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大分県

提供: 同和地区(被差別部落)Wiki
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概況

『全國部落調査』に記載がある地区の中で100戸を超えているのは、以下の2地区のみである。

  1. 大分市永興旭町 - 116戸
  2. 中津市高瀬 - 112戸

ただし『佐賀部落解放研究所紀要 24号』(佐賀部落解放研究所編、2007)によると、中津市の400戸の地区が大分県で最大であり、宇佐市の宇佐神宮のそばには200戸の地区があるという。いずれも『全國部落調査』には記載がない。

東国東郡国東町(現・国東市)K部落(北江?)は1983年の資料で戸数16戸[1]。『熱い叫び』(毎日新聞大分支局編、葦書房、1982)でも国東市国東町北江の地区を16戸としており、同地に長岡姓の者がいた。国東町全体で同和関係世帯数は30戸、人口は約100人であった[2]。なお北江地区も『全國部落調査』には記載がない。

豊後高田市には世帯数が30戸から40戸までの同和地区が3ヶ所あり、地区外の10戸を合せて同和関係人口は約320人、約110世帯である[3]

玖珠郡九重町吉部(よしぶ)地区は被差別部落民による開拓地で1976年に同和地区指定を受け[4]、1980年4月当時、戸数26戸・人口約90人を数えた[5][6]。またG地区(松木大字五分市?)やS地区(菅原?)にも被差別部落があり、1980年4月当時、後者は戸数14戸・人口50人であった[7]。これらの地区もまた、『全國部落調査』には記載がない。

なお大分県では宮崎県と同様、同和予算目当てに「えせ同和地区」が捏造される問題が生じていた。たとえば大分郡挾間町(現・由布市挾間町)では町議の西郡均(日本共産党)により以下の報告がなされている[8]

1976年の夏頃より部落解放同盟挾間支部をつくった朴木の青年たちに協力したのは、警察官OBでした。
彼らは、年末から翌年2月にかけて大分市にたいし集中して要求闘争をしていましたが、同様の内容で挾間町に対しても無理難題を押しつけていました。
当時、同盟員の住んでいる朴木、下市、篠原、三船、阿鉢、時松、赤野、七蔵司を「同和地区」にするよう町長に迫っていました。
結局、挾間町は1977年5月同盟員が複数いる朴木、下市、篠原の三ヶ所を「同和地区」として総理府に届け出させました。
朴木には85世帯のうち45世帯、下市には158世帯のうち61世帯、篠原は小野の一部を加えて183世帯のうち53世帯と全く虚偽の「同和地区」届け出をし、
今日まで同和推進教員の加配などを受けているのですから、役所ぐるみで詐欺を働いているようなものです。
役所ぐるみの詐欺を湖塗するためにつくった「挾間町同和対策審議会設置条例」や県下で焦げ付きが問題にっている「挾間町(同和)住宅新築資金貸付条例」も廃止していいのに、
部落解放同盟を恐れいまだそのままにしています。
読みもしない部落解放同盟の雑誌を管理職に無理やり購読させ、新聞を119部も取っています。
1977年から翌1978年にかけては、部落解放同盟が全県で無法をはたらいた年です。
それまで全県で18市町村に46地区あった「同和地区」が、1978年12月末までに30市町村98地区にふくれあがっています。
ほとんどが挾間同様「ニセ同和」です。「解放同盟の言う通りにせよ」と指導した大分県同和対策室の責任は重大です。(略)
なにしろ、1975年調査で18市町村46ヶ所の同和地区が、1978年末には、30市町村98ヶ所にまで増えたのですから、挾間町みたいな「えせ同和地区」を次々と指定していったといえます。

大分市にあたる大分郡野津原町の町議会で、同和地区指定は誤りだったとする決議がなされたとする[9]。また、他にも部落解放同盟の圧力で同和地区指定された地区があった市町村として以下をあげている。

  • 中津市(旧:下毛郡三光村)
  • 国東市(旧:東国東郡国見町)
  • 速見郡日出町
  • 別府市
  • 由布市(旧:大分郡庄内町。旧:大分郡狭間町)
  • 竹田市(旧:直入郡直入町)

部落解放同盟大分地協書記長の石田忠(旧姓は藤近)は「藤近という姓がきらいでね。部落出身ということがすぐわかるような気がしてね。だから養子(石田姓)にいったんですよ」と発言し、藤近が部落姓であることを暴露している[10]。石田忠の実父の藤近進は玖珠郡九重町飯田高原の開拓部落の三男で、部落解放同盟大分支部の結成者である[11]

部落差別事件として喧伝されがちな的ケ浜事件(1922年)の舞台は、今日、別府市北的ケ浜町の的ケ浜公園となっており、当時の面影はない[12]。ただし大阪の解放同盟の関係者は「的ケ浜は被差別部落とちゃうで」と発言している[13]。現地を調査した藤野豊によると、同地は被差別部落ではなく山窩と癩患者の集落であったが、事件当時、被災者の救援を図った浄土真宗の篠崎蓮乗が全国水平社に支援を求めたため、同地が被差別部落であるとの事実誤認が生じたという[14]。藤野はまた、1900年代初頭に山梨県で、1917年頃に東京洲崎で、1935年9月17日に那覇で癩患者の住居が警察や消防団に焼き払われた事実を指摘し、的ケ浜事件は決して特異な事例ではなかったと述べている[15]。なお、的ケ浜事件の被害者は姓だけ挙げると以下の通りである[16]

  • 岩本(本籍:長崎県東彼杵郡川棚村(現:長崎県東彼杵郡川棚町))
  • 瀬川(本籍:福岡県田川郡田川町(現:福岡県田川市))
  • 日高(2人。(1人の本籍:大分県直入郡宮城村(現:大分県竹田市))[17]
  • 松永
  • 山本
  • 吉武

なお、1971年4月21日に青森県警に逮捕された窃盗の常習犯の瀬川徳次郎(福岡県田川郡川崎町田原西田原の泥棒部落、通称「藤ケ瀬グループ」の頭領)は明治時代中期に大分県の山奥から移り住んだ竹細工師の子孫といわれるが[18]、上述の瀬川との関係は明らかでない。

毎日新聞大分支局編『熱い叫び』33頁に「武蔵町が総理府の依頼で、『同和地区』実態調査を行ったのは、1967(昭和42)年。この時、町は1872(明治5)年の壬申戸籍をもとにF地区43戸、A地区5戸の計48戸を『同和地区』として報告した。地区民の同意を得ないままである」とある。F地区は国東市武蔵町古市藤本と思われるが、一部地区民から「オレたちは、部落民でもないのに勝手にデッチ上げるとはけしからん」との声が上がったという。しかし壬申戸籍に基づいており『全国部落調査』にも記載があるとすれば、本当にでっちあげだったのかどうかは疑問の余地がある。

部落民を騙る士族として全国水平社から追放された高橋貞樹の本籍は大分県速見郡御越町大字内竈町983-2(現・別府市亀川浜田町983-2)で、出生地は大分県速見郡日出町大字堀、番地不詳[19]。母の旧姓は阿部で、母の実家は大分県速見郡日出町の青筵仲買業であるという[20]

文献

全國部落調査(1935年)

大分縣 昭和十年三月現在

322頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
西国東郡 高田町 高田 來縄 二八 一五五 農業 商業 豊後高田市 来縄 豊後高田市来縄に住む以下の姓の者による民話を掲載している[21]。戸田、宮本。同地に建設された共同製縄工場の役員に以下の姓の者がいた[22]。入江(2人)、岡本、川崎、下原(2人)、武田、戸田。同地の部落解放同盟西土居支部長に荻姓の者がいた[23]。郷森姓3件。2000年電話帳。
〃 〃 東山 一二 五八 豊後高田市 東山の位置は要調査。
〃 〃 其ノ他 一五 八八 豊後高田市
〃 田原村 沓掛 下沓掛 一〇 七九 荷馬車挽 杵築市 大田沓掛 下沓掛
〃 〃 上沓掛 三六 杵築市 大田沓掛 上沓掛
〃 東都甲村 新城 鏡迫 三一 二二九 馬車挽 豊後高田市 新城 鏡迫 豊後高田市(旧:西国東郡東都甲村)に清水姓の者がいた[24]。同地から更生訓練講習会に参加した以下の姓の者がいた[25]。池島、伊藤。池島姓4件、仲田姓10件。2000年電話帳。
〃 西眞玉村 西眞玉 下總六 一五 三八 養蚕、莚叺作 豊後高田市 西真玉 總六は徳六の誤記。豊後高田市(旧:西国東郡西真玉村)に山下姓の者がいた[26]
〃 香々地町 山崎 山崎 一七 二八 豊後高田市 香々地 山崎姓9件。2000年電話帳。
東国東郡 国東町 国東 田深 六〇 三〇〇 漁業 国東市 国東町田深
〃 武蔵町 藤本 四五 四〇八 国東市 武蔵町古市 藤本 国東市武蔵町古市に末廣姓の者がいた[27]。国東市(旧:国東郡武蔵町)から更生訓練講習会に参加した以下の姓の者がいた[28]。秦、藤川(2人)。国東市にあたる国東郡武蔵町の町議に当選した松本姓の者がいた[29]。古市に秦姓5件。2000年電話帳。
〃 安岐町 下原 大海田 四五 国東市 安岐町下原 大海田 国東市(旧:国東郡安岐町)で、1939年1月17日に鈴木姓の者に対して失言があったとする[30]。同地の大分親和会の役員に本田姓の者がいた[31]。また、本田姓の者は水平運動家でもあった[32]
〃 〃 内屋敷 五〇 三五〇 国東市 安岐町下原 内屋敷

323頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
東国東郡 奈狩江村 狩宿 三ツ塚 二六 一九三 農業 漁業 杵築市 狩宿 三塚 杵築市(旧:東国東郡奈狩江村)から更生訓練講習会に参加した秦姓の者がいた[33]。秦姓7件。2000年電話帳。
速見郡 豊岡町 豊岡 佐喜 一一 五五 竹皮草履製造 速見郡 日出町 豊岡
〃 日出町 八日市 前川 一三 五五 日傭 速見郡 日出町 八日市
〃 八坂村 八坂 尻ノ切レ 二五 杵築市 八坂
〃 〃 其ノ他 三六 杵築市 八坂
〃 東山香村 廣瀬 北ノ原 二五 一五二 靑莚、草履 杵築市 山香町大字広瀬 北ノ原 杵築市(旧:速見郡山香村)に大分県親和会の長野姓の者がいた[34]
〃 〃 〃 藪田 一一 四五 杵築市 山香町大字倉成 薮田
〃 立石町 立石 立石 一二 七三 杵築市 山香町大字立石
〃 北由布村 中島 中島 二四 九九 由布市 湯布院町川上 中島
〃 〃 其ノ他 一〇 由布市 湯布院町川上 中島
大分郡 日岡村 新貝 大園 一四 八五 靴製造 草履作 大分市 新貝 牧姓11件。2000年電話帳。
〃 明治村 小池原 小池原 一五 八〇 農業 大分市 小池原
〃 〃 〃 其ノ他 四〇 大分市 小池原
北海部郡 臼杵町 市浜 呑碧 二一 一一〇 製履業 臼杵市 市浜
〃 〃 江無田 丸尾 四八 臼杵市 江無田 丸尾
南海部郡 佐伯町 佐伯 佐伯 一二 四四 農業 商業 佐伯市 城下東町
大野郡 野津市村 野津市 野津市 臼杵市 野津市

324頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
大野郡 三重町 内田 島田 一二 五七 農業 竹皮草履作り 豊後大野市 三重町内田嶋田 豊後大野市(旧:大野郡三重町)の大分親和会の役員に大澤姓の者がいた[35]。同地に以下の姓の者がいた[36]。秦、藤田。同地から更生訓練講習会に参加した曽我姓の者がいた[37]
〃 〃 〃 其ノ他 一〇 四三 豊後大野市 三重町内田
〃 大野町 田中 北区 三三 二一三 商業 豊後大野市 大野町田中 豊後大野市(旧:大野郡大野町)の成田姓の者が差別発言を受けたとする[38]。同地で1939年1月10日に石川姓の者に対して失言があったとする[39]。同地に以下の姓の者がいた[40]。竹田、田上、渡辺。部落解放同盟大野町地協に以下の姓の者がいた[41]。清田、倉田。田中に改姓6件、秦姓12件。田上10件。2000年電話帳。
〃 〃 〃 南区 三九 二四三 商業 製履業 豊後大野市 大野町田中
〃 〃 屋原 辻区 二二 一六九 養蚕 豊後大野市 大野町屋原
直入郡 豊岡村 會々 下木 二〇 九一 竹細工 竹田市 会々 下木
〃 城原村 下坂下 下深迫 四二 二二五 農業 藁細工 竹田市 下坂田 下深迫 下坂田に軽木姓2件、多治見姓5件、真部姓4件。2000年電話帳。
〃 久住町 久住 久住 五四 商業 竹田市 久住町大字久住
玖珠郡 森町 岩屋 岩屋 一四 八六 玖珠郡 玖珠町 岩室 岩屋は岩室の誤記。岩室23に部落解放同盟十五駄支部、玖珠町人権同和研修センターがある。
〃 〃 〃 其ノ他 二六 玖珠郡 玖珠町 岩室 同上。
〃 東飯田村 鳥越 下書曲 一二 六五 出稼 玖珠郡 九重町 野上 鳥越
日田郡 光岡村 光岡 友田 三七 二四二 日田市 友田 1881年11月28日に結成された復権同盟の発起人に日田市(旧:日田郡友田村)の吉富姓の者がいた[42]。吉富姓10件、吉冨姓1件。2000年電話帳。
〃 日田町 日田 日田 一〇 四七 商業 日田市
〃 高瀬村 高瀬 今市 五八 四〇六 屑物商 日田市 高瀬京町、今市 1881年11月28日に結成された復権同盟の発起人に日田市(旧:日田郡高瀬村)の毛利姓の者がいた[43]。同地で、1939年6月8日に野田姓の者に対して差別発言があったとする[44]。同地に山下姓の者がいた[45]。同地の部落解放同盟高瀬支部に毛利姓の者がいた[46]。1930年当時の全国水平社大分県代表者に日田郡高瀬村出身の毛利姓の者がいた[47]。毛利姓34件。2000年電話帳。
下毛郡 寉居村 髙瀬 高瀬 一一二 六八九 中津市 高瀬 高倉姓32件。2000年電話帳。
〃 新昭村 野依 野依 一七 七二 中津市 野依 野依姓1件。2000年電話帳。関係不明。
〃 〃 犬丸 犬丸 三六 中津市 犬丸 黒土姓[48]10件。2000年電話帳。

325頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
下毛郡 三保村 伊藤田 伊藤田 四五 二二三 農業 中津市 伊藤田 黒土姓11件。2000年電話帳。
宇佐郡 龍王村 鳥越 鳥越 一五 七三 養蚕 宇佐市 安心院町鳥越 衆院議員(自由党)の衛藤速の出身地区[49]
〃 南院内村 上納持 上納持外四字 一〇 五〇 宇佐市 院内町上納持
〃 院内村 齊藤 廣丸 三〇 一六五 石工、土工 宇佐市 院内町斎藤 広丸
〃 津房村 楢本 楢本 二二 八九 日傭 宇佐市 安心院町楢本 楢本姓2件。2000年電話帳。関係不明。
〃 〃 〃 其ノ他 一七 宇佐市 安心院町楢本
〃 東院内村 副 川ノ上 一一 六七 草履、馬車 宇佐市 院内町副
〃 四日市 四日市 小峯 一八 八二 日傭 宇佐市 四日市 小峰 四日市に牧野姓17件[50]。2000年電話帳。
〃 〃 〃 千源寺 一三 六四 宇佐市 四日市 千源寺 同上。
〃 〃 〃 其ノ他 一六 八八 宇佐市 四日市 千源寺 同上。
〃 安心院村 下毛 下毛 五二 二六四 牛馬商、草履商 宇佐市 安心院町下毛
〃 横山村 山下 山下 三一 一八六 日傭 宇佐市 山下
〃 天津村 富山 釡迫 七一 三三五 養蚕 宇佐市 富山 釜迫
〃 糸口村 下髙 下山 三二 一八一 宇佐市 下高 下山
〃 〃 上時枝 三四 一八六 藁仕事 宇佐市 上時枝 経済厚生指導者講習会に出席した垣添姓の者がいた[51]。垣添姓9件、山末姓14件。2000年電話帳。
〃 宇佐町 北宇佐 六五 二九五 養蚕 宇佐市 北宇佐 原 宇佐市(旧:宇佐郡宇佐町)に以下の姓の者がいた[52]。並松、西本、皆元(みなもと。他に読みあり。鹿児島県が最多の稀姓)。北宇佐に並松姓7件、広岡姓16件。2000年電話帳。
〃 〃 〃 瀬割 一四 六五 宇佐市 北宇佐 瀬割

326頁

部落所在地 部落名 戸数 人口 主業 副業 生活程度 現在地 備考
宇佐郡 宇佐町 北宇佐 宇佐 二一 農業 養蚕 宇佐市 北宇佐
〃 長洲町 長洲 長洲 六九 二八八 日傭 宇佐市 長洲 大分県から満洲、朝鮮の視察に行った桃田姓の者がいた[53]。宇佐市長洲にあった細工長洲村では、1622年(元和8年)に山崎三郎左衛門尉の一族の皮屋が5人いた[54]。1636年(寛永13年)の『太郎兵衛等連書書状案』によれば、安心院、西原、宇佐等のカワタが山崎氏を頭と認めて忠誠を誓っている[55]。同地は長洲山崎という地名であり、姓は地名から名乗ったとする[56]。同地の長州小学校で、1933年に以下の姓の者に差別事件があったとする[57]。井上、奥田、曽我(2人)、長岡、永岡、永本、藤本、松田、松本、宮本(4人)。桃田姓11件、山崎姓3件。2000年電話帳。小字に山崎あり。
大分市 勢家 明珍 一九 七九 農業 商業 大分市 勢家町 福岡県田川郡川崎町西田原の泥棒部落の開祖の一人は本籍地が大分市勢家170[58]
〃 永興 旭町 一一六 六二〇 商業 農業 大分市 永興 旭町 大分市旭町の解放運動家に玖珠郡九重町の飯田高原出身である藤近姓の者がいた。藤近(ふじちか。他に読みあり)は、大分市が最多の稀姓。「藤近という姓がきらいでね。部落出身ということがすぐわかるような気がしてね。だから養子(石田姓)にいったんですよ」[59]。上記の者の四男による発言。同地に猪原姓の者がいた[60]。同地に笹木姓の者がいた[61]。永興(りょうご)に猪原姓7件、清田姓4件、秦姓15件、藤近姓2件。2000年電話帳。
其ノ他 四〇 大分市 「その他」とあるので地名の詳細は不明。胡麻鶴や小野鶴の可能性が高い[62]
別府市 別府 別府 五六 二〇七 農業 別府市
其ノ他 一三 五三 農業 商業 別府市
中津市 一七 八九 商業 中津市 毎日新聞大分支局編『熱い叫び』168頁に「中津市K地区の被差別部落」出身の宮本氏が登場。2000年電話帳で中津市内の宮本姓の分布をみると加来に比較的多い。要検証。
計四八 七一 一七七〇 九五五九

施設等

小集落改良住宅

  • 臼杵市営住宅条例施行規則に「第3項(地域改善向け住宅に係る家賃の特例)」が定められているものの、当該住宅の位置は不詳。要調査。
  • 大分市小野鶴1625近辺の小野鶴団地は1979年3月にできた同和住宅である[63]
  • 大分市廻栖野胡麻鶴の七瀬川沿い堤防に一戸建ての同和住宅(1979年末完成)が並んでいる[64]。戸数は12戸[65]
  • 吉部住宅 - 玖珠郡九重町田野1712-68

中津市には12世帯の同和住宅がある[66]。中津市では野田高山1~11住宅(中津市大字犬丸2187番地3など)や高瀬1~11号住宅(中津市大字高瀬277番地など)が同和住宅と思われるが、どれが上掲の「12世帯の同和住宅」に該当するのかは要調査。

教育集会所・同和対策集会所

  • 小野鶴団地集会室 - 大分市小野鶴[67]
  • 西土居集会所 - 豊後高田市来縄2475番地1
  • 白石集会所 - 豊後高田市界1611番地
  • 新城集会所 - 豊後高田市新城674番地1
  • 徳六集会所 - 豊後高田市西真玉3894番地
  • 竹田市池ノ口住宅集会所 - 竹田市久住町大字栢木5803番地2
  • 藤本公民館 - 国東市武蔵町古市[68]
  • 豊後大野市嶋田集会所 - 豊後大野市三重町内田3435
  • 中津市古森集会所 - 中津市大字伊藤田3084番地
  • 中津市野依東集会所 - 中津市大字野依811番地1
  • 中津市野路集会所 - 中津市三光土田1191番地1
  • 北宇佐第一集会所 - 宇佐市大字北宇佐373番地
  • 下山集会所 - 宇佐市大字下高1991番地の2
  • 森集会所 - 宇佐市大字上時枝568番地の1
  • 東山下集会所 - 宇佐市大字山下2236番地の2
  • 長洲集会所 - 宇佐市大字長洲2218番地
  • 富山集会所 - 宇佐市大字富山1148番地の1
  • 瀬割集会所 - 宇佐市大字北宇佐2437番地の7
  • 北宇佐第二集会所 - 宇佐市大字北宇佐278番地の4
  • 西新町集会所 - 宇佐市大字吉松16番地
  • 原ノ山集会所 - 宇佐市大字蜷木2205番地の39
  • 平松集会所 - 宇佐市大字長洲2844番地の2
  • 西港町集会所 - 宇佐市大字長洲4365番地
  • 森・高花集会所 - 宇佐市大字下高536番地の3
  • 下毛集会所 - 宇佐市安心院町下毛2137番地
  • 楢本集会所 - 宇佐市安心院町楢本1296番地
  • 鳥越集会所 - 宇佐市安心院町鳥越781番地
  • 木裳集会所 - 宇佐市安心院町木裳549番地の1
  • 大黒原集会所 - 宇佐市安心院町仏木169番地の32
  • 副集会所 - 宇佐市院内町副814番地の2
  • 斉藤集会所 - 宇佐市院内町斉藤1224番地の2
  • 二日市集会所 - 宇佐市院内町二日市90番地
  • 臼杵市戸室台集会所 - 臼杵市大字戸室字北平601番2

同和保育所

  • 大分市役所 福祉事務所子育て支援課小野鶴こばと保育所[69] - 大分市小野鶴1625-1

このほか同和対策事業に伴う同和保育所は中津市に2ヵ所、宇佐市と大分市に各1ヵ所ある[70]

関連団体

  • 部落解放同盟大分県連合会 - 大分県大分市寿町1-3-5F
  • 部落解放同盟大分県連合会別府支部 - 大分県別府市石垣東10丁目7-5
  • 部落解放同盟大分県連合会高瀬支部 - 大分県中津市高瀬1042
  • 部落解放同盟大分県連合会臼杵支部 - 大分県臼杵市大字臼杵洲崎72-199
  • 部落解放同盟大分県連合会十五駄支部 - 大分県玖珠郡玖珠町大字岩室23
  • 部落解放同盟大分地区協議会 - 大分県大分市永興1580-6旭町文化センター
2007年12月議会質問原稿 日本共産党 小手川 めぐみ
先日、地元紙は、宇佐市の、決算審査特別委員会で長年、部落解放同盟の事務所の水光熱費を肩代わりしてきた経過があり改善を求められたことを報じました。大分市はどうなっているのか、電話帳をめくると、「部落解放同盟大分地協」は永興1580-6となっています。住宅地図で 確認すると大分市の行政財産である旭町文化センターの場所になります。電話は、センター2階にある市の委託事業生活相談室に引かれています。行政財産の使用とみなされますが、いつ、誰がどのような手続きで電話の設置を認めたのか、電話はだれの名義になっているのかお答えください。大分市では昭和50年から本年まで33年間にわたり部落解放同盟大分県連合会大分地区各支部代表者会に活動運営費補助金、総計1億7695万9千円が支給されています。この会には年度末、活動実績報告書・ 収支決算書の提出が義務付けられています。その書類を見ますと、団体の所在地は大分市旭町1組、これまた旭町文化センターの住所です。行政財産内を団体に使用させる許可をいつだれがどのような手続きでだしたのか、お答えください。もし、旭町文化センター内にこの団体は存在しないというのなら、架空の住所をもつ団体に補助金を出していたことになりませんか?人権同和対策課が補助金支給の窓口です。知らなかったとはいえないはずです。見解を求めます。
  • 部落解放同盟別府地区連絡協議会 - 大分県別府市春木4
  • 部落解放同盟豊後高田地区協議会
  • 部落解放同盟山香地区協議会 - 大分県速見郡山香町立石
  • 部落解放同盟宇佐地区協議会 - 大分県宇佐市上田
  • 自由同和会大分県本部 - 大分県大分市三川上4-4-7
  • 自由同和会大分県本部事務局 - 大分県大分市大字片島2456-21
  • 全日本同和会大分県連合本部 - 大分県別府市亀川東町15-21
  • 全日本同和会大分県連 - 大分県宇佐市蜷木2205-37
  • 全日本同和会大分県連合会 - 大分県宇佐郡安心院町妻垣38-5
  • 全日本同和会大分県連合会 - 大分県宇佐市大字北宇佐363-2
  • 全日本同和会別府支部[71] - 大分県別府市亀川東町15-21
  • 人権連大分県連 - 大分郡狭間町朴木603 西郡均方
  • 全解連中津支部[72]

「全国同和会大分県連合会本部」の登録が大分市新町2−1−401に確認できる。ただし、同じ電話番号を2000年の電話帳で大分県大分市都町2-6-7-5F502の「レインボー」なる店(業種不明)も使用。

解同大分県連には以下の支部がある(解同大分県連規約第8条)。

  • 旭町
  • 小池原
  • 日岡
  • 庄の原
  • 永興
  • 胡麻鶴[73]
  • 小野鶴
  • 庄内
  • 臼杵
  • 三重
  • 城原
  • 久住
  • 光岡
  • 高瀬
  • 十五駄
  • 九重
  • 北江
  • 藤本
  • 塩屋
  • 別府
  • 杵築
  • 三光
  • 古森
  • 高瀬[74]
  • 富山
  • 西新町
  • 下山
  • 長洲
  • 白石
  • 西土居[75]
  • 新城
  • 安心院
  • 徳六

高瀬が二回登場するが、原文のままである。このほか、滝尾支部[76]、佐賀関支部[77]、弥生支部[78]、佐伯支部[79]、真玉支部[80]の存在を記す資料もある。

人権啓発センター

  • 人権啓発センター(ヒューレおおいた)- 大分市金池南1丁目5番1号「ホルトホール大分」1階
  • 日田市 市民環境部 人権・同和対策課 啓発推進係(人権啓発センター)- 日田市田島2丁目6番1号(市役所別館1階)
  • 別府市人権啓発センター - 別府市石垣東10丁目7番5号
  • 玖珠町役場玖珠町人権同和啓発センター - 玖珠郡玖珠町岩室24

市町村別調査結果

出典

  1. 山名伸作「大分県と栃木県の同和地区現地研修記」
  2. 山名伸作「大分県と栃木県の同和地区現地研修記」
  3. 山名伸作「大分県と栃木県の同和地区現地研修記」
  4. 毎日新聞大分支局編『熱い叫び』111-118頁
  5. 山名伸作「大分県と栃木県の同和地区現地研修記」
  6. 山名伸作「大分県と栃木県の同和地区現地研修記」では地区名がYとしか書かれていないが、世帯数が毎日新聞大分支局編『熱い叫び』118頁の吉部地区の記述と一致する。
  7. 山名伸作「大分県と栃木県の同和地区現地研修記」
  8. https://web.archive.org/web/20130619115001/http://www2.ocn.ne.jp/~nishikin/1000page.htm
  9. 『解放の道 1989年11月15日号』(解放の道新聞社)
  10. 毎日新聞大分支局編『熱い叫び』50頁
  11. 毎日新聞大分支局編『熱い叫び』45頁
  12. 毎日新聞大分支局編『熱い叫び』200頁
  13. 藤野豊『忘れられた地域史を歩く』52頁
  14. 藤野豊『忘れられた地域史を歩く』54頁
  15. 藤野豊『忘れられた地域史を歩く』56頁
  16. 『新聞記事からみた水平社運動』(田宮武、関西大学出版部、1991)
  17. 『近代庶民生活誌 11 天皇・皇族』(南博編、三一書房、1990)に16戸の戸長の姓が記載されており、上記の姓の日高に類似した姓として日坂、松永に類似した姓として増永、吉武に類似した姓として吉竹の記載があった。こちらが誤記か。上記以外の姓には以下があり、また、別の項目で異なる表記の場合は()で記す。
    • 荒木
    • 井本(井元)
    • 金井田(かないだ。他に読みあり。長崎県松浦市が最多の稀姓)
    • 潮塚(しおつか。大阪府四条畷市の1戸のみの稀姓)
    • 島田(島)
    • 熊下(くました。福岡県と岩手県が最多の稀姓)
    • 中山
    • 御舟(みふね。長崎県が最多の稀姓)
    • 三宅
    • 龍(竜)
  18. 平岡正明『あらゆる犯罪は革命的である』118頁
  19. 『部落問題論集』創刊号(大阪府立大学、1976年3月)140頁
  20. 『部落問題論集』創刊号(大阪府立大学、1976年3月)151頁
  21. 『けんぼく部落解放史 創立十周年記念誌』(県北部落史研究会、1993)
  22. 『融和時報(縮刷版) 1937年2月1日号』(三一書房、1983)
  23. 『解放新聞 1976年2月19日号』(解放新聞社)
  24. 『融和時報(縮刷版) 1939年11月1日号』(三一書房、1983)
  25. 『融和時報(縮刷版) 1941年5月1日号』(三一書房、1983)
  26. 『更生(復刻版) 4巻』(中央融和事業協会編、不二出版、1988)
  27. 『融和時報(縮刷版) 1937年9月1日号』(三一書房、1983)
  28. 『融和時報(縮刷版) 1941年5月1日号』(三一書房、1983)
  29. 『解放新聞 1991年3月18日号』(解放新聞社)
  30. 『部落問題・水平運動資料集成 第3巻』(渡部徹、秋定嘉和編、三一書房、1974)
  31. 『融和時報(縮刷版) 1939年6月1日号』(三一書房、1983)
  32. 『おおいた部落解放史 17号』(大分県部落史研究会、1997)
  33. 『融和時報(縮刷版) 1941年5月1日号』(三一書房、1983)
  34. 『融和時報(縮刷版) 1941年9月1日号』(三一書房、1983)
  35. 『融和時報(縮刷版) 1939年6月1日号』(三一書房、1983)
  36. 『融和時報(縮刷版) 1939年11月1日号』(三一書房、1983)
  37. 『融和時報(縮刷版) 1941年5月1日号』(三一書房、1983)
  38. 『水平新聞 1930年3月11日号』(部落問題資料文献叢書 第4巻』(世界文庫、1972)所収)
  39. 『部落問題・水平運動資料集成 第3巻』(渡部徹、秋定嘉和編、三一書房、1974)
  40. 『熱い叫び』(毎日新聞大分支局編、葦書房、1982)
  41. 『熱い叫び』(毎日新聞大分支局編、葦書房、1982)
  42. 『福岡県被差別部落史の諸相』(福岡部落史研究会編、福岡部落史研究会、1979)
  43. 『福岡県被差別部落史の諸相』(福岡部落史研究会編、福岡部落史研究会、1979)
  44. 『部落問題・水平運動資料集成 第3巻』(渡部徹、秋定嘉和編、三一書房、1974)
  45. 『部落問題・水平運動資料集成 補巻2』(渡部徹、秋定嘉和編、三一書房、1978)
  46. 『解放新聞 1999年2月1日号』(解放新聞社)
  47. 『九州地方における部落解放運動史研究』(新藤東洋男、人権民族問題研究会、1970-1971)
  48. 1978年9月に部落解放同盟大分県連高田地区協議会の者が職務強要罪に問われた高田事件の被告に以下の姓の者がいた。黒土、新納。『部落問題事典』(部落解放研究所編、部落解放研究所、1986)より。
  49. 『香川の部落解放運動史 戦後編』8頁
  50. 「私は牧野という名前なんですけど、私の地域で牧野という名前の人はあんまりいないんですけど、宇佐の別の被差別部落にはけっこうたくさんある名字なんです」。宇佐市の宇佐神宮のそばにある200戸の地区の出身である牧野姓の者の発言。また、中津市の400戸の地区が大分県で最大だとする。『佐賀部落解放研究所紀要 24号』(佐賀部落解放研究所編、2007)
  51. 『更生(復刻版) 2巻』(中央融和事業協会編、不二出版、1988)
  52. 『融和時報(縮刷版) 1939年11月1日号』(三一書房、1983)
  53. 『融和時報(縮刷版) 1939年1月1日号』(三一書房、1983)
  54. 『部落問題事典』(部落解放研究所編、部落解放研究所、1986)
  55. 『部落問題事典』(部落解放研究所編、部落解放研究所、1986)
  56. 『部落解放研究くまもと 9号』(熊本県部落解放研究会編、熊本県部落解放研究会、1985)
  57. 『部落問題・水平運動資料集成 補巻2』(渡部徹、秋定嘉和編、三一書房、1978)
  58. 加藤延之『実録泥棒大家族』222頁
  59. 『熱い叫び』(毎日新聞大分支局編、葦書房、1982)
  60. 『融和時報(縮刷版) 1937年9月1日号』(三一書房、1983)
  61. 『融和時報(縮刷版) 1939年11月1日号』(三一書房、1983)
  62. 毎日新聞大分支局編『熱い叫び』60頁に、旭町の老人の発言として「ワシン子どもは六人おるが、三人は部落ち話しとらん。名古屋と大阪にいっちょるが、こっちから手紙を出すときは、南大分永興で出すんじゃわあ。なかなか旭町とは書けん」とあるので、永興全体が被差別部落というわけではないことがわかる。
  63. 毎日新聞大分支局編『熱い叫び』64頁
  64. 毎日新聞大分支局編『熱い叫び』139頁
  65. 毎日新聞大分支局編『熱い叫び』140頁
  66. 毎日新聞大分支局編『熱い叫び』8頁
  67. 毎日新聞大分支局編『熱い叫び』67頁
  68. 「『同和事業』で建てた"集会所"も町は地区民には秘密にしていた(武蔵町F地区)」と毎日新聞大分支局編『熱い叫び』35頁の写真の説明にあり、その写真は藤本公民館そのものである。
  69. 毎日新聞大分支局編『熱い叫び』193頁
  70. 毎日新聞大分支局編『熱い叫び』197頁
  71. 全日本同和会別府支部長に小野姓の者がいた。『追跡・えせ同和行為』(中原京三、部落問題研究所出版部、1988)より。
  72. 全解連の中津支部長に田中姓の者がいた。『解放の道 1989年11月15日号』(解放の道新聞社)より。
  73. 大分市の部落解放同盟胡麻鶴支部に木村姓の者がいた。『熱い叫び』(毎日新聞大分支局編、葦書房、1982)より。
  74. 部落解放同盟高瀬支部に毛利姓の者がいた。『解放新聞 1999年2月1日号』(解放新聞社)より。
  75. 部落解放同盟西土居支部長に荻姓の者がいた。『解放新聞 1976年2月19日号』(解放新聞社)より。
  76. 大分市の部落解放同盟滝尾支部長に長島姓の者がいた。『熱い叫び』(毎日新聞大分支局編、葦書房、1982)より。
  77. 部落解放同盟佐賀関支部に臼杵市から転出してきた以下の姓の者がいた。城、白根。『解放の道 1977年12月15日号』(解放の道新聞社)より。
  78. 弥生支部長に浦辺姓の者がいた。父は北海部郡の村の村長で、合併後は臼杵市助役を務めており、「果たして差別されてきたと考えられますか」と記している。『波乱の五十日 同和問題の流れを変えた、片田舎の町の勇気ある記録』(南海新報、1977)より。
  79. 佐伯支部長に浦辺姓の者がいた。弥生支部長と兄弟。『追跡・えせ同和行為』(中原京三、部落問題研究所出版部、1988)より。
  80. 「第11回西高地域1市2町合併協議会次第」日時 平成15年11月17日(月)午後2時∼ 場所 真玉町中央公民館 大ホール