方法であったかと思います。ただ温泉地で学習会をしますと、いくら立派な学習会がされていてもなかなか市民的理解が得られない状況になってきたのかなと。そういうことで温泉地については補助しないということに変えていったと認識しています」
 有名な高級温泉旅館にいけるとなれば参加者が増えるということはあるに違いない。お年寄りが初めて富士山を目にして感激したということもあり得る話であろう。しかし、だからといって「学習意欲」が高揚するものではないだろう。逆に前述の通り、開放感全開で酒をのんだり、人によってはコンパニオンと遊んだりということになるのが関の山というものである。だが、くり返すが、いちばん肝心な点はなぜその費用を市民が負担しなければならなかったのか、温泉に行きたいのなら自腹を切って行けばよいではないか、ということであろう。
 このような「学習事業」によって部落問題の何が解決しえたのか。少なくとも、京都市と解放同盟の協同による長年の不正工作が明るみになることによって生じた、市民の行政と運動への不信を覚悟してまで、実施しなければならない効果など何もないことはたしかだろう。支部長と課長の証言は、京都市の同和行政が、本来の目的から完全に逸脱して暴走していたこと、そして、同和行政が部落解放運動あるいは「部落」を特別扱いされること(すること)に疑問を抱かない人たちを生み出してきたことを如実に表すものである。
■不正の日常化で歪められてきた行政意識
 両支部長はともかく、証言台に立たなければならない笠松課長については、同情を禁じえなかった。立場上これ以外選択肢はないのだろうとは推測するものの、しかし、その証言内容には、まったく落胆させられた。先に引用した証言もその一つだ。「ただ温泉地で学習会をしますと、いくら立派な学習会がされていてもなかなか市民的理解が得られない状況になってきたのかなと」。
 「立派な学習会」をいつどこでやったというのか。また、昔も今も、公金を使って温泉旅館でどんちゃん騒ぎをやることを、市民は一度たりとも理解の意を表明したことなどないはずである。一九九九年まで「公金温泉旅行」を可能にしてきたのは、その事実を市民に対し隠ぺいしてきたからに他ならない。京都市は「公金温泉旅行」の実態の公開をあらゆる行政機構をつかって妨害してきたのである。

 わたしのような「部外者」からはなかなかうかがい知ることはできないが、長期にわたる不正の日常化によって歪められた市職員の意識(当人は歪められているとは自覚していないだろうが)の深刻さも感じた。京都市と解放同盟とのこれまでの関係を是とする職員はおそらく少数であろうが、一方、わたしの指摘に反発する市職員も少なくないに違いない。京都市政におけるこれまで積み上げられてきた〈同和〉にかかわる問題は、まだまだ重大であると思う。