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鹿児島県

提供: 同和地区(被差別部落)Wiki
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鹿児島藩の被差別部落の分布図。

概況

鹿児島市小松原には皮革産業の栄えた被差別部落があり、1976年に同和地区指定を受けたものの、今日では混住が進み、町内の戸数1000戸の中で同和関係者は県下各地からの移住者を加えても200戸程度にすぎないと報告されている[1]

また、鹿児島市小野も1981年に同和地区指定を受けており、両方の地区に鹿児島市隣保館条例に基づく隣保館がある[2]

  • 鹿児島市小松原市民館 鹿児島市小松原一丁目48番6号
  • 鹿児島市小野市民館 鹿児島市小野三丁目13番7号

なお、鹿児島市では他地区で生れた人でも半年以上住んでいれば同和地区住民として扱う属人方式をとっている[3]

宮之城町(現・さつま町)にはM地区(前岡? 520人)・A地区(青芝野?)・N地区(永野? 11戸)の3ヶ所の同和地区があり、同和地区人口は約260戸・640人である[4]。宮之城の部落姓は「時吉」である。伝承によると時吉氏はもともと大前(「おおくま」もしくは「おおさき」[5])姓であり、地元の豪族であったが、島津氏と対立して1784年に被差別身分に落とされたという[6]。A地区は明治期にM地区から分離した部落である[7]

「私の姓は『時吉』ですが、この地方では『時吉』という姓はイコール『穢多』であることを意味しました。『時吉』という姓は、歴史的に見れば由緒があり、大きな意味を持ったものなのですが、江戸時代の終わりごろから、明治、大正、にかけては、穢多はすなわち『時吉』でした」
「源里用の六世の孫である助兼は、『大前』と号し、東郷の斧渕を居城として、その名田に『時吉』と命名しています。それから後は、国司関係では『時吉』を号したことが分かっています」
「ただし私は、『時吉』という姓に愛着と誇りを持っていて、卑下することはないと思っていましたので、『時吉』の姓を変えませんでした。よそに働きに行っていた人も、改姓できませんでした」[8]

時吉姓の者は、政治家の松本治一郎の尽力で多くが改姓した[9]。Mとしている地区名は前岡のことであり、太陽福祉センターの名前は出してあるので、さつま町立太陽福祉センター条例から薩摩郡さつま町宮之城屋地とわかる。

菱刈町(現・伊佐市)にはK地区(狐岩? 共進? 390人)、M地区(前田? 130人)、A地区(荒田原? 30人)の3ヶ所の同和地区がある(山名伸作「山口県と鹿児島県の同和地区現地研修記」には「合計で約300戸、900人」と書いてあるが計算が合わない)。伊佐市菱刈前目3133番地には「伊佐市隣保館の設置及び管理に関する条例」に基づく菱刈人権文化センターがある。また、伊佐市大口白木172番地45には大口冨士福祉館もある。

入来町(現・薩摩川内市入来町)では部落でない湯之元地区を同和地区指定していた[10]

種子島氏の城下だった種子島には日本最南端の被差別部落があり、林力「日本最南端の荊冠旗 種子島の被差別部落」と題する一文が『部落解放』1981年2月号(161号)に収められている。

鹿児島県の被差別部落の統計[11]

調査年 地区数 関係市町村数 世帯数 人口
1971年 36 17 不明 不明
1975年 36 16 不明 不明
1984年 49 25 2560 8270

なお川元祥一によると、鹿児島県の部落には必ず薩摩一向宗の守り神として熊野権現が祀られているという[12]。島津藩では浄土真宗(一向宗)が禁じられていたが、禁制下の門徒衆は「隠れ念仏」として密かに信仰を続け、この行為が露見して賤民に落とされた例も複数伝えられている[13]。このことから川元は、鹿児島の一向宗が熊野権現を隠れ蓑にして自らの信仰を貫いた可能性を指摘している[14]

1963年10月10日に長崎家庭裁判所佐世保支部で、申立人の氏「○○」を「山本」と変更することを許可する判決が出されたとする。元の姓は熊本県、鹿児島県では、同和地区出身者と見なされる姓であったことから、弟が名乗る山本姓に変更している。鹿児島県出水郡〇〇町出身としており、時吉姓のことか[15][16]

「鹿児島では、日置郡○○町××部落の一部落一二二戸中一一五戸が同一姓であり、そのうち昭和二三年に四七戸、昭和二四年に二三戸が申し立て、そのうち八戸以外が許可されている。従来の事例では最も多数のものである」[17]。鹿児島県における1948年と1949年の改姓の申し立てに関する記述。なぜ、8戸が不許可となったかは不明とする。『全國部落調査』によると、日置郡の部落で122戸に最も近いのは伊集院町太田の丸山地区。

「『鹿児島県は改姓が盛んで、八割の家が苗字を変えたらしいのう』田畑は腕組みをし、宙をにらむ」[18]。和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の天満地区に住む田中姓の者と田畑姓の者の会話。

「『同和利権』は鹿児島の場合鹿児島市を境に県北は『解同』の勢力範囲、県南は同和会と二分されています」[19]。枕崎市は、1981年3月に全国の自治体で初めて同和対策事業を打ち切っている。

2009年に松戸女子大生殺害放火事件をおこした竪山辰美は鹿児島県出身で、竪山姓は霧島市隼人町真孝で日本最多の稀姓だが、竪山辰美が部落出身かどうかは不明である。

文献

全國部落調査(1935年)

鹿兒島縣 昭和十年二月現在

332頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
鹿児島郡 谷山町 塩屋 北上塩屋 二二 一一六 革骨肥料商 日傭 鹿児島市 小松原 2丁目 1981年に谷山塩屋町が小松原2丁目に改称。鹿児島市では、戦災で市街の95%が焼失しており、小松原地区は戦後になって形成されたとする[20]。また、小野地区と合わせた2地区の1983年9月時点の地区人口は2,838人、関係人口は855人で混住率は30%としている[21]
揖宿郡 頴娃村 郡 三一 一七二 農業 漁業 南九州市 頴娃町郡
川邉郡 川邉町 平山 時吉 三一 一五九 左官、日傭、藁細工 南九州市 川辺町平山
日置郡 伊集院町 太田 丸山 八二 四四五 藁細工 日置市 伊集院町大田 丸山姓16件。2000年電話帳。
〃 日置村 日置 柿ノ谷 五五 四〇六 竹細工 日置市 日吉町日置 柿之谷
〃 〃 原村 一五 六二 藁細工 日置市 日吉町日置 原村姓9件。2000年電話帳。小字の草原東・草原西付近に分布。
〃 阿多村 宮崎 宮崎西 五四 三七八 生肉行商、狩猟 南さつま市 金峰町宮崎
〃 市来町 大里 松山 四七 三〇九 藁細工、魚行商 いちき串木野市 大里 いちき串木野市(旧:日置郡市来町)から1935年の経済厚生指導者会議に出席した原口姓の者がいた[22]。同地に時吉姓の者がいた[23]。原口姓15件、松山姓7件。2000年電話帳。バス停の名前に「松山」が残っている。
薩摩郡 川内町 西手 坂本 一一四 六〇五 行商、日傭 薩摩川内市 冷水町 1940年に西手の一部から冷水町が成立。薩摩川内市冷水町では、福山姓が多い[24]。『部落解放史宮崎 1号』(宮崎県同和教育研究協議会部落史研究専門委員会編、宮崎県同和教育研究協議会、1987)では1660年(万治3年)の川内市の『F家文書』について記しており、入来院氏が1539年(天文8年)に隈之城を攻めた際にシクが矢を放って反撃してきたので、熊野神社を焼き払った。その後に入来院氏に不幸が続いたことから、F家に熊野神社の再建を命じており、江戸時代に入ると姓を取り上げられたとする。Fは福山。福山姓63件。2000年電話帳。
〃 〃 五代 江川 一〇二 六二〇 薩摩川内市 五代町 福山姓12件。2000年電話帳。
〃 下東郷村 白浜 杉ノ角 四〇 一九一 煙草、養蚕、下駄 薩摩川内市 白浜町 杉ノ角 薩摩川内市(旧:薩摩郡下東郷村)に福山姓の水平運動家がいた[25]。福山姓48件。2000年電話帳。
〃 樋脇村 塔ノ原 岩下 六三 三六九 養蚕、煙草 薩摩川内市 樋脇町塔之原 樋脇町塔之原7557−1に「岩下荒茶生産組合」あり。「鹿児島県薩摩郡H村の部落は平家伝承の村である。平家が壇ノ浦の合戦で敗れ、安徳天皇は海中へ没した。その一族は最初、宮崎県都城市へと落ちのびて身を潜めていた。ところが平家一門であるとの身分がばれその地を追われて、現在の地へと移ってきて土着した」[26]。H村には、薩摩郡樋脇村がある。薩摩郡樋脇村岩下の地区は、北郷氏により庄内から移された三家が祖と伝える[27]。庄内は、宮崎県都城市にあたり、北郷氏が移ったのは1659年(万治2年)。薩摩川内市(旧:薩摩郡樋脇村)に以下の姓の融和運動家がいた[28]。池田、窪田。同地から1935年の経済厚生指導者会議に出席した大津姓の者がいた[29]。同地に福山姓の者が2人いた[30]。同地に田島姓の者がいた[31]。岩下姓46件。2000年電話帳。
〃 〃 西ノ原 二六 一六六 養蚕、煙草 薩摩川内市 樋脇町塔之原 樋脇町塔之原8110に「西之原製茶加工場」あり。西原姓6件。2000年電話帳。
〃 入来村 大内田 大内田 一一 七四 草履製造 薩摩川内市 入来町副田 入来町副田1511-17に「大内田自治会」あり。薩摩川内市入来町副田の大内田地区に以下の姓の者がいた[32]。岩下、内田。全解連の役員に薩摩川内市(旧:薩摩郡入来町)の西姓の者がいた[33]
〃 宮之城町 屋地 前岡 一三三 七〇六 革骨商、行商、日傭[34] 薩摩郡 さつま町 宮之城屋地 前岡 屋地に時吉姓6件。2000年電話帳。時吉一族の祖先は平安時代以来の土豪の大前氏だが、島津氏に逆らって弾圧を受け、一族には「死苦」、その居住地には「死苦村」の名が与えられ、のち1784年7月7日に島津家からの布告で正式に穢多身分に落とされた[35]。同地の住民として以下の姓の者が登場する[36]。原園、藤原、松下。同地には他に以下の姓があった[37]。岩元、大迫、柿園(かきぞの。鹿児島県が最多の稀姓)、岸良、桑本、谷口、濱田、堀ノ内、水島、本村、山崎、米満、渡利。
〃 佐志村 廣瀬 青芝野 二四 一〇八 日傭 薩摩郡 さつま町 広瀬 青芝野
〃 黒木村 小牧 野稲ヶ原 二七 薩摩川内市 祁答院町黒木 祁答院町黒木5012に「小牧公民館」あり。
〃 永野村 永野 下永峯 一四 四九 養蚕 薩摩郡 さつま町 永野

333頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
薩摩郡 永野村 永野 下別府 一五 五四 農業 養蚕 薩摩郡 さつま町 永野 下別府 下別府姓9件。2000年電話帳。
〃 大村 下手 枯木野 三三 日稼 薩摩川内市 祁答院町下手 『角川日本地名大辞典』の小字一覧に祁答院町下手の小字として枯木野の記載なし。
〃 〃 〃 松坂 二二 薩摩川内市 祁答院町下手 『角川日本地名大辞典』の小字一覧に祁答院町下手の小字として松坂の記載なし。
〃 〃 上手 宇坂 三六 薩摩川内市 祁答院町上手 宇坂
出水郡 米之津町 知識 大野 四三 二一五 藁細工 出水市 知識町
〃 高尾郡町 唐笠木 平牟田 一七 七二 日傭 出水市 高尾野町唐笠木 出水市(旧:出水郡高尾野町)の解放運動家に中村姓の者がいた[38]。唐笠木に中村姓6件。2000年電話帳。
〃 野田村 下名 二七 一五七 出水市 野田町下名 旭 出水市(旧:出水郡野田村)に道上姓の者がいた[39]。道上姓6件。2000年電話帳。
〃 西長島村 下山門野 廣野 五三 三六三 草履製造 出水郡 長島町 下山門野 小字には広野上と広野下がある。出水郡長島町(旧:出水郡西長島村)の融和運動家に向江姓の者がいた[40]。下山門野に向江姓5件。2000年電話帳。
〃 阿久根町 赤瀬川 黒崎 一二 一〇〇 藁細工 阿久根市 赤瀬川 黒崎姓23件。2000年電話帳。
伊佐郡 本城村 荒田 荒田原 五七 二八一 日稼 伊佐市 菱刈荒田 川越姓2件、川添姓7件、時吉姓3件。2000年電話帳。
〃 山野村 小木原 日勝山 一一 五六 伊佐市 大口小木原
〃 大口町 里 尾曲 四八 二四一 伊佐市 大口里 尾曲 伊佐市大口里に藤本姓の者がいた[41]
〃 〃 〃 西永尾 一七 七八 藁細工 生肉行商 伊佐市 大口里 小字「西永尾」の範囲は要調査。永尾姓1件。2000年電話帳。関係不明。
〃 羽月村 鳥巣 狐岩 四一 二〇三 農業 養蚕、藁細工 伊佐市 大口鳥巣 狐岩 伊佐市(旧:伊佐郡羽月町)に上平姓の者がいた[42]
〃 菱刈村 前田 共進 四二 一七〇 日稼 伊佐市 菱刈前目 前田は前目の誤記。バス停に「共進集会所前」あり。伊佐市菱刈町前目の部落解放同盟前目支部に以下の姓の者がいた[43]。下村、横山。
〃 〃 〃 前田 二七 一一〇 伊佐市 菱刈前目 同上。前目の小字には前田と前目あり。
姶良郡 牧園村 宿窪田 川原 一六 八〇 下駄製造 霧島市 牧園町宿窪田 川原 霧島市(旧:姶良郡牧園村)に川越姓の融和運動家がいた[44]。川越姓3件、川原姓9件。2000年電話帳。川原姓は川原の地名とは離れている。関係不明。
〃 〃 横川村 中 谷之口 三六 日稼 霧島市 横川町中ノ 谷ノ口
〃 吉松村 川西 丸山 三九 一六〇 姶良郡 湧水町 川西 別名、加治屋部落[45]。時吉姓6件、丸山姓28件。2000年電話帳。丸山姓が多いのは、むかし火災で村が丸焼けになったことから、同じ不幸を二度と繰り返さぬよう自戒するためで、出火のあった4月4日には毎年村人が集まって火事の様子を語り継ぐという[46]

334頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
姶良郡 栗野町 幸田 下村 三四 一五〇 農業 日稼 姶良郡 湧水町 幸田 下村姓8件。2000年電話帳。
〃 〃 恒次 上村 六三 二七九 姶良郡 湧水町 恒次 上村姓27件、恒岡姓4件。2000年電話帳。
〃 〃 稲葉崎 原田平 一二 六九 姶良郡 湧水町 稲葉崎 原田平 姶良郡湧水町稲葉崎に山口姓の者がいた[47]
〃 隼人町 眞幸 西眞幸 三四 二〇〇 霧島市 隼人町真孝 真孝西 眞幸は眞孝の誤記。霧島市の部落解放同盟隼人支部に山口姓の者がいた[48]。他に川越姓の者がいた[49]。 他に鎌田姓の者がいた[50]。霧島市隼人町真孝では木村姓が多い[51]。隼人町真孝に野間姓29件。2000年電話帳。
〃 蒲生町 下久徳 三池原 一三 五七 叺製造 姶良市 蒲生町下久徳
〃 加治木町 木田 浜村 四三 二二八 日稼 姶良市 加治木町木田 姶良市(旧:姶良郡加治木町)から1935年の経済厚生指導者会議に出席した以下の姓の者がいた[52]。永田、増田。同地に野間姓の者がいた[53]。野間姓18件。2000年電話帳。
〃 溝邉村 有川 白石 一二 四八 霧島市 溝辺町有川 白石姓4件。2000年電話帳。
曽於郡 志布志町 志布志 大西 五七 二八一 漁業 行商、日稼 志布志市 志布志町志布志 2丁目、3丁目 1997年2月17日に小字の大西の一部を志布志2丁目に大部分を志布志3丁目に改称。
〃 大崎村 菱田 新町 八六 三七五 農業 漁業、日稼 曽於郡 大崎町 菱田 曽於郡大崎町(旧:曽於郡大崎村)の融和運動家に川畑姓の者がいた[54]。同地から1935年の経済厚生指導者会議に出席した山ノ下姓の者がいた[55]。山ノ下(やまのした)は、富山県黒部市が最多で曽於郡大崎町が2位の稀姓。同地の部落解放同盟大崎支部に川越姓の者がいた[56]。川越姓30件、川畑姓13件、児島姓10件、山ノ下姓4件。2000年電話帳。
〃 恒吉村 長江 谷口 四〇 死獣解剖、竹細工 曽於市 大隅町恒吉 長江 長江姓3件。2000年電話帳。
〃 財部町 南俣 田村 二二 草履製造 曽於市 財部町南俣 田村姓2件。2000年電話帳。関係不明。
肝属郡 鹿屋町 中名 新村 二二 日稼 鹿屋市 白崎町の一部 明治43年帝国陸軍測量の1/50000地形図では現在の白崎町8-23付近にあたる。
〃 姶良村 下名 児島 三一 鹿屋市 吾平町下名 児島姓8件。2000年電話帳。
〃 大姶良村 獅々目 下原 四九 二一三 鹿屋市 獅子目町 『角川日本地名大辞典』の小字一覧に獅子目町の小字として下原が記載。
〃 〃 〃 濱田 二六 一二二 鹿屋市 獅子目町 『角川日本地名大辞典』の小字一覧に獅子目町の小字として浜田の記載なし。
〃 大根占町 馬場 大橋 七四 二九二 農業 漁業 肝属郡 錦江町 馬場 肝属郡錦江町(旧:肝属郡大根占村)から1935年の経済厚生指導者会議に出席した川越姓の者がいた[57]。川越姓30件。2000年電話帳。馬場154に川越美和の実家「かわいち商店」あり。小字「大橋」はなく「大橋上」「大橋下」がある。
〃 垂水町 浜平 下尾迫 一七 七六 行商 垂水市 浜平 宮崎県都城市に垂水蔵右衛門という者が来ており、鹿児島県垂水市から来たことからの名で、川越蔵右衛門が本来の名だった[58]。尾迫姓7件、川越姓14件。2000年電話帳。
計四三 五四 一九〇八 九九三四

このほか鹿児島県薩摩郡さつま町平川も部落であること、同地に池田、井上、内田の各姓の者がいることを『解放新聞』が暴露している[59]

施設等

同和団体

  • 部落解放同盟鹿児島県連合会 - 鹿児島市鴨池新町5-7-2F 099-206-0402
  • 部落解放同盟鹿児島県連合会 - 鹿児島市照国町17-18-2F201
  • 全日本同和会鹿児島県連合会 - 枕崎市鹿篭麓町550番地
  • 全日本同和会鹿児島県連合会 - 鹿児島市谷山港1-4-5
  • 全日本同和会鹿児島県連合会 - 南さつま市加世田武田17930-3
  • 鹿児島市同和協議会 - 鹿児島市小松原1丁目52−3
  • 同和協議会鹿児島県連合会 - 鹿児島市下荒田町3-17-19

隣保館

  • さつま町社会福祉協議会 - 鹿児島県薩摩郡さつま町宮之城屋地2117-1
  • さつま町立太陽福祉センター - 鹿児島県薩摩郡さつま町宮之城屋地2115-1
  • 入来会館 - 鹿児島県薩摩川内市入来町副田5674-8[60]

教育集会所

  • 鹿児島市小松原一丁目集会所 - 鹿児島市小松原一丁目20番17号
  • 鹿児島市中福良集会所 - 鹿児島市小野四丁目6番14号
  • 西永尾集会所 - 伊佐市大口原田599番地32
  • 小木原東集会所 - 伊佐市大口小木原545番地180
  • 神池地区集会所 - 伊佐市大口里2377番地3
  • 松木原集会所 - 伊佐市大口鳥巣1359番地1
  • 共進地区教育集会所 - 伊佐市菱刈前目2812番地
  • 青木元地区教育集会所 - 伊佐市菱刈荒田2546番地1
  • 火ノ神教育集会所 - 枕崎市火之神町284
  • 大崎町教育集会所 - 曽於郡大崎町菱田997番地10

人権啓発センター

  • 霧島市隼人人権啓発センター - 鹿児島県霧島市隼人町真孝2490−11

共同作業場

  • 若竹共同作業所工房「たけん子」[61] - 鹿児島県薩摩郡さつま町宮之城屋地1032番2号

このほか宮之城竹材加工センターも同和対策事業で設立されたが[62]、現存しない。

熊野神社

「被差別部落には、どこでも熊野神社が祭られているが、差別の関係でほとんどの町村郷土誌にはその記載がない」(『鹿児島県の部落史』(鹿児島県部落史編さん委員会編、鹿児島県、1992)

「県内の熊野神社は、明和六年(一七六九)の記録によれば四十九社をかぞえる」「さらに、種子島、硫黄島などの島嶼部にも熊野神社の勧請が見られる。これらは、中世の熊野水軍がもたらしたのではとも考えられている(参:『鹿児島大百科事典』)」鹿児島県の熊野神社に関する記述。(『熊野三山信仰事典』加藤隆久編、戎光祥出版、1998)

  • 鹿児島市郡山岳町2313-2
  • 鹿児島市郡山岳町176(遷座して智賀尾神社に改称)
  • 鹿児島市石谷町
  • 鹿児島市桜島藤野町1280(合祀して地方神社)
  • 曽於市末吉町深川5892
  • 曽於市財部町北俣2889-6
  • 出水市野田町下名5930
  • 出水市美原町3226
  • 伊佐市大口里665
  • 伊佐市大口原田57
  • 伊佐市大口山野5140
  • 伊佐市大口白木14-1
  • 伊佐市大口牛尾1644・1645・1646(合祀して諏訪神社)
  • 伊佐市大口渕辺字池ノ下334(合祀して保食神社)
  • 霧島市隼人町真孝納屋794
  • 霧島市国分郡田1730
  • 霧島市国分重久
  • 鹿屋市新生町8445
  • 鹿屋市串良町岡崎1785(合祀して事代主神社)
  • 志布志市有明町蓬原1441
  • 薩摩川内市樋脇町倉野536(合祀して諏訪神社)
  • 薩摩川内市尾城江町3221-イ
  • 薩摩川内市隈之城町978
  • 薩摩川内市勝目町5550
  • 薩摩川内市湯田町6454
  • 薩摩川内市百次町2054-1
  • 薩摩川内市入来町副田6155
  • 薩摩川内市祁答院町藺牟田
  • 薩摩川内市高江町2255-4(合祀して南方神社)
  • 薩摩川内市網津町4396(合祀して枚聞神社)
  • いちき串木野市冠嶽13511(冠嶽神社。旧・東岳熊野権現社)
  • いちき串木野市(中岳神社。旧・中岳熊野権現社)なお中岳神社から西へ約300m引き返し、そこから北に30m入ったところに白山岩があり、この岩の中腹の小さなほこらが白山権現社で中岳神社の末社になっている。
  • いちき串木野市(西岳神社。旧・西岳熊野権現社)
  • いちき串木野市湊町3-248(合祀して市来神社)
  • 南さつま市加世田川畑10468
  • 南さつま市加世田武田17898(合祀して佐岐比佐神社)
  • 南さつま市坊津町坊7090
  • 南さつま市金峰町宮崎3523-1(合祀して日枝神社)
  • 日置市日吉町日置中原1237-イ
  • 日置市伊集院町猪鹿倉88
  • 日置市伊集院町郡2012
  • 日置市伊集院町飯牟礼1763
  • 指宿市山川新生町35-12
  • 指宿市山川福元6124
  • 肝属郡肝付町前田55-1
  • 肝属郡東串良町川東3489
  • 肝属郡肝付町北方1820
  • 肝属郡南大隅町根占川北12141・12142
  • 薩摩郡さつま町宮之城屋地2637
  • 姶良郡湧水町川添1299-イ
  • 姶良郡湧水町幸田878(合祀して端山神社)
  • 熊毛郡中種子町納官5890
  • 熊毛郡中種子町坂井6027
  • 鹿児島郡三島村硫黄島29

出典

  1. 山名伸作「山口県と鹿児島県の同和地区現地研修記」
  2. 山名伸作「山口県と鹿児島県の同和地区現地研修記」
  3. 山名伸作「山口県と鹿児島県の同和地区現地研修記」
  4. 山名伸作「山口県と鹿児島県の同和地区現地研修記」
  5. 『部落解放史宮崎 3号』(宮崎県同和教育研究協議会部落史研究専門委員会編、宮崎県同和教育研究協議会、1991)
  6. 山名伸作「山口県と鹿児島県の同和地区現地研修記」
  7. 山名伸作「山口県と鹿児島県の同和地区現地研修記」
  8. 『遠い春』(時吉半七、郁朋社、2003)
  9. 『遠い春』(時吉半七、郁朋社、2003)
  10. 『部落解放年鑑』(1974年)259頁
  11. 山名伸作「山口県と鹿児島県の同和地区現地研修記」
  12. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』344頁
  13. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』344頁
  14. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』344頁
  15. 『戦後部落問題関係判例 資料編』(部落解放研究所編、部落解放研究所、1995)
  16. 『戦後部落問題関係判例 解説編』(部落解放研究所編、部落解放研究所、1995)
  17. 『氏の変更(唄孝一・家族法著作選集 第2巻)』(唄孝一、日本評論社、1992)
  18. 『熊野・被差別ブルース 田畑稔と中上健次のいた路地よ』(和賀正樹、現代書館、2010)
  19. 『解放の道 1999年4月15日号』(解放の道新聞社)
  20. 『日本同和新報 1988年12月5日号』(日本同和新報社)
  21. 『日本同和新報 1988年12月5日号』(日本同和新報社)
  22. 『更生(復刻版) 1巻』(中央融和事業協会編、不二出版、1988)
  23. 『融和時報(縮刷版) 1939年11月1日号』(三一書房、1983)
  24. 『ゼンリン 住宅地図』
  25. 『部落解放史・ふくおか 109号』(福岡県人権研究所編、福岡県人権研究所、2003)
  26. 『部落史からみた東京』(本田豊、亜紀書房、1990)
  27. 『部落解放史・ふくおか 19号』(福岡県人権研究所編、福岡県人権研究所、1980)
  28. 『部落解放史・ふくおか 109号』(福岡県人権研究所編、福岡県人権研究所、2003)
  29. 『更生(復刻版) 4巻』(中央融和事業協会編、不二出版、1988)
  30. 『融和時報(縮刷版) 1939年11月1日号』(三一書房、1983)
  31. 『更生(復刻版) 3巻』(中央融和事業協会編、不二出版、1988)
  32. 『解放新聞 1996年1月1日号』(解放新聞社)
  33. 『解放の道 1985年1月10日号』(解放の道新聞社)
  34. 1990年から1991年にかけて『解放新聞』に連載された川元祥一の部落探訪記では戸数230戸、宮之城町の土建業者の8割が前岡の人、ほかには行商、養鶏、エノキダケの養産などが主な生業とされている。『ルポルタージュ部落 四国・九州編』337頁参照。
  35. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』338-339頁
  36. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』(解放新聞社編、解放出版社、1994)
  37. 『遠い春』(時吉半七、郁朋社、2003)
  38. 『君よ太陽に語れ』(西日本新聞社人権取材班編、西日本新聞社、1982)
  39. 『更生(復刻版) 3巻』(中央融和事業協会編、不二出版、1988)
  40. 『部落解放史・ふくおか 109号』(福岡県人権研究所編、福岡県人権研究所、2003)
  41. 『部落問題・水平運動資料集成 補巻1』(渡部徹、秋定嘉和編、三一書房、1978)
  42. 『融和時報(縮刷版) 1939年11月1日号』(三一書房、1983)
  43. 『解放新聞 2001年4月23日号』(解放新聞社)
  44. 『部落解放史・ふくおか 109号』(福岡県人権研究所編、福岡県人権研究所、2003)
  45. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』318頁
  46. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』318頁
  47. 『解放新聞 1991年12月9日号』(解放新聞社)
  48. 『解放新聞 1993年4月5日号』(解放新聞社)
  49. 『解放新聞 1997年9月22日号』(解放新聞社)
  50. 『解放新聞 1999年7月12日号』(解放新聞社)
  51. 『ゼンリン 住宅地図』
  52. 『更生(復刻版) 1巻』(中央融和事業協会編、不二出版、1988)
  53. 『更生(復刻版) 3巻』(中央融和事業協会編、不二出版、1988)
  54. 『部落解放史・ふくおか 109号』(福岡県人権研究所編、福岡県人権研究所、2003)
  55. 『更生(復刻版) 1巻』(中央融和事業協会編、不二出版、1988)
  56. 『解放新聞 1989年12月18日号』(解放新聞社)
  57. 『更生(復刻版) 1巻』(中央融和事業協会編、不二出版、1988)
  58. 『部落解放史宮崎 2号』(宮崎県同和教育研究協議会部落史研究専門委員会編、宮崎県同和教育研究協議会、1989)
  59. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』353頁
  60. 入来会館が隣保館であることは『入来町史』(1978年)60頁に明記されている。
  61. 1972年に前岡で部落解放運動が始まった際、部落民の不安定な就労を克服するために同和対策事業として作られた共同作業場。竹製品を生産している。『ルポルタージュ部落 四国・九州編』347頁参照。
  62. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』355頁