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秋田県

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概況

1869年、秋田藩から朝廷への提出書に、穢多89戸、386口とある(『秋田沿革史大成』)[1]。県内には14ヶ所の被差別部落があり、その所在地は全て旧城下町である[2]。具体的には、秋田市、角館町(現・仙北市)、本荘市(現・由利本荘市)、湯沢市、大館市、横手市、象潟町(現・にかほ市)などの町外れに被差別部落があり、大きいものでも20戸程度である[3]。被差別部落には農業に従事している者はおらず、皮革業が中心である[4]

本田豊は『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』に秋田市と角館町の被差別部落の探訪記事を載せている。前者は戸数20戸で、旧称は花立町(羅く町、下町とも[5])、現在は高陽幸町と山王二丁目に分かれているが、江戸時代は一つの穢多町であった[6]

後者は戸数30戸で通称二区[7]、通りを挟んで仙北市角館町西勝楽町と仙北市角館町小館に跨っていることが本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』57頁の図から読み取れる。

秋田県の被差別部落の統計[8][9]

調査年 地区数 戸数 人口
1869~70年(統計集誌明治15年) - 117 534[10]
1907年(内務省) 6 100 不明
1923年 不明 150 640
1929~30年(三好伊平次) 14 110 不明
1935年(中央融和事業協会) 1 16 105
1967年(野本武一) 3 49 -
1993年(『東日本の被差別部落』17頁) 4(かつて存在したことは明らかだが近年まだ確認されていない地区は10) - -

本田は『新版 部落史を歩く 非人系部落の研究』79頁で「私は、1935(昭和10)年の全国部落調査に、どうして秋田市にある部落ではなくて、角館町の部落がのっているのか疑問に思っていた。規模からいえば、当時でも秋田市内の部落のほうが角館町の部落の三倍は大きかったのに、なぜ統計にのっていないのか」と書いており、これによると秋田市の被差別部落は1935年の段階で48戸以上だったことになる。

『全国部落調査』に角館町の地区が載ったのは、戦前の角館町に県内唯一の融和事業と思われる「児童学園保育部」(被差別部落の横にある寺の住職が部落児童の不良化防止のためにおこなった欠食児童救済事業)が存在したためと伝えられる[11]

文献

全國部落調査(1935年)

秋田縣 昭和十年二月現在

149頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
仙北郡 角館町 西勝樂寺 下町 一六 一〇五 靴製造 仙北市 角館町西勝楽町、角館町小館
計一 一六 一〇五

出典

  1. 原田伴彦『日本封建制下の都市と社会』215ページ
  2. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』47頁
  3. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』47頁
  4. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』47-48頁
  5. 原田伴彦『部落差別史研究』第4巻、213頁
  6. 原田伴彦『日本封建制下の都市と社会』205ページ
  7. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』57頁
  8. 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』48頁
  9. 『東日本の被差別部落』(明石書店)17頁
  10. 『藩制一覧表』による。高橋梵仙によると1870年9月の県の調査で穢多・番主・非人の総計が944人。
  11. 本田豊『新版 部落史を歩く 非人系部落の研究』78頁