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高知県

提供: 同和地区(被差別部落)Wiki
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概況

長宗我部元親の時代に皮革製造に従事していた「坂の者」(別名「芝の者」)の居住地は、現在の部落とほぼ重なっている。

本県の同和地区は文献(漁村型同和地区の実態と行政の課題―高知県幡多郡大方町万行地区の場合―)からその多くが明らかになっている。本県の漁村の特徴の一つは、3分の1が被差別部落漁民であることで、県内の73地区の部落のうち、都市型が16地区、農山村型が39地区、漁村型が18地区を占める[1]。即ち、県内の部落民の24.7パーセントが漁村型部落である点に特徴がある[2]

「永享2年(1430)11月2日付、土佐国香美郡の<かわた四郎>宛下人売券については、この<かわた>は身分称か名字であるか、また被差別民の存在する地域であるか、なお検討が必要であると思われる」[3]。香美郡は現在の香美市と香南市にあたる。

「部落の人たちは、長宗我部元親が朝鮮から連れて帰った捕虜の子孫だという説は、高知県全土に普及している」[4]。著者は否定している。形質人類学者の小浜基次の調査でも短頭の朝鮮人と異なり、長頭のアイヌ人に近いという結果が出ている。

1871年の統計では、穢多16,894人、非人272人と非人が少なかった。これは、非人が大都市に集中していたことと土佐では賤民の入国を厳しく取り締まったことによるのではないかとする[4]

中村の長吏頭は、颪辺助太夫と名乗っており、伊予国にあった深田城(愛媛県北宇和郡鬼北町深田にあったもので高森城とも)の城主の子が戦に敗れて落ちて来たと伝える[4]。颪辺(おろしべ)は四万十市が最多の稀姓。1955年に発展的解消した解放団体高知県連合会の中心人物は颪辺姓の者だった[5]

県下では村越姓が被差別部落に偏って分布している。村越家は、柳田國男「夙の者と守宮神との関係(毛坊主考の八)」によると、高知県幡多郡佐賀村大字佐賀字横浜の横の長吏の家系で、もとは同じ大字の字シクジ藪にいたという。以下、2000年電話帳による。

  • 24 ★高知県 幡多郡佐賀町 佐賀
  • 18 ★高知県 幡多郡大方町 入野
  • 3 高知県 高岡郡中土佐町 矢井賀乙
  • 2 ★高知県 高岡郡中土佐町 上ノ加江
  • 2 ★高知県 高岡郡窪川町 見付
  • 2 ★高知県 高知市 神田
  • 2 高知県 高知市 種崎
  • 1 高知県 吾川郡伊野町 伊野北山
  • 1 高知県 吾川郡伊野町 波川
  • 1 ★高知県 幡多郡佐賀町 佐賀横浜
  • 1 高知県 高岡郡中土佐町 矢井賀甲
  • 1 ★高知県 高岡郡日高村 下分
  • 1 高知県 高岡郡越知町 越知甲
  • 1 高知県 高知市 十津
  • 1 高知県 高知市 比島町
  • 1 高知県 高知市 浦戸
  • 1 高知県 高知市 桜井町
  • 1 高知県 高知市 西塚ノ原
  • 1 高知県 高知市 赤石町
  • 1 高知県 高知市 桟橋通

著名人

西川きよしが高知市朝倉生まれなのは確実だが、出身地が芝か南山か鳥屋奥かは調査を要する。

香南市赤岡町にある光明寺の住職で解放運動家だった小原教応の次女は、大阪に出て別院を開いており、その娘が北野幹子(旧姓:松田)だった[6]。漫才師としてデビューした際の芸名は司ミキで、内海桂子・内海好江の門下となった際には内海ミキと名乗っている。後にビートたけしと同棲して1981年に長男、1982年に長女を出産しており、1983年に入籍した。

文献

漁村型同和地区の実態と行政の課題(1968年)

高知県内同和地区

漁村型同和地区の実態と行政の課題.jpeg
市町村 地区名 現在地 備考
室戸市 都呂 室戸市 佐喜浜町
室戸市 菜生 室戸市 室戸岬町
室戸市 大谷 室戸市 浮津
室戸市 行当 室戸市 元甲
室戸市 西灘 室戸市 吉良川町乙
室戸市 田ノ中 室戸市 羽根町乙
室戸市 坂本 室戸市 羽根町乙
室戸市 明神川 室戸市 羽根町乙 羽根町乙3209番地551に室戸市立明神川老人憩の家あり。
室戸市 上段 室戸市 羽根町乙
安芸市 西浜 安芸市 西浜
南国市 野中 南国市 幸町、元町、東山町、廿枝
南国市 下島浜 南国市 下島
南国市 浜窪 南国市 前浜
南国市 東組 南国市 前浜
高知市 北野 高知市 一宮西町
高知市 宮前 高知市 宮前町
高知市 小石木 高知市 小石木町
高知市 河ノ瀬 高知市 河ノ瀬町
高知市 南横町 高知市 朝倉東町、鴨部
高知市 西山 高知市 神田、朝倉甲
高知市 海老川 高知市 朝倉己
高知市 長浜 高知市 長浜 字馬場ノ元
高知市 松田 高知市 朝倉己、朝倉甲
土佐市 井関 土佐市 高岡町甲
土佐市 南家俊 土佐市 家俊
土佐市 昭和 土佐市 家俊
土佐市 西太郎丸 土佐市 太郎丸
須崎市 琴平 須崎市 栄町
中村市 朝日区 四万十市 右山 字朝日
土佐清水市 東谷 土佐清水市 布
土佐清水市 松崎 土佐清水市 加久見
土佐清水市 大岐 土佐清水市 大岐
土佐清水市 当麻 土佐清水市 竜串
宿毛市 貝礎 宿毛市 平田町
宿毛市 手代岡 宿毛市 山奈町 山田
宿毛市 正和 宿毛市 和田
東洋町 東町 安芸郡 東洋町 大字野根丙
奈半利町 東浜 安芸郡 奈半利町 乙 東浜
安田町 薬師 安芸郡 安田町 唐浜 薬師
芸西村 浜浦 安芸郡 芸西村 和食 字琴ノ浦甲
芸西村 正路 安芸郡 芸西村 和食甲
赤岡町 西部 香南市 赤岡町
吉川村 住吉 香南市 吉川町吉原
土佐山田町 東組 香美市 土佐山田町 黒土
介良村 西部 高知市 介良丙
本山町 五区 長岡郡 本山町 本山
大豊村 栗生 長岡郡 大豊町 粟生 栗生は粟生の誤記。
大豊村 久生野 長岡郡 大豊町 西峯 久生野
大豊村 東寺内 長岡郡 大豊町 寺内 東寺内
大豊村 東庵谷 長岡郡 大豊町 庵谷 東庵谷
大豊村 船戸 高岡郡 津野町 船戸 同地の水平社に高岡姓の者がいた[7]
大豊村 東梶ケ内 長岡郡 大豊町 梶ケ内 東梶ケ内
土佐村 駒野 土佐郡 土佐町 土居
春野村 弘岡中 高知市 春野町弘岡中
春野村 石丸 高知市 春野町秋山 石丸
伊野町 河内 吾川郡 いの町 河内の位置は要調査。いの町鎌田216に川内小学校がある。
日高村 西越 高岡郡 日高村 本郷
日高村 光岩 高岡郡 日高村 下分 光岩
日高村 西田 高岡郡 日高村 下分 西田
佐川町 永野 高岡郡 佐川町 永野
中土佐町 和田 高岡郡 中土佐町 久礼 和田
中土佐町 鎌田 高岡郡 中土佐町 久礼 鎌田
窪川町 見付 高岡郡 四万十町 見付
窪川町 小室 高岡郡 四万十町 窪川町興津 小室
窪川町 仁井田 高岡郡 四万十町 仁井田
窪川町 道徳 高岡郡 四万十町 道徳
窪川町 土居 高岡郡 四万十町 土居
窪川町 平野 高岡郡 四万十町 平野
窪川町 黒石 高岡郡 四万十町 黒石
檮原町 神山 高岡郡 梼原町 神の山
檮原町 広野 高岡郡 梼原町 広野
檮原町 田野々 高岡郡 梼原町 田野々
檮原町 川口 高岡郡 梼原町 川口
佐賀町 横浜 幡多郡 黒潮町 佐賀
大正町 土場通り二区 高岡郡 四万十町 大正 土場通
大正町 弘瀬 高岡郡 四万十町 弘瀬
十和村 奥内 高岡郡 四万十町 大井川
十和村 久保川 高岡郡 四万十町 久保川
十和村 野々川 高岡郡 四万十町 野々川
十和村 八木 高岡郡 四万十町 大井川
三原村 柚ノ木 幡多郡 三原村 柚ノ木
大月町 周防形 幡多郡 大月町 周防形
大方町 万行 幡多郡 黒潮町 入野万行
西土佐村 用井 四万十市 西土佐用井
西土佐村 四万十市 西土佐橘

全國部落調査(1935年)

高知縣 昭和十年一月現在

289頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
高知市 小高坂 西谷 一五六 九三六 農業 労働 高知市 平和町、宮前町、山ノ端町 1936年に小高坂から山ノ端に改称。別名、宮前地区。『高知県史』(1937年)80頁の「若一王子宮が小高坂西谷に鎮座している」との記述から現在の山ノ端町と判断できる。全国水平社、部落解放同盟の役員に藤沢姓の者がいた(高知市宮前町出身)[8]。高知市宮前町から婦人幹部講習会に出席した以下の姓の者がいた[9]。尾崎(2人)、竹村、松本。高知市の小高坂地区に以下の姓の者がいた[10]。藤岡、藤沢。同地で結成された平等会の発起人に以下の姓の者がいた[11]。小西(2人)、大下、光団(光田の誤記か)。宮前町に藤沢姓3件。2000年電話帳。
〃 潮江 末廣 一二七 七五〇 高知市 河ノ瀬町 1936年に潮江の一部から河ノ瀬町が成立。旧称は袋野部落[12]。高知市南河ノ瀬町から婦人幹部講習会に出席した以下の姓の者がいた[9]。尾崎、杉本、寺尾(2人)、西川。同地に堀川姓の者がいた[10]
〃 〃 小石木 三〇 一八〇 高知市 小石木町
安藝郡 野根村 東町 一五五 六七三 漁業 安芸郡 東洋町 野根丙 野根丙2115-1に東町地区教育集会所がある。円広志(本名は篠原義彦)は野根出身だが、野根丙かどうかは要調査。社会学者の齋藤直子は東洋町の研修報告書において「野根の町には被差別部落Hがある。」「われわれは、H地区の人々が働く野根漁協を訪れた。野根港の漁師は数人を除くとすべてH地区の人々である。」と報告し、部落や被差別部落民を暴露している。[13]一方で齋藤直子は「部落出身者と結婚差別」と題した論評を公表している。[14]東洋町野根甲921-6に野根漁協がある。野根漁協は1000万円融資事件の舞台である。[15]安芸郡東洋町(旧:安芸郡野根村)から婦人幹部講習会に出席した村山姓の者がいた[9]
〃 佐喜浜村 都呂 一二六 六八六 室戸市 佐喜浜町 佐喜浜町1007に市立都呂教育集会所がある。都呂の訓みはツロ[16]。「高知県安芸郡T村。そこには菜生神社という古社があるが、この神社はその昔、菜生の里にまだだれも住んでいなかった頃平氏の家臣であった鈴木豊若という者が源氏の勢力に追われて土着、その子孫が増えて現在に残る部落を形成した、という」[17]。T村は都呂村。室戸市室戸岬町菜生には、鈴木神社がある。神社の祭神は鈴木孫一豊若で、雑賀衆と関係があるのではないかとする[18]。同地に以下の姓の者がいた[10]。川村、坂口。室戸市(旧:安芸郡佐喜浜村)に以下の姓の者がいた[10]。植本、前川、森下。

290頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
安藝郡 室戸岬町 菜生 一五一 六七一 漁業 農業 室戸市 室戸岬町 室戸岬町5777-1に菜生教育集会所がある。鈴木姓12件。高知県内で最多。2000年電話帳。菜生の訓みはナハエ[19]。室戸市(旧:安芸郡室戸岬町)で、1938年12月4日に坂本姓の者に対して失言があったとする[20]
〃 室戸町 大谷 二二三 九四七 農業 労働 室戸市 浮津 浮津227に市立大谷市民館がある。室戸市浮津西大谷に宮本姓の者がいた[10]
〃 〃 行当 九三 四三四 漁業 室戸市 元甲 元甲2196に市立行当市民館がある。行当の訓みはギョウド[21]
〃 吉良川村 西灘 二四四 一〇六九 室戸市 吉良川町乙 吉良川町乙3157に市立西灘老人憩いの家がある。西灘の訓みはニシナタ[22]。室戸市吉良川町西灘に以下の姓の者がいた[10]。竹中、松川。室戸市(旧:安芸郡吉良川村)から婦人幹部講習会に出席した以下の姓の者がいた[9]。澤野、仙頭。
〃 羽根村 坂本 一二一 五四八 室戸市 羽根町乙 羽根町乙3209-511に市立坂本老人憩の家がある。室戸市羽根町に山地姓の者がいた[23]。同地の住民として以下の姓の者が登場する[24]。池田(徳島県出身)、植松、加古川(かこがわ。大阪府が最多の稀姓)、花岡、林、松本(徳島県出身)。
〃 〃 田中 三〇 一六六 室戸市 羽根町乙 羽根町乙3153-2に市立田の中老人憩の家がある。田の中とも表記[25]。解同県連羽根支部書記長の姓が加古川であることを『解放新聞』は『ルポルタージュ部落 四国・九州編』61頁で暴露している。羽根町乙全体で加古川姓1件、2000年電話帳。
〃 〃 上段 五六 二八〇 室戸市 羽根町乙 羽根町乙2755に市立上段老人憩の家がある。上段の訓みはウワダン[26]
〃 奈半利町 東浜 四五二 二四四一 安芸郡 奈半利町 乙 東浜 安芸郡奈半利町乙東浜に以下の姓の者がいた[10]。岩内、岩村、本田。
〃 安田町 藥師 一九六 九六八 安芸郡 安田町 唐浜 薬師 安芸郡安田町唐浜薬師に松田姓の者がいた[10]
〃 安藝町 西浜 四三〇 二三〇〇 安芸市 西浜 安芸市西浜に藤田姓の者がいた[10]。同地で1939年1月17日に宮田姓の者に対して失言があったとする[27]。安芸市(旧:安芸郡安芸町)から婦人幹部講習会に出席した以下の姓の者がいた[9]。茨木、久保。同地で1938年12月31日に島村姓の者に対して失言があったとする[28]
〃 和食村 正路 六一 三七〇 安芸郡 芸西村 和食甲 和食甲1619に正路地区農機具保管庫がある。安芸郡芸西村(旧:安芸郡和食村)に西笛姓の者がいた[29]。西笛(にしぶえ)は、安芸郡芸西村が最多の稀姓。
香美郡 赤岡町 北町 四二〇 二二八七 香南市 赤岡町 北町 「四国で有名なのは、太平洋に面した土佐の赤岡の部落に伝わる美宜子(みきこ)伝説であろう。この女人は時の帝の姫として生まれたが、いかなる宿世のわざかハンセン病になって、『うつぼ船』に乗って海に流された。あちこちの浜に漂着したが、そのたびにむごいののしりの言葉とともに再び海に突き放された。その姫を最後に救い上げたのが赤岡部落の漁師たちであった」「この赤岡部落には、代々芦田主馬(しゅめ)太夫と名乗った博士頭(はかせがしら)がいた。博士とは、陰陽師(おんみょうじ)博士のことである」[30]。香南市赤岡町に関する記述。「その子孫がまだおられるとのことです」[31]。芦田主馬太夫の末裔に関する沖浦和光の発言。また、同地には、明治の初期にかなりの隠れキリシタンが流されてきたとする。同地の住民に以下の姓の者がいた[32]。垣本、近森、寺内、寺田、山崎。同地に坂本姓の者がいた[33]。全解連の赤岡支部に山本姓の者がいた[34]。「たとえば姓の問題にしても、赤岡の特徴的な姓がいくつかある。それ以外の変わった姓がいくつもあるわけですね。わしの親が、秋の収穫期に日働きに来て、赤岡の農家に泊まって日やとい働きしながら赤岡の娘さんといっしょになってうちのおかかもらって、ここに土着すると、そういう例がいろいろある」[35]。垣本姓の者の発言。同地の高知県独自の姓には以下があった[36]。古味(こみ。他に読みあり。高知県が最多の姓)、志磨村(しまむら。香南市が最多の稀姓)、宗石(むねいし。他に読みあり。香美市が最多の姓)、立仙(りっせん。香南市が最多の稀姓)。同地から婦人幹部講習会に出席した以下の姓の者がいた[9]。池本、岡田、松下。同地では松下姓が多い[37]
〃 吉川村 住吉 二五〇 二〇〇〇 農業 漁業 香南市 吉川町吉原 単なる住吉という字はなく、住吉畠、住吉前、住吉丸がある。そしていずれの字にも小集落改良住宅がある(香南市を参照)。1966年9月3日に大阪府警に逮捕された当たり屋の中元岩夫の出身地区。全国水平社、部落解放同盟の役員に西本(香南市吉川町出身)あり[8]。香南市(旧:香美郡吉川村)に山本姓の者がいた[38]。中元姓25件。西本姓7件。2000年電話帳。
〃 前浜村 刈谷 一〇七 五〇七 労働 南国市 前浜 刈谷 前浜に常徳姓9件。2000年電話帳。
〃 三島村 下島 一六 八六 南国市 下島
〃 山田町 東組 一七三 九九四 竹細工 香美市 土佐山田町 東組は現在の黒土の可能性が高い。香美市(旧:香美郡山田町)から婦人幹部講習会に出席した以下の姓の者がいた[9]。阿部、山岡。
長岡郡 長岡村 野中 五九四 三〇三〇 農業 南国市 幸町、元町、東山町、廿枝 南国市の野中は山ばかりで民家はない。隣保館や改良住宅の所在地から判断して山の麓の幸町や元町や東山町や廿枝などが該当する。南国市野中では平家の末裔という伝承がある[10]。同地に前田姓の者がいた[10]。同地に吉本姓の自主改善運動家がいた[39]

291頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
長岡郡 介良村 八〇 五〇〇 労働 竹細工 高知市 介良 谷の位置は小集落改良住宅がある介良丙の可能性が高い。柳田國男「夙の者と守宮神との関係(毛坊主考の八)」に「長岡郡介良村字岩谷の内に寺谷(てらだに)と呼ぶ部落でも、粛慎の神を氏神として居たが、今は谷守神社と改称した」とあり、現在、谷守神社が鎮座する高知市介良丙の可能性あり。高知市介良に藤本姓の者がいた[40]
〃 本山町 上組 七六 四三五 工業 労働 長岡郡 本山町 本山 上組の位置は5区集会所がある本山町本山1086番地イ付近と思われる。長岡郡本山町(旧:長岡郡本山村)に以下の姓の者がいた[10]。岩橋、岩本、佐古田。
〃 西豊水村 寺内 一六 七二 農業 竹細工 長岡郡 大豊町 寺内 西豊水村は西豊永村の誤記。
〃 〃 庵谷 一三 七八 長岡郡 大豊町 庵谷 同上。
〃 東豊水村 栗生 三六 長岡郡 大豊町 粟生 東豊水村は東豊永村、栗生は粟生の誤記。
土佐郡 一宮村 北野 一一四 六五八 [41] 行商 高知市 一宮西町 一宮西町4-5、4-6、4-7に一宮北野中央改良住宅がある。高知市の一宮地区に清野姓の者がいた[10]
〃 鴨田村 西山 八六 四九四 竹細工 高知市 神田 神田56に西山五反田改良住宅、神田134に西山中沢改良住宅がある。
〃 〃 豊田 二五 一三一 労働 農業 高知市 神田 神田2263に潮江豊田改良住宅がある。
〃 〃 宮寺山 一五 七九 高知市 鴨部 鴨部3-15、3-16に宮寺北改良住宅、鴨部3-26-14に宮寺集会所がある。
〃 朝倉村 二〇三 九九七 農業 労働 高知市 朝倉東町
〃 〃 南山 四六 二六二 労働 農業 高知市 朝倉 己[42] 高知市の朝倉地区に汲田姓の者がいた[10]。著者の森田益子は朝倉己の出身[43]。高知市立朝倉第二小学校に岩見姓の教師がいた[44]。朝倉甲と朝倉丙に汲田姓1件ずつ。2000年電話帳。
〃 〃 鳥屋奥 一六七 八九三 農業 労働 高知市 朝倉 鳥屋ノ奥 己
吾川郡 長浜町 四二〇 二六二〇 漁業 高知市 長浜 「闇金残酷取り立て王」と呼ばれた高利貸の杉山治夫の出身地区。高知市長浜に竹島姓の自主改善運動家がいた[45]。同地で、1934年5月30日に山崎姓の者に対して差別発言があったとする[46]。同地から婦人幹部講習会に出席した以下の姓の者がいた[9]。崎岡、前田、結城。同地では、前田、武田、光内が多い[47]。伝承では、1582年(天正10年)に山梨県の天目山で自害した武田勝頼の残党が土佐に落ちたというものがある。ただし、関連は不明。部落解放同盟の県の執行委員に光内姓の者がいた。光内(みつうち)は高知市長浜が最多の稀姓[4]。武田姓89件、前田姓156件、松本姓40件、光内姓49件。2000年電話帳。
〃 秋山村 石丸 二〇 一一四 竹細工 高知市 春野町秋山 石丸
〃 弘岡中村 梛ノ木[48] 一七〇 九三六 行商 高知市 春野町弘岡中 同地に以下の姓の者がいた[10]。石川、笠原。同地にあった弘岡中学校で、1957年に差別発言を受けた山崎姓の教師がいた[49]。高知県の者として京島姓の者が登場しており、電話帳からでは同地にいる[50]。京島(きょうじま)は、山梨県甲府市が最多の稀姓。全日本同和会の青年部理事に同地の松田姓の者がいた[51]。同地では、国沢、近沢、笠原が多い[52]。笠原姓23件、国沢姓18件、近沢姓9件、前田姓31件。2000年電話帳。
高岡郡 高岡町 井関 八三 三三五 竹細工 土佐市 高岡町甲 井関 土佐市(旧:高岡郡高岡町)に松井姓の者がいた[10]
〃 川内村 高野谷 一六 九三 吾川郡 いの町 大内 大内1417−15に高野ケ谷集会所がある。

292頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
高岡郡 須崎町 琴平 二二一 一〇六〇 漁業 農業 須崎市 栄町 琴平は『解放理論の創造』第2巻103頁に「須崎町琴平部落の円教寺」とあることから浄土真宗の円教寺のある栄町とわかる。ただし『ルポルタージュ部落 四国・九州編』32頁に「部落の中心よりやや西寄りに園教寺(ママ)という寺があった」とあることから、横町なども琴平部落の一部である可能性がある。また小集落改良住宅が栄町、横町、泉町、幸町、西糺町、中町などに点在している(須崎市を参照)。琴平地区に以下の姓の者がいた[53]。金堂(こんどう。福岡県春日市が最多の稀姓)、寺村、中川、西地、野島、松本。金堂姓1件。2000年電話帳。
〃 戸波村 太良丸 一二九 六七三 竹細工 労働 土佐市 家俊、太郎丸 同地区に以下の姓の者がいた[54]。尾崎、西村、松田。同地では、尾崎、西村が多い[55]。尾崎姓60件、西村姓60件。2000年電話帳。
〃 日下村 西越 四九 二三五 高岡郡 日高村 本郷 本郷3492-1に西越老人憩の家がある。高岡郡日高村(旧:高岡郡日下村)に植村姓の者がいた[56]。同地から婦人幹部講習会に出席した前田姓の者がいた[9]。同地から資源調整指導員錬成講習会に参加した以下の姓の者がいた[57]。植村、尾崎、谷本。
〃 〃 西田 六四 三一二 高岡郡 日高村 下分 西田 下分1603-5に西田老人憩の家がある。
〃 〃 光岩 一二 六八 高岡郡 日高村 下分 光岩
〃 斗賀野村 永野 一一三 五六〇 農業 筵製造 高岡郡 佐川町 永野 尾崎姓14件、尾碕姓11件、坪屋姓7件。2000年電話帳。同地は北海道や満洲に移民を出していた。同地の住民に以下の姓の者がいた[58]。池、尾崎、島田、竹内、竹本、谷岡、坪屋、寺尾、中川、森崎、森田、安田、山下、和田。他に九州にも11戸が移住したとする[59]。同地の有力者は尾崎姓の者と島田姓の者だった[59]。えせ同和の帝王・尾崎清光の出身地区。同じ地区から全解連書記長の尾崎勇喜も出ている。
〃 久礼町 鎌田 二〇 一〇七 竹細工 農業 高岡郡 中土佐町 久礼 鎌田 久礼に谷脇姓21件。2000年電話帳。
〃 〃 猿毛 一九 九九 高岡郡 中土佐町 久礼 和田
〃 上加江町 網代 一一 五二 労働 竹細工 高岡郡 中土佐町 上ノ加江 網代
〃 興津村 小室 六一 二六七 農業 漁業 高岡郡 四万十町 窪川町興津 小室 同地に以下の姓の者がいた[60]。岩本(2人)、寺本、東山。同地で1962年に発生した興津事件で、以下の姓の者が公務執行妨害、傷害の容疑で起訴されたとする[61]。市川、岩本、立石、伴ノ内(2人。ばんのうち。高岡郡四万十町が最多の稀姓)、三崎、山中。伴ノ内姓13件、東山姓7件。2000年電話帳。
〃 椿原村 神ノ山 三〇 一九一 労働 高岡郡 檮原町 神の山
〃 窪川町 見付 三七 一八四 高岡郡 四万十町 見付
〃 東又村 道徳 二二 一二一 高岡郡 四万十町 道徳
幡多郡 佐賀村 四一 一九六 漁業 農業 幡多郡 黒潮町 佐賀 横は横浜の誤記ではなく、字横浜の一部[62]。「同国同郡佐賀村大字佐賀字横浜の、横と云ふ部落は、もと越(こし)村より移り来り、今も長吏は村越と云ふ家である」[63]。当地区に関する記述。全解連の佐賀支部に山下姓の者がいた[64]。曽我本姓12件、浜岡姓31件、村越姓24件、山下姓3件。2000年電話帳。
〃 入野村 万行 八〇 四一一 竹細工 幡多郡 黒潮町 入野 万行 同地に以下の姓の者がいた[65]。植野、奥本、西地(にしじ。他に読みあり。幡多郡黒潮町が最多の稀姓)、浜田、松田。1934年に同地の水平社が、高知県出身者の岸和田紡績での差別事件を訴えており、以下の姓の者がいた[66]。中野(2人)、西地、浜本(2人)、村越(2人)。澳本姓65件、植野姓33件、西地姓26件、村越姓18件。2000年電話帳。部落解放研究所第2代理事長の村越末男の出身地区。
〃 中村町 旭区 二六 一五〇 労働 行商 四万十市 中村 右山朝日
〃 山奈村 手代岡 三二 一六〇 農業 労働 宿毛市 山奈町山田 手代岡の読み方はテシリオカ、江戸末期より前はテシロヲカ[67]。手代岡の正確な範囲は、山奈町大字山田のなかの小字(ホノギ)、コクビ・橋ケ内・惣山分・ケワイデン・手代岡・念仏・柴田の一部・テントウヤシキ・テントウ山・仏ケ谷・スケノ谷・チチウ谷[68]。しかし最近は南接の小島地区にも部落の新しい団地が作られた[69]。山奈町山田892-16に手代岡隣保館・児童館がある。当地の融和運動家と『宿毛の部落史』の編纂関係の地区執行委員に以下の姓の者がいた[4]。杉本、滝本、谷本(2人)、長崎、浜田、山戸(10人)。山戸姓22件。2000年電話帳。

293頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
幡多郡 平田村 貝總 二六 一一五 農業 労働 宿毛市 平田町戸内、平田町黒川 貝總は古い表記で、1925年頃に貝礎と改められた[70]。読み方は一貫してカイソウ[71]。戸内の読み方はヘナイ[72]。平田町黒川4492-7に貝礎隣保館がある。同地を囲む地名が宿毛市平田町戸内。当地の融和運動家と『宿毛の部落史』の編纂関係の地区執行委員に以下の姓の者がいた[4]。池上(3人。いけうえ。同地出身の池上姓の男性が1972年5月3日に京都府宇治市で結婚差別から自殺したとする)、池ノ上、榎、杉本(2人)、石崎、中村(2人)、森本(3人)。池上姓7件、池ノ上姓9件。2000年電話帳。
〃 三原村 柚ノ木 一五 六三 労働 幡多郡 三原村 柚ノ木 榎姓12件。2000年電話帳。
〃 和田村 正和 四六 二一一 竹細工 宿毛市 和田 旧名は稗田[73]。正和は1927年頃新しくつけられた地名で、和田村の村長押川正治が部落解放のため尽力したので正治の一字をとり、和田村の和と併せて正和とした[74]。和田824-1に正和隣保館がある。当地の融和運動家と『宿毛の部落史』の編纂関係の地区執行委員に以下の姓の者がいた[4]。榎、中川、宮崎(3人)、宮添、村中、山陸(2人。やまりく。宿毛市が最多の稀姓)。青屋姓2件、宮添姓8件、山陸姓11件。2000年電話帳。
〃 月灘村 岩井崎 四八 漁業 労働 幡多郡 大月町 周防形 岩井崎
〃 三崎村 当麻 七八 三二二 農業 土佐清水市 竜串 現在は竜串地区と呼称[75]。一般地区である土佐清水市三崎浦との境界線は「国道321号線と三崎川が合流し平行する地点である」と『解放新聞』が暴露している[76]。当地に以下の姓の者がいた[77]。谷前(たにまえ。和歌山県が最多の稀姓)、浜平(はまひら。他に読みあり。鹿児島県鹿児島市が最多の稀姓)。また沖姓の者もいた[10]
〃 上灘村 大岐 二一 六五 労働 農業 土佐清水市 大岐 大岐以下の地名は字浜垣 港。100年前に兄弟3人で来住した者の子孫と称する[78]。部落解放同盟浜垣支部長に山脇姓の者がいた[79]
〃 清水町 松崎 三八 一九一 農業 竹細工 土佐清水市 加久見 松崎
〃 伊豆田村 東谷 二八 一二六 労働 土佐清水市 布
〃 江川崎村 用居 一一 五一 四万十市 西土佐用井 用居は用井の誤記。
〃 昭和村 大井川 二五 一八三 高岡郡 四万十町 大井川 青屋姓2件。2000年電話帳。
〃 〃 久保川 四六 高岡郡 四万十町 久保川
〃 大正村 廣瀬 一三 八三 陸運業 高岡郡 四万十町 広瀬
土佐郡 森村 駒野 五二 二五八 工業 労働 土佐郡 土佐町 土居 土佐郡土佐町土居(駒野)に以下の姓の者がいた[80]。北村、中村、藤田(2人)。同地に以下の姓の者がいた[81]。田中(2人)、藤田。
計一七〇 四七五 一五七七四 七一九一二

このほか、柳田國男「夙の者と守宮神との関係(毛坊主考の八)」によると、高岡郡高岡町字初田(現・土佐市高岡町初田)や高岡郡松葉川村大字七里(現・高岡郡四万十町七里)、幡多郡東上山村大字田野々字川平(現・高岡郡四万十町十和川口川平)、幡多郡東上山村大字北野川字谷(高岡郡四万十町北野川)も部落である。川平部落には青屋姓が多いと柳田國男が記しているが、2000年電話帳では1件しか残っていない。

「同国同郡東上山村大字田野口字川平と云ふ部落は、青屋という苗字が多く、建久年間紀州名草郡より移住した、青屋与平、青屋三十郎兄弟の者の末だと云」
「同村大字川字谷の部落の、中内某は、是亦青屋与平の子孫と称して居る」[82]

高岡郡四万十町大正の田野々地区と川字谷地区に関する記述。田野口は田野々の誤記であり、建久年間は1190年から1198年。青屋(あおや)は、鹿児島県鹿児島市が最多の稀姓。部落史用語の青屋からの姓か。

施設等

関連団体

  • 部落解放同盟高知県連合会・高知市連絡協議会 - 高知県高知市本町4丁目1-37 4F
  • 部落解放同盟高知市連絡協議会 - 高知県高知市朝倉己771-9
  • 部落解放同盟赤岡支部 - 高知県香美郡赤岡町幸町
  • 部落解放同盟野中支部 - 高知県南国市野中398-5
  • 部落解放同盟野中支部 - 高知県南国市東山町1丁目11-23
  • 部落解放同盟前浜支部 - 高知県南国市前浜705
  • 部落解放同盟土佐山田支部 - 高知県香美郡土佐山田町宝町2-14-15
  • 部落解放同盟安芸支部 - 高知県安芸市本町5-17-2
  • 部落解放同盟高知県連高吾地区連絡協議会 - 高知県高岡郡中土佐町久礼5251
  • 部落解放同盟高知県連幡多地区連絡協議会 - 高知県幡多郡大方町入野
  • 高知人権連 - 高知県土佐市家俊216-6
  • 自由同和会高知県本部 - 高知県高知市東石立町53-4 堀川ビル2F 
  • 全国自由同和会高知県連合会 - 高知県高知市東石立町53-4
  • 全日本同和会高知県連合会 - 高知県吾川郡春野町弘岡中284-1

教育集会所

  • 上段教育集会所 - 室戸市羽根町乙2760番地
  • 羽根坂本教育集会所 - 室戸市羽根町乙3163番地3
  • 大谷第一教育集会所 - 室戸市浮津137番地
  • 大谷第二教育集会所 - 室戸市室津2198番地7
  • 行当教育集会所 - 室戸市元甲2183番1
  • 菜生教育集会所 - 室戸市室戸岬町5777番地1
  • 都呂教育集会所 - 室戸市佐喜浜町1007番地
  • 吉良川教育集会所 - 室戸市吉良川町乙5429番151
  • 明神川教育集会所 - 室戸市羽根町乙3209番地371
  • 土佐清水市立浜垣教育集会所 - 土佐清水市大岐3145
  • 土佐清水市立竜串教育集会所 - 土佐清水市竜串14-4
  • 宿毛市立正和教育集会所 - 宿毛市和田825番地4
  • 宿毛市立小筑紫教育集会所 - 宿毛市小筑紫町小筑紫502番地7
  • 土場集会所 - 四万十町大正667番地
  • 八木集会所 - 四万十町大井川1806番地2
  • 弘瀬集会所 - 四万十町弘瀬459番地5
  • 道徳集会所 - 四万十町道徳196番地
  • 平野集会所 - 四万十町平野417番地4
  • 土居集会所 - 四万十町土居425番地4
  • 黒潮町立浜松教育集会所 - 黒潮町入野841-5

人権啓発センター

  • 高知県立人権啓発センター - 高知市本町4丁目1-37
  • 中土佐町役場 中土佐地区人権啓発センター - 高岡郡中土佐町久礼5251−1

小集落改良住宅

四万十市

  • 朝日区改良住宅 - 四万十市右山元町1丁目3番2号、3番17号
  • 用井地区改良住宅 - 四万十市西土佐用井1013番地、977番地1

自治体ごとの同和地区

以下は条例などに記載があるものにほぼ限定しているので、未指定地区は記載していない

概況のとおり、本県では漁村型、農村型同和地区が多く、本来の都市型同和地区は高知市に集中しているだけである

同和地区の無い市町村

吾川郡仁淀川町(旧吾川郡池川町、同吾川村、および高岡郡仁淀村)
安芸郡北川村、同馬路村、同田野町
土佐郡大川村 
高岡郡越知町、同津野町

出典

  1. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』20-21頁
  2. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』20-21頁
  3. 『部落問題・人権事典』(部落解放・人権研究所編、部落解放・人権研究所、2001)
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 『宿毛の部落史』(宿毛の部落史編纂委員会編、宿毛市教育委員会、1986)長宗我部検地帳における「坂ノ者」の屋敷分布図と関係する旧同和地区の分布図を掲載。
  5. 『部落問題事典』(部落解放研究所編、部落解放研究所、1986)
  6. 『熊野・被差別ブルース 田畑稔と中上健次のいた路地よ』(和賀正樹、現代書館、2010)
  7. 『新聞記事からみた水平社運動』(田宮武、関西大学出版部、1991)
  8. 8.0 8.1 『部落問題・人権事典』(部落解放・人権研究所編、部落解放・人権研究所、2001)
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 9.5 9.6 9.7 9.8 『融和時報(縮刷版) 1938年9月1日号』(三一書房、1983)
  10. 10.00 10.01 10.02 10.03 10.04 10.05 10.06 10.07 10.08 10.09 10.10 10.11 10.12 10.13 10.14 10.15 10.16 『社会改善公道(覆刻)』(西播地域皮多村文書研究会編、西播地域皮多村文書研究会、1984)
  11. 『近代庶民生活誌 11 天皇・皇族』(南博編、三一書房、1990)
  12. 村越末男、‎横山嘉道『高知県の部落問題と同和教育』36頁
  13. 大阪市立大学『人権問題研究』10号,2010 131〜135頁
  14. http://synodos.jp/society/10900
  15. https://www.kochinews.co.jp/article/20/
  16. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』63頁
  17. 『部落史からみた東京』(本田豊、亜紀書房、1990)
  18. 『被差別部落の起源 近世政治起源説の再生』(寺木伸明、明石書店、1996)
  19. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』63頁
  20. 『部落問題・水平運動資料集成 第3巻』(渡部徹、秋定嘉和編、三一書房、1974)
  21. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』63頁
  22. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』63頁
  23. 『明治之光 大正7年分』(『社会改善公道(覆刻)』(西播地域皮多村文書研究会編、西播地域皮多村文書研究会、1984)所収)
  24. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』(解放新聞社編、解放出版社、1994)
  25. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』82頁
  26. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』82頁
  27. 『部落問題・水平運動資料集成 第3巻』(渡部徹、秋定嘉和編、三一書房、1974)
  28. 『部落問題・水平運動資料集成 第3巻』(渡部徹、秋定嘉和編、三一書房、1974)
  29. 『融和時報(縮刷版) 1940年6月1日号』(三一書房、1983)
  30. 『天皇の国・賤民の国』(沖浦和光、河出書房新社、2007)
  31. 『日本の聖と賎 中世篇』(野間宏、沖浦和光、人文書院、1985)
  32. 『解放新聞 1968年6月25日号』(解放新聞社)
  33. 『解放への闘い 続』(高知新聞社編集局編、高知新聞社、1976)
  34. 『解放の道 1999年5月15日号』(解放の道新聞社)
  35. 『民俗文化の深層 被差別部落の伝承を訪ねて』(乾武俊、部落解放研究所編、部落解放研究所、1995)
  36. 『融和時報(縮刷版) 1940年7月1日号』(三一書房、1983)
  37. 『ゼンリン 住宅地図』
  38. 『解放新聞 1995年8月28日号』(解放新聞社)
  39. 『部落問題事典』(部落解放研究所編、部落解放研究所、1986)
  40. 『明日、かがやく』(全国部落出身教職員連絡会編、解放出版社、1993)
  41. 柳田國男「夙の者と守宮神との関係(毛坊主考の八)」によると、当部落の生業は竹箒と藁細工である。
  42. 谷内照義『解放教育の展開』12頁
  43. 『人間に光あれ』(森田益子、もろさわようこ、径書房、1991)
  44. 『解放への闘い 続』(高知新聞社編集局編、高知新聞社、1976)人名は大半がイニシャル。
  45. 『部落問題事典』(部落解放研究所編、部落解放研究所、1986)
  46. 『部落問題・水平運動資料集成 補巻2』(渡部徹、秋定嘉和編、三一書房、1978)
  47. 『ゼンリン 住宅地図』
  48. 柳田國男「夙の者と守宮神との関係(毛坊主考の八)」に「土佐国群書類従拾遺巻三十七に採録せられた弘岡志企と云ふ書に、同国吾川郡弘岡村字梛木(なぎのき)は穢多村、真宗にして寺号の無き穢多寺の西に宿神あり。初は森山村(現・高知市春野町森山)の宿神ケ谷に在りしを移せるならん」とある。
  49. 『部落の民』(中西義雄、潮文社、1957)人名、地名の大多数を明記。
  50. 『差別のなかを生きぬいて』(部落解放同盟中央本部編、解放出版社、1978)
  51. 『全日本同和会幹部研修会 平成19年度』(全日本同和会、2008)
  52. 『ゼンリン 住宅地図』
  53. 『ルポルタージュ部落 四国・九州編』(解放新聞社編、解放出版社、1994)
  54. 『解放新聞 2000年1月3日号』(解放新聞社)
  55. 『ゼンリン 住宅地図』
  56. 『細民部落改善実例』(広島県安芸郡編、広島県安芸郡、1916)
  57. 『更生(復刻版) 7巻』(中央融和事業協会編、不二出版、1988)
  58. 『部落はたちあがる』(部落解放同盟佐川支部編、汐文社、1969)
  59. 59.0 59.1 『佐川町人権史』(佐川町人権史編集委員会編、佐川町、1994)
  60. 『おれたちの興津』(全解連興津支部、文理閣、1981)
  61. 『部落解放運動基礎資料集 第4巻 差別糾弾・行政闘争』(部落解放研究所編、部落解放同盟中央本部、1981)
  62. 柳田國男「夙の者と守宮神との関係(毛坊主考の八)」
  63. 『日本の特殊部落』(菊池山哉、東京史談会、1962)
  64. 『解放の道 1999年5月15日号』(解放の道新聞社)
  65. 『被差別部落 Ⅰ 農村漁村』(解放新聞社編、三一書房、1978)
  66. 『いま、部落史がおもしろい』(渡辺俊雄、部落解放研究所、1997)
  67. 『宿毛の部落史』4頁
  68. 『宿毛の部落史』1頁
  69. 『宿毛の部落史』3-4頁
  70. 『宿毛の部落史』13頁
  71. 『宿毛の部落史』14頁
  72. 『宿毛の部落史』11頁
  73. 『宿毛の部落史』21頁
  74. 『宿毛の部落史』21頁
  75. 解放新聞社編『被差別部落 I農山漁村』215頁
  76. 解放新聞社編『被差別部落 I農山漁村』219頁
  77. 『被差別部落 Ⅰ 農村漁村』(解放新聞社編、三一書房、1978)
  78. 柳田國男「夙の者と守宮神との関係(毛坊主考の八)」
  79. 『解放新聞 1973年10月22日号』(解放新聞社)
  80. 『解放新聞 1968年6月25日』(解放新聞社)
  81. 『解放新聞 1996年1月1日号』(解放新聞社)
  82. 『日本の特殊部落』(菊池山哉、東京史談会、1962)高知県における分布図を掲載。